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2015.11.14

ミャンマーを知ろう!

第3回 ビルマ式社会主義とはなんだったのか?

小原 祥嵩

第3回 ビルマ式社会主義とはなんだったのか?

11月8日に投票が行われたミャンマー総選挙。アウン・サン・スー・チー氏率いる野党NLD=国民民主連盟が国会の過半数を制し、政権交代が確定しました。長く軍事政権下にあったミャンマーで民主化運動を率いてきた、スー・チー氏。彼女はミャンマー国民にとってどのような存在なのでしょうか? 今こそ知りたい、ミャンマーの歴史、スー・チー氏と国民の関係を『ミャンマー経済で儲ける5つの真実』から抜粋してお伝えします。


独立後の内乱、軍事政権の発足

 度重なる列強からの支配を乗り越え、1948年に独立を勝ち取ったビルマ連邦。アウン・サン将軍の後継者としてAFPFLの総裁となったウー・ヌが首相を務め、議会制民主主義の国としてスタート。社会主義経済の実現を目標に掲げた国づくりに踏み出しました。

 しかし、独立後まもなく国内は不安定な状況に陥っていきます。カレン族などの少数民族による民族自決を要求する反政府武装闘争や、AFPFLの一員である共産党の武装反乱などが相次ぎ、国内は内乱状態になってしまったのです。

 この時、国内の反政府組織を抑え込み、内乱状態の収束に一役買ったのが国軍でした。そのビルマ国軍の最高指揮官は、かのアウン・サン将軍とともにビルマ独立のために戦った「三十人志士」の一人、ネ・ウィンです。

 新たな国づくりに乗り出したウー・ヌ政権でしたが、度重なる内乱によって、次第に政権運営能力を失っていきます。

 1958年、議会はネ・ウィン大将率いるビルマ国軍に一時的に政権を委ねることを決めました。ビルマ連邦成立から10年。軍がミャンマーの政治に登場した瞬間でした。とはいえ、のちの軍事政権とは異なり、この時のネ・ウィン政権は総選挙実施のための暫定的な選挙管理内閣であり、1960年の総選挙で再びウー・ヌ政権が復活しています。

 その後、ウー・ヌ政権は経済復興や仏教の国教化などさまざまな政策を打つものの、ビルマ連邦の立て直しには至りませんでした。

 そして1962年、ついに国軍がクーデターによってウー・ヌ首相から政権を奪ったのです。「国政の混乱を救う」という大義を掲げてのクーデターでした。

 ネ・ウィン大将は議会制民主主義ではビルマ連邦を維持できないとして、自らを議長とする革命評議会を設立。軍事&社会主義体制の政権運営をスタートさせたのです。

 

ビルマ式社会主義の推進

 クーデターにより政権を握ったネ・ウィン将軍は「ビルマ式社会主義」を推し進めます。これは、経済の実権をビルマ人の手に取り戻すため、外資企業・外国人を追放し、経済の国有化を進めるものでした。イギリス統治時代に、金融業や商業、製造業がインド人や華僑の手に渡っていたのです。さらに、外国文化の影響を抑えるために、消極中立政策を取って、対外交流も最低限に留めます。

 1974年には新憲法を施行。国名を「ビルマ連邦社会主義共和国」に改名し、ビルマ社会主義計画党(BSPP)による一党支配体制のもと社会主義化を推進しました。

 しかし、軍事政権の経済政策は失敗し、極端な経済不振を招きました。1987年には国連から後発開発途上国と認定されてしまいます。

 悪化する経済、政治的閉塞感に国民は不満を募らせ、民主化運動が次第に熱を帯びていきます。

 

1988年民主化運動の些細なきっかけ

 26年にわたる軍事政権に対する人々の不満は1988年についに爆発。民主化運動は大きなうねりを生みます。

 不満が噴出したきっかけとなったのは、ほんの些細なことでした。

 1988年3月、ラングーン工科大学の学生が喫茶店でいさかいを起こしました。その相手が地元有力者の息子だったため、駆け付けた警官は一方的に学生側に不利な対応を取ったのです。これに怒った学生たちがデモを組織し抗議活動を行いました。それは、学生だけでなく一般の市民も巻き込み、反体制の大きなうねりを生んでいきます。犠牲を伴いながらも活動を続ける学生たちの動きに、26年間続いたビルマ式社会主義のもと、言論の自由や政治活動を抑圧されてきた国民の不満が呼応し、爆発したのです。スー・チーさんがミャンマーの表舞台に登場するのもこの時期です。

 全国的な広がりを見せた民主化運動を受けて、一党独裁を続けてきたBSPPは臨時党大会を開催。ネ・ウィン議長の辞任が発表されました。

 こうしてミャンマー独立から26年にわたって国政を担ってきたBSPPによる独裁政権は終わりを告げました。

 

20年以上続く軍事政権の登場

 ネ・ウィン政権が倒れたことにより、ビルマは民主化されたかというと、残念ながら決してそうはなりませんでした。

 弱体化したネ・ウィン政権に代わって、国家の治安回復を大義に、国軍が武力で民主化運動を鎮圧したのです。

 ネ・ウィンが退陣の際に放った一言が、国軍による民主化運動の弾圧を決定づけました。「騒動を起こす連中に対して、国軍は命中するように撃つ」と言ったのです。

 そして実際に国軍は国民に銃口を向け、多数の犠牲者を出す結果となりました。

 1988年9月18日、国軍は武力により政権を奪取。ソオマウン大将を議長とした国家法秩序回復評議会(SLORC)を設立し、軍による国家運営をスタートさせます。ここから2011年3月のセイン政権まで、実に20年以上続く軍事政権の誕生です。

(第4回は、なぜ、ミャンマーが2012年まで経済制裁を受けていたかを解き明かします)

 

 

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