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2015.11.12

ミャンマーを知ろう!

第2回 日本はかつてミャンマーの独立を支援した

小原 祥嵩

第2回 日本はかつてミャンマーの独立を支援した

11月8日に投票が行われたミャンマー総選挙。アウン・サン・スー・チー氏率いる野党NLD=国民民主連盟圧勝との報が出てきました。長く軍事政権下にあったミャンマーで民主化運動を率いてきた、スー・チー氏。彼女はミャンマー国民にとってどのような存在なのでしょうか? 今こそ知りたい、ミャンマーの歴史、スー・チー氏と国民の関係を『ミャンマー経済で儲ける5つの真実』から抜粋してお伝えします。


イギリスによる植民地時代

 ミャンマーの歴史は列強による支配と独立の歴史と言えるかもしれません。

 9世紀中頃、ビルマ族が作り上げたパガン王朝が今日のミャンマーの始まりと言われています。その後19世紀に入り、三度にわたるイギリスとの戦争(英えい緬めん戦争)を経て、1886年、ビルマ全土はイギリス領インドの一準州に組み込まれ、植民地となりました。

 イギリスはビルマを直轄植民地としては扱わず、イギリス領インドによって間接的に統治します。徹底した各州の間接統治、分割統治により、国民の約70%を占めるビルマ族は排除されました。その一方で、少数民族を国内の中間管理職に登用しました。これは、のちの民族対立の火種に繋がっていきます。さらに、植民地インドからインド人を移民させて、金貸しなどの金融業に、また、華僑は徴税の役に就かせました。こうして、ビルマ族を最下層へと追いやったのです。

 ビルマ植民地化の当初の目的は、すでに植民地であったインド東部国境の安全確保でしたが、イギリスへの農産物・鉱産資源の供給源としての機能も果たしました。

 

建国の父、アウン・サン将軍と日本

 20世紀に入り、ビルマでもナショナリズムが高揚し始めます。特に、1938年から39年にかけて独立機運が一気に高まりました。この頃、欧州では第二次世界大戦が勃発。統治国であるイギリスが欧州戦線へと国力を注ぎ始めていました。ビルマ独立を願う人々はこれを好機と捉えたのです。

 このビルマのイギリスからの独立を支援したのが、太平洋戦争の開戦と同時に東南アジアへの侵攻を進めていた日本でした。

 当時の中国との戦況が膠こう着ちやく状態にあった日本は、状況を打開するためにヤンゴンから重慶に至る補給ルート(通称、援えん蒋しようルート)の分断を計画していたのです。そして、ビルマの独立を牽引する組織に接触していきました。

 ビルマの独立運動組織に接触した日本軍は、独立運動のメンバーたちを日本へと送りました。そして、海南島で彼らに秘密裏に軍事訓練を施したのです。この30人に上る若き活動家たちは「三十人志士」と呼ばれています。

 この三十人志士を率いていたのが、スー・チーさんの父であり、建国の父アウン・サン将軍その人です。また、のちにクーデターで軍事政権を樹立し、ビルマ式社会主義を推し進めるネ・ウィンもこのメンバーでした。彼らは日本で教育を受け、日本式の戦い方を学んだのです。

 ちなみに、アウン・サン将軍は当時、面田紋次、ネ・ウィンは高杉晋という日本名を名乗っていたと言います。

 今でもアウン・サン将軍の人気は衰えることがありません。ヤンゴンのタクシーに乗ると、かなりの確率で、軍服に身を包んだ精悍な青年の白黒写真を目にすることになります。この青年こそ、ミャンマー建国の父アウン・サン将軍その人です。

 

日本軍とともに母国の解放へ

 三十人志士は1941年12月、バンコクに移動し、ビルマ独立義勇軍を設立しました。そして翌年1月に日本軍とともに、イギリスからの解放を大義に掲げ、母国ビルマに侵攻したのです。

 1942年、日本軍とともに当時の首都ラングーン(現在のヤンゴン)を制圧。長らく続いたイギリスによる統治が終わり、いよいよ独立国家の誕生かと思われました。しかし、日本軍は軍政を布告、ビルマ独立の約束を反故にしました。

 その後、1943年、時の東条英機内閣はビルマの「独立」を認めましたが、あくまで主権は日本軍にあり、形だけに過ぎませんでした。

 日本の戦況が芳しくなくなるにつれて、連合軍による空襲や、タイとビルマを結ぶ泰たい緬めん鉄道建設工事のための強制労働など、人々の生活環境は悪化していきました。こうして、徐々に抗日の機運が高まり始めました。アウン・サン将軍らは表向きは日本軍への協力を示しながらも、密かに反日組織を結成し、日本軍掃討の機会を窺っていたのです。なお、この泰緬鉄道建設を巡る日本軍とイギリス人捕虜の対立を描いたのが、第30回アカデミー賞にも輝いた映画「戦場にかける橋」(1957)です。

 インパール作戦で大敗し、いよいよ日本軍の敗戦が濃厚となった頃、アウン・サン将軍は反日統一組織(のちに反ファシスト人民自由連盟〈AFPFL〉と名乗った)を結成。

 1945年3月、ついに日本軍への反旗を翻しました。連合軍による日本軍の掃討・ビルマの奪還を支援したのです。

 

再びイギリス領、そして独立へ

 自らの手で日本軍を敗走に向かわせたビルマ。しかし、独立を手にしたと思ったのもつかの間、日本軍の敗戦とともにイギリスが復帰、ビルマの独立を認めず、再び統治下に置かれてしまいました。

 日本からの独立を率いたアウン・サン将軍は、その後もイギリスと粘り強く独立交渉を続けました。1947年にはアウン・サン将軍とイギリスのアトリー首相との間でビルマ独立に関するアウン・サン=アトリー協定が締結されました。そして1948年、ついに独立国家「ビルマ連邦」が誕生したのです。

 ただ、残念ながらアウン・サン将軍は念願のビルマ独立をその目で見ることは叶いませんでした。なぜなら、独立の前年、政敵によって暗殺されてしまったからです。アウン・サン将軍が暗殺されたこの日は、今でも「殉難者の日」として国民の休日に指定されています。


(第3回は、独立国家「ビルマ連邦」のが推し進めた「ビルマ式社会主義」について)

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