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2015.10.27

第1回

僕の心の“女の子ちゃん”発見伝

ワクサカソウヘイ

僕の心の“女の子ちゃん”発見伝

現在、コラムニストとしてだけではなく、コント作家、脚本家、舞台のプロデューサーなど、多方面で活躍中のワクサカソウヘイさん。

そのワクサカさんの新刊『男だけど、』が、とにかく笑える、共感できると好評発売中です。刊行を記念して、本の読みどころを一部ご紹介します。

第1回は、自分の心の中に“女の子ちゃん”を発見したエピソード。草野球が好きで、女の子に恋をする、ストレートな男である自分が、「ほぼ女子校」状態の高校生活で気づいたことについて。

*  *  *

気力がない時、人はどうやって自分を元気づけるのだろうか。

僕は、男である。

元気が足りない時は、やはり男に生まれた以上、男らしく自分を活気づけたいものだ。マムシの生き血をすすったり、『たまごクラブ』をビリビリに破いたり、金閣寺に火を放ったり。そんな荒々しい方法で自らを焚きつけたい。

しかし、そんな想いを抱くとすぐさま“女の子ちゃん”が現れて、「やだ! 男子って本当に乱暴! サイテー」などと糾弾してくる。

 

僕の心の中にいる、“女の子ちゃん”。

 

“女の子ちゃん”が自分の中にいることをはっきりと自覚したのは、高校生の頃だった。

先に説明しておけば、僕は生まれてから今日まで、ずっとストレートに、男だ。まごうことなき、男だ。

草野球が好きで、プラモデルに何時間も没頭し、変に妖怪に詳しく、知らない人に道を尋ねるのが苦手で、女の子に恋をする。

そんな感じで、プレーンに、男である。

自分が男であるということについて疑うことなどなかった。

男だ男だ、自分は男だ。そんな視野狭窄に陥っていた自分を、“女の子ちゃん”は見逃さなかった。ふとした隙を突いて、“女の子ちゃん”はつるりと僕の中に巣籠り始めた。

 

気がつくと、学生カバンの中にポーチを忍ばせている自分がいる。

リップクリームを愛用している自分がいる。

ソフトテニス部で精を出す自分がいる。

下校途中、犬に吠えられただけで「きゃっ」と小リスのような声を上げている自分がいる。

 

中学生の時分の僕は、まだ“女の子ちゃん”の存在に気づけはしなかった。ただぼんやりと「これは自分の中にある女々しい部分だ」などと解釈していた。

高校進学の時、その解釈は、大きく変わった。

 

男子校に進学しよう。高校受験を控えた一五歳の僕は、そう腹に決めていた。

私立の、鉄道高校が第一志望だった。電車の時刻表を見ているだけで一日を潰せる自分にとって、鉄道の道に進むのは「男の花形」に思えた。

ところが、受験シーズンが佳境にさしかかった時、誰かが僕に囁いた。

(男子校なんて、やめなよ)

え? 僕は、うろたえた。

(男子ばかりの教室なんだよ? きっと、水族館のトドの檻の前みたいな臭いがするよ?)

誰だ、僕に囁くのは、誰なんだ。

(それよりも、女の子が多い高校に行こうよ。きっと、楽しいよ)

やめろ、僕をたぶらかすな僕は男子校に行くんだそこで鉄道のことを学んで車掌さんになるんだ次は巣鴨~とか言うんだやめろやめろ、と言っているうちに、気がついたら公立の新設普通科高校に進学していた。そこは、学年二四〇人のうち、男子はたったの二〇人、残る二二〇人は女子という、「ほぼ女子校」とも言うべき高校だった。

男子高校に進学した中学の同級生たちは口を揃えて「いいなあ、女の子ばかりの学校に入れて」と羨ましがった。「嫌になるほどモテるんだろ?」とストレートに聞いてくる者までいた。みんな、楽園を想像しているようだった。

 

はっきり言うが、女子ばかりの学校というのは、楽園でもなんでもない。

女子校に通ったことのある人だったらわかると思う。女子校内の女子の実の姿は、男子が抱く「女子」への幻想を、ことごとく打ち砕く。

夏の授業中、ノートでスカートの中をバサバサと扇ぐ。

「うんこ」というワードを連発し、ゲラゲラ笑い合いながら、弁当を食べる。

何日間お風呂に入っていないかを、仲間同士で自慢し合う。

リアルな女子の実態が、学校中で目の当たりにできた。

女子たちは、男子の目など、一切気にしていない。なぜなら圧倒的女性多数社会において、マイノリティである男子たちは完全におまけ、黙殺されて然るべき存在だからである。

 

そんな「ほぼ女子校」に、男子の居場所など、ない。

そこはまともな精神では耐えられない環境であり、実際、入学から三か月で四名の男子生徒が自主退学をした。学年の男子の五分の一が夏を前にしていなくなったのである。その高校がいかに異常な世界であったかを、そこから感じ取っていただきたい。

僕自身、「なんで鉄道科男子高校を目指していた自分がこんなところにいるのだろう……」と、入学してからはしばらく、呆然としたままだった。ただ、自主退学するまでの度胸はなかった。

そんな僕のような男子が、「ほぼ女子校」で生き残る術は、三つしかない。

 

ひとつ。「とにかく存在を消して三年間を過ごす」。

女子と目を合わせず、なんなら男子とも交わらず、「化学式でいうならO2」みたいな存在感のなさで日々をやり過ごす。

 

もうひとつは、「男子の輪を形成し、その中で生きる」。

男子でひとつの大きなグループの輪を作る。その中で男子同士結束をし、「ドラゴンボールの第三六巻って、ただビーデルが飛べるようになっただけの巻だったよねー」みたいな会話を交わしながら、つつましく「男子性」みたいなものを死守する。

 

そして残る最後の術は、「自分を女の子に寄せる」。

男子たる自分の身体中に巡るフェミニンの血を、最大限に覚醒させる。つまりは、自分が男子であることを部分的に捨て、女子に迎合する。そして女子の輪の中に自然と馴染んでいき、女友だちと携帯電話のバッテリーの裏に貼ったプリクラを休み時間に見せ合ったりする。

 

この三つの術を、僕はすべて試した。

そして、驚いたことに、三つ目の「自分を女の子に寄せる」という術が、最も自分にフィットしていることに気がついた。

最初は愕然とするより他になかった、その女子ばかりの異界。僕は自分の中の女子成分を濃くしていくことで、次第にその異界を心地のよい場所へと変えていき、高校二年生になる頃には「同性といる時よりも、女性に囲まれている時のほうが落ち着く」という体質へと見事なまでに変貌を遂げていた。

そして、その頃になってようやく、なぜ自分がこの女子ばかりの高校を選んだのか、理解ができた。

 

きっと、自分の中には、女の子がいる。

その女の子は、女子校での青春を、夢見ていた。

その女の子は、女子の友だちをたくさん、作りたかった。

だからその女の子は、あの時、僕に囁いたんだ。

それだけじゃない。ずっと「女々しさ」だと思っていたモノの正体は、この女の子だったのだ。

 

僕はやっと、その女の子を発見した。

それからしばらくして、僕はその子を“女の子ちゃん”と命名した。

 

“女の子ちゃん”のことを、人によっては「フェミニンな部分」と呼ぶだろうし、「女々しさ」と言い戻しても、まあ問題はないだろう。

でも、やっぱり、“女の子ちゃん”だ。

「フェミニン」や「女々しさ」といった既成の言葉にはない、もっと生々しい感じ。普通に、息をしちゃっている感じ。

これは、“女の子ちゃん”だ。

 

発見して、初めて目が合い、“女の子ちゃん”は照れくさそうに「ヤダ、見つかっちゃった」とこちらに微笑んだ。

 

こうして僕と“女の子ちゃん”による奇妙な共同生活、そして旅の日々が、始まった。

*  *  *

次回は10月30日(金)更新予定です。

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