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憂鬱なアンチ

2003.03.01 公開 ツイート

謎とボンドガール 村田武彦

 振り向きざまにキッス。すれ違いざまにキッス。目と目が合ってまたキッス。毛唐のカップルの破廉恥な様子をまざまざと見せつけられて、俺はグレープフレーツを食べてたんだけど、かばんの中で弁当箱が横になっていたせいで、嫁がゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリと胡麻を摺ってあえたマヨネーズが、本来はブロッコリーにつくはずのそれが、果肉にべったりと付着してしまい、なにやら前衛気取りのニューヨーカーがいい気になって作るような味になって、酷く不味い。ふと駅の時計を見るともう京成線の発車時刻が迫っており、慌てておれは弁当をしまい、待合所を出てホームへの階段を駆け下りた。

*

 一寸先は闇。なんてことを申しますけれども、未来が不可視である以上、一年先どころか一秒先がどうなるかさえ分からないのが人の生きであって、それが時に悲劇的な醍醐味を生む。つまり、アウトドア派バリバリ、そこに山があるから登るんだ的なガイならいざしらず、年明け早々から、大の大人が、ジャスダック市場へ株式上場、破竹の勢いで業界を躍進中であらせられまするこの大出版社のサイトにおいて「さむい」としかいうてないこの連載。その筆者であるおれにしても、なにがどうなったか、ある偶然とハプニングの交錯した結果、キャンピングカーに乗ってひとり、波の打ち寄せる千葉の湾岸線をとばしていたりするんである。

*

 でもね、いまは甲斐性強化月間であり、って、そんなんいうてる時点で甲斐性ないんやん、とか、それが終わったらまたヒモかいとかいうたやつしばく。ぜったいしばく。もう編み上げブーツの一番かたいとこでどつく。あるいはおじいさんの古時計でどつく。それで時計動き出したりしてね。なんの話や。だから頑張ってるねん。ね、つまり婚姻届にハン押したからには、どんなにあほらしくても、世間の義理につじつまを合わせていかなアカンこともあるよってに、生活という、この口にするのも忌々しきもののために、日々腐心しとるわけです。

 それでも自分は、ふつうの組織の中にいると、知らん間にうんこもらしたり、銀色に光る鯖寿司を懐に隠し持ったり、エレベーターのことを「上グーン&下グーン」と呼んだりしてひと様に迷惑をかけるから、どっちかっちゅうとひと様とあんまりまぐわらん仕事がええなあと思って、ひとりで出来る「車を回送する仕事」を選んだのである。

 これは、事務所からの指示により、南は九州から北は北海道まで、日本全国の道路に出向き、乗り捨てられたレンタカーを自分で運転して元の営業所に返すという仕事で、風来なところが気に入ってやりはじめたのだが、急に思いもよらなかった所にゆけといわれるのが難点で、ある日家で甘いものなんかを食べていると突然携帯電話にメールが入り、見ると「成田空港」とだけメッセージが入っている。これはいったいなんなのかしらん。なぞのダイイング・メッセージか、はたまたおれが忘れているだけで、同級生にそんな名前のやつがいたのかとか一瞬思うけど、そういうことではなくして仕事の指令である。それでおれはそそくさと準備をする。口笛を吹きながら、007の気分で、まだ分からない、この部屋を出たら暑いのか寒いのかさえ、その時点ではね、おれの行く手には謎とボンドガールが待ち受けている。

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憂鬱なアンチ

「不発の内弁慶」村田武彦のシニカルな爆笑エッセイ。
今年の夏はクールにキメたいあなたは必読です!
※本連載は旧Webサイト(Webマガジン幻冬舎)からの移行コンテンツです。幻冬舎plusでは2003/03/01のみの掲載となっております。

 

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村田武彦

1974年兵庫県生まれ。27歳。広告事務所勤務。99年、文芸誌『ぶんりき』に発表したエッセイ『メッセージ・ソング』で第2回ぶんりき大賞を受賞。同年10月、彩図社より文庫本『帰ってきた内弁慶』を刊行。

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