知識人が「中道やや体制寄り」になることの危うさ

麻木 「左翼縛り」はあんまりピンと来ないけど、その空気はなんとなく想像がつく。左翼縛りがなくなって、自分は保守だっていうことも言えるようになったんだよね。ただ、國分先生の世代の人たちには、左翼縛りから解放されて「更地」になったのかどうかってことを考えてほしいと、おばちゃんとしては思うわけ。

 というのは、若い言論人の言うことをおばちゃん頭で聞いてると、最近ちょっと思うんだな。少し前まで、「何でも左側に言っときゃいいよ」とか、「中道やや左寄りって楽だよね」的な時代があったのは事実。なんだけど、左翼縛りがとれたからって、中道やや右寄りにいりゃいいってもんじゃないだろうって。

 特に学者さん、知識人階級の人たちね。まず最近の知識人は、遠慮してるのか謙遜してるのか知らないけど、自分たちが知識人階級だっていうことを必死に否定する。でもあなた方は厳然としてインテリゲンチャなんだ、そこを見て見ないふりをすべきじゃない、と私は思ってるの。

 そのうえで、その人たちが、できるだけ楽に自分のポジションを確保しようとして「中道やや左」「中道やや非体制寄り」にいるならまだいいけど、楽をするために「中道やや体制寄り」「体制とのバランス感覚重視」に行ったら、権力にとってこんな便利なことはない。だって知識人がどんどん御用学者になってくれるわけだから。

國分 厳しいご意見です。

麻木 ごめんね(笑)。

國分 いやいや、すごく重要なことをおっしゃっている。権力のシーソーが権力を持っている側のほうにますます傾いちゃうわけですよね。

麻木 そう、もっと厄介なのは、自分が御用学者を務めてるっていう自覚がないままに、お先棒を担がされている知識人。これほど危ないものはないでしょ?

國分 それは本当に気をつけなきゃいけない。(第4回に続く)

この対談は全4回です。最終回〈「御用国民」「御用学者」になってはいけない〉は12月5日掲載予定です。

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