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2015.11.10

ミャンマーを知ろう!

第1回 スー・チーさんはミャンマー人にとって特別な人

小原 祥嵩

第1回 スー・チーさんはミャンマー人にとって特別な人

11月8日に投票が行われたミャンマーの総選挙の集計が進むなか、アウン・サン・スー・チー氏率いる野党NLD=国民民主連盟が優勢との報が出てきました。長く軍事政権下にあったミャンマーで民主化運動を率いてきた、スー・チー氏。彼女はミャンマー国民にとってどのような存在なのでしょうか? いまこそ知りたい、ミャンマーの歴史、スー・チー氏と国民の関係を『ミャンマー経済で儲ける5つの真実』から抜粋してお伝えします。

スー・チーさん帰国に沸くヤンゴン市民の熱気

 各国からのミャンマー視察が活況を呈する2012年6月末、私はミャンマーの旧首都ヤンゴンにあるヤンゴン国際空港に降り立ちました。

 まだ新しいヤンゴン国際空港の入国ゲートに向かうと、目に飛び込んできたのは黒山の人だかりです。過去に訪れた際にも入国ゲートからガラスを隔てて出迎えの人々の姿は見えましたが、今回のそれは過去の比ではありませんでした。人だかりは構内に留まりません。

 皆、そろいのTシャツに赤い鉢巻き、手には赤い旗を持って興奮した顔で誰かの到着を待っているようでした。人だかりは空港の外、タクシーのロータリーからさらにその先の市内に至る沿道にまで延々と続いています。

 一体何事かと近くにいたミャンマー人に尋ねると、あの人(The Lady)がまもなく帰国するのだ。お前はよい時に来たなと興奮気味に話すのです。

 ミャンマーで「あの人」と言えば、そう、アウン・サン・スー・チーさんです。空港を埋め尽くす人たちは、この民主化の旗手スー・チーさんの欧州歴訪からの帰国を今や遅しと待つ人々だったのです。人々の頭に巻かれた鉢巻きや赤い旗には、彼女が率いる政党、国民民主連盟(NLD=National League for Democracy)を表す白い星と黄色いクジャクが染め抜かれていました。

 

 興奮する人々は空港に着いたばかりの外国人の私にも、スー・チーさんのブロマイドシールとNLDの旗を手渡してくれました。

 そして、到着予想時刻から遅れること約1時間、ついにスー・チーさんが空港に姿を現しました。

 人々は、スー・チーさんを一目見ようと、入国ゲートを抜け、一気に押し寄せます。

 我先にとスー・チーさんを取り囲む人々のエネルギーはすさまじく、スー・チーさんを迎え入れる人々が作った花道に陣取っていた私は、あっという間に弾き飛ばされてしまいました。目の前にいたおじいさんも押し倒され、危うく群衆の下敷きになるところでした。

 過去の滞在でミャンマーの人々と言えば笑顔で大人しいというイメージを持っていたのですが、我先にと人を押しのける人々の姿には本当に驚かされました。本や報道、そして現地の人からスー・チーさんに対するミャンマーの人々の想いについては見聞きしていましたが、そこに充満しているエネルギーは私の想像をはるかに超えたものだったのです。

 国民に絶大なる人気を誇るスー・チーさん。なぜ人々はここまで彼女に熱狂するのか。その裏にある人々の想いやこれまでの歴史、そしてこれからのミャンマーについて考えさせられました。

 

世界で一番有名なミャンマー人

 アウン・サン・スー・チーさんは、「建国の父」のアウン・サン将軍を父に持ち、ミャンマーの民主化を牽引してきた女性です。日本を含む諸外国では、国民を武力で弾圧する軍事政権から人々を救うヒロインとして紹介されてきました。1991年にはノーベル平和賞を受賞しています。

 そんな彼女が民主化のリーダーとして表舞台に登場したのは、民主化闘争が最高潮を見せた1988年のことでした。その時まで、彼女は人生の大半を外国で過ごしていました。

 父アウン・サン将軍が日本からの独立に奮闘していた1945年にヤンゴンで生まれました。アウン・サン将軍の暗殺後、母の仕事でインドに渡ります。インドからイギリスに留学、オクスフォード大学で学びました。さらに渡米し、ニューヨーク大学の大学院で研究を続けました。そして、国連に職を得たスー・チーさんは行政財政問題担当として働き始めます。

 しばらくしたのち、オクスフォード大時代に知り合ったイギリス人男性と結婚、二人の息子を儲け、専業主婦として生活をしていました。

 子育てが一段落し、再び研究の道に進んでいた頃、祖国ミャンマーから実母危篤の連絡を受け、スー・チーさんは、イギリスからミャンマーに帰国したのです。

 ミャンマーは、民主化運動が最盛期を迎えていました。帰国の目的は、母の見舞いでしたが、父アウン・サン将軍が命を懸けて独立を勝ち取った祖国、そしてその国の人々の現状を目の当たりにし、自らも民主化運動に身を投じることを決意したのです。

 そして1988年、敬虔な仏教徒であるミャンマーの人々の象徴とも言うべき、数万人もの人々が待つ黄金の仏塔シュエダゴン・パゴダの前に姿を現しました。

 建国の父アウン・サン将軍の娘の人気はすさまじく、一躍民主化のリーダーとして、表舞台に登場することになったのです。

 その後、スー・チーさんはNLDを結成。各地を遊説し、非暴力による不服従を説き、民主化運動の大きなうねりに巻き込まれていきます。

 1990年、当時の軍政は総選挙を実施しました。選挙前、軍政は選挙を通して国民が選んだ政党に政権を引き渡すことを公言していました。

 選挙の結果、NLDは全485議席のうち、8割にあたる392議席を獲得し、圧勝。ミャンマー国民悲願の民主化が、独立の父の娘によってもたらされたと国内は歓喜の声で溢れました。

 しかし、軍事政権はNLDへの政権移譲を拒否、それどころか民主化勢力の弾圧を続けたのです。

 スー・チーさんは、1989年から自宅に軟禁されていました。翌年の選挙を控え全国を遊説するスー・チーさんの各地での影響力を目の当たりにした軍事政権がその力を封じ込めるためだったと思われます。しかし、自宅軟禁中もスー・チーさんは民主化を訴え続け、その行動がノーベル平和賞の受賞へと繋がったのです。

 民主化運動の旗手スー・チーさんの姿は報道を通して世界に広がり、民主化運動を弾圧し、国民の自由を奪う軍事政権=悪、軟禁生活でも人々の自由のために闘い続けるスー・チーさん=善という図式が出来上がっていきました。

 スー・チーさんがミャンマーの人々に熱狂的に支持される背景には、その父アウン・サン将軍とミャンマー独立の歴史が密接に関わっています。

 

(第2回は、イギリス植民地時代からの歴史を振り返ります)

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