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2006.07.15

第28回

フィナーレ

小川 凛

フィナーレ

  背後で私が何を思っていて、何をしようとしているのかなんて、そんなことは何も知らずに
 大家さんは無防備な後ろ姿を晒したまま、奥の部屋へとつづくドアを開けようとしていた。
 真後ろからではよく見えなかったけれど、もしかしたら手を掛けようとした、その一瞬手前だったかもしれない。とにかく、ドアを開けるその直前に突然、「ゴホッ」という咳をする声が部屋の中から、小さくだけど確かに私たちふたりの耳に聞こえてきた。
 もしかしたら、私以外の誰かが家の中にいるのを察知したあいつが、最後の力を振り絞って、その「誰か」に助けを呼ぼうとしたのかもしれない。
 それが一体誰であろうと、今の自分の悲惨な姿を見せさえすれば、私がか弱い女の子ではないことを分からせることができる、助けてくれる、などと考えたのかもしれない。
 もちろん、あいつの真意なんて到底分からないけれど。
「どなたか…いらっしゃるの?」
 部屋の中から音がするのを聞いた大家さんが、突然私の方を振り返ったから、私は体の前に構えていたナイフを急いで背中に隠した。大家さんは部屋の中から突然聞こえた音に、少し驚いたようだった。
「あー、あの、お母さんの彼……ていうか、あの、なんて言うのかな。あ、新しいお父さんが、中で寝てるんです。風邪をこじらせて……あ、でも、いいですよ。中……見てください。どうぞ。」
 大家さんを安心させるためとはいえ、嘘でもあいつのことを「お父さん」と呼んだことに反吐が出そうだった。胸が一瞬ズキンと痛んだ。
 そうやって私が心の中で軽い葛藤をしていたら、大家さんの口から思いもしなかった言葉が出てきた。
「そう……じゃあ悪いから、ここはいいわね」
 肩すかしを食らった気分だった。挙動不振のさっきとは一変して、落ち着き払った私の様子に、急にその言葉を信じる気になったのだろうか? とにかくドアは開けずに、大家さんは他の場所を軽く見ると、すぐに玄関に向かって歩き始めた。

 もしも私の推測通り、あいつが助けを呼びたい一心で咳をしたのだとしたら、それは完全に裏目に出てしまったことになる。あいつが最後の力を振り絞った結果が、最大にして最後のチャンスを棒に振るという結末を導いたのだとしたら、これ以上の傑作はない。
 とは言うものの、大家さんがドアを開けた所で結果は同じだったわけで。
 死体はひとつ増えてしまったかもしれないけれど。
 玄関に着くと、大家さんはあいつの靴を見て呟くように言った。
「あぁ……これ」
「えぇ……そうなんです」
 あっけない。大家さんは玄関に置いてある自分のサンダルを履くと、まともに挨拶もせずに出ていってしまった。
 ドアが完全に閉まるのを確認したとき、少しホッとした。でも、ちょっと物足りな……いや、やめとこう。でも突然の大家さんの来客のおかげで、また少しハラハラドキドキ出来て嬉しかった。ちょっと得した気分。それでも軽い興奮状態のまま高ぶった気持ちはおさまらず、気を落ち着かせるために洗面所に行った。

 ビックリした。
 鏡を見た瞬間ビックリした。
 固まって黒くなって分かりづらくなっていたとはいえ、私の顔や体には血の固まりが結構ついていた。その跡は黒くて赤かった。
 こんな姿を見ても大家さんは本当に何も思わなかったのだろうか?泥遊びで汚れただけとか、絵の具を使って遊んだだけとか? 血ではない他のものにも見えなくもないけれど。
 改めて血でカピカピの自分の髪や体を見たら途端に気持ち悪くなり、どうしても洗い流したくなってシャワーを浴びることにした。スカートを脱ぐと自分がまだパンツを穿いてることに驚いた。
 てっきりあいつに脱がされたものとばかり思っていたから、
「あいつ変態だから…あえて脱がさずに、横にずらして入れたのかな?」
 そんなことを考えながら何となくパンツを脱ぐと、パンツの内側の、あそこに当たってた場所あたりにドローッとあいつの黄色がかった白濁の精液が垂れていた。物凄い量だった。
 そこからプーンと精液特有の独特な、漂白剤のハイターみたいな臭いがした。少し不安になった。
「中にずっと…こんなにたくさん入ってたのかな? 大丈夫かな? 赤ちゃん出来たりしないかな」
 急いでシャワーを浴びた。血で固まってたのか、最初に髪を洗う時、指が通らなくて痛くて苦労した。シャンプーや石鹸の泡は、血が混ざってピンク色だった。ちょっとキレイだった。
 髪を洗ってる時にシャワーのザーッて音とは別にボタボタッて音とあそこから何か垂れる感触がしたから、足元を見ると量は少しだったけれど、またあそこからあいつの精子と、そして赤黒い血の固まりみたいなのが落ちていた。軽くクルクル回ると排水溝の中に吸い込まれていった。
 シャンプーの途中だったから私は髪に両手を入れたままの体勢で、それがクルクルと吸い込まれる様を見ながらボーッとしていた、まるでその時だけ、時間が止まったみたいだった。
「単純に、信じてくれたってことかな?」
 突然帰った大家さんのことを、また考えていた。
 しかし、考えても考えても、帰ったものはもう仕方がない。考えるのを止めて少し冷静になった私は、そのあと、あそこの中に指を突っ込んで中にあるものを全部掻き出そうとした。掻き出そうとするうちにさっきの冷静さはすぐに消え失せてしまい、気付いたら狂ったように何度も指を奥まで突っ込んではグリグリ掻き回して、あいつの汚れた精液を掻き出そうと夢中になっていた。
 そのまま体の他の場所も全部キレイに洗って、流して、サッパリしたところで、浴室を出て、バスタオルを探して体を拭こうと思ったら、体を拭けるようなものがないことに気が付いた。
 髪も体も、びちゃびちゃに濡れたまま、しばらく立ち尽くし、そうやってちょっと困った挙げ句、洗面所の横のタオルハンガーにかかってる手を拭く用の小さいタオルを使って体を拭いた。
「ん? アレ? さっき使ったっけ?」
 拭こうと思って手に取った時、タオルに若干、見覚えのない赤いシミみたいなのがついてたけれど、
 けどその時は大して気に留めなかった。
 それから新しい服に着替えようと体を拭きながら、軽~い気持ちで奥の部屋へ戻ろうと思ったら、なんだか急に嫌な予感がした。
 でも、いつまでも服を着ないワケにもいかないので、小さい手拭いで体を軽く覆いながら足音を立てないようにゆっくりと、奥の部屋へと近付いた。
 お風呂に入ったばかりなのに、私は背中や手足にびっしょりと汗をかいていた。
 ……でもダメだった。どうしてもドアを開けることはおろか、近づくこともできない。本当は、そのまま玄関から家の外へと出たいくらいだったけれど、裸のままではそれもかなわず、私は洗面所の方にまた戻ると、洗面台の横に置いた。さっきのナイフを握り締め、洗面所の横のトイレの中に入ると、すぐに鍵を閉めて弁座の上に座りこんでしまった。自分でもビックリするくらい指先が震えていた。寒さではなく、あきらかに何かに対して脅えてたんだと思う。
「あいつを最後まで殺さなくちゃ。早く止めを刺さなくちゃ。ウーさんの仇を取らなくちゃ……」
 ドアにある換気の為の細長い穴からトイレの外を見つめながら、私はただ、ガタガタと震えていた。

  ……そのままどれくらいが経っただろう?
 何時間も経ったようにも感じるし、ほんの数秒だったようにも感じる。
 ここから先はもう、見たワケでも体験したワケでもないから音を聞いての私の想像でしかないけれど、トイレに閉じこもってる間に、家の中では、一気に色々なことが起きているようだった。
 ちゃんと鍵を閉めたハズの玄関の扉を開けて、何人かの……正確な人数まではわからないけれど、多分たくさんの人間が、部屋の中に入ってきた。それからその足音は足早に奥の部屋へと向かい、その後すぐ誰かの大声や叫び声とかが聞こえてきた。
 パトカーか救急車かのサイレンも、聞こえた。
 奥の部屋では、どうやってやったのかはわからないけれど、床に張り付けられてたはずのあいつが、それを解いて立ち上がり、凶器を持ち、私を殺そうと奥の部屋のドアの前で待ち構えていたらしい。
 それを聞いてから今思うと、きっと私が自分の近くから離れる機会を、ずっとあいつは待っていたんだと思う。
 弱りきって、無抵抗なフリをして…伺っていたんだ、復讐のチャンスを。
 奥の部屋に突入した警察官の何人かが突然切り付けられて怪我を負わされたと、あとから聞いた時、そう思った。
 騒がしかった家の中が静まり返ってしばらくしてから、私の名を呼び、私を探す女の人の声がした。
 それは聞き覚えのある懐かしい声だった。私は自分の耳を疑った。
 その声の主がもしも外にいるのなら……私は……。
 驚きと困惑と喜びに背中を押されて鍵を開け、私はトイレのドアをゆっくりと開いた。
 あの人の笑顔を期待して。お母さんがそこにいてくれることだけを期待して……。

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