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あなたの知らない「君が代」

2015.08.19 公開 ツイート

第4回

陸軍省や日教組は「君が代」以外の国歌候補曲を作っていた 辻田真佐憲

明治初期に誕生して以来、波乱の歴史を歩んできた「君が代」。本連載では「5つの君が代が存在していた」第1回を皮切りに、新書『ふしぎな君が代』の著者が、「私たちの知らない君が代」の裏話が次々に明らかにしてきます。今回は「君が代」以外にも実は国歌候補が存在してというお話。「君が代」はそれら候補とは何が違い、生き残ってきたのでしょうか――。

「君が代」以外の国歌候補曲があった?

 日本の国歌といえば「君が代」。現在ではそれが当たり前のようになっています。しかし、かつては「君が代」以外の歌が国歌候補として作られていたことがありました。「君が代」ははじめから揺るぎない国歌ではなかったのです。そこで今回は、「君が代」以外の国歌候補5曲をご紹介します。

①宮内省の「御国歌」
 前回触れたように、現行の「君が代」は、1880年に宮内省の雅楽家・奥好義によって作曲されました。このように「君が代」成立に大きく貢献した宮内省でしたが、その少し前には独自に国歌を模索する動きもありました。
 それが1877年に持ち上がった「御国歌」の構想です。日本の国柄、天皇の威光、明治維新の成果などを読み込んだ歌詞を選定し、それに作曲して国歌にすることが計画されていたのです。もっとも、歌詞の選定が難航したようで、途中で挫折してしまいました。そのため、歌詞も楽譜も残っていません。

②陸軍省の「扶桑」
 現行の「君が代」は、海軍省を中心に制作されました。これに対し、陸軍省でも別の国歌候補曲が作られました。1883年の文献に見える「扶桑」という歌がそれです。
 扶桑は、歌詞が残っています。長いため、その一部を以下に引いてみます。

天皇尊(すめらみこと)ノ。統御(をさめ)シル。吾日本(わかひのもと)ハ。千五百代(ちいほよ)モ。一代(ひとよ)ノ如ク。神ナガラ。治メ給ヘハ。大御稜威(おほみいつ)。

 いかがでしょうか。かなり難解で、まるで呪文のようではないでしょうか。どこで区切れるのか分からないような歌詞が、このあとも延々と続きます。さすがにこれでは国歌にならないと思われたのか、「扶桑」はすぐに文献上から消えてしまいました。

③文部省の「明治頌」
 戦後は一貫して「君が代」普及に尽力する文部省ですが、実は明治時代には別の国歌候補曲を作って、「君が代」に対抗していたことがありました。文部省はどこよりも国歌作成に真剣に取り組み、諸外国の国歌まで取り寄せて研究を行ったようです。こうして1884年に「明治頌」という試作品が完成しました。
「明治頌」は、「神器」「国旗」「禦侮」「外征」「明治維新」の五部からなります。とても長いので、やはりその一部分のみを引用します。

国を照らすは鏡なり。国を守るは剣なり。
くにの光りはまが玉の。妙なる玉ぞたとふべき。
天津日嗣のつぎつぎに。三種の宝伝へ来し。
すめらみ国は大君の。千世万世も治しめす国。
いざ国民よ君万歳と唱へかし。君万歳と祝へかし。
いざ国民よ君万歳と祈れかし。


「明治頌」は、諸外国の国歌をよく研究しただけあって、「君が代」や「扶桑」よりも西洋の国歌に近い構成になっています。ただ、あまりに長すぎることもあって、やはり国歌候補曲としては立ち消えとなりました。こうして見ると、シンプルな「君が代」の歌詞がいかに優れているのかがわかります。

④日教組の「緑の山河」
 ここからは、アジア太平洋戦争敗戦後の国歌候補曲を取り上げてみます。
 1947年5月、国民主権を原則とする「日本国憲法」が施行されました。このとき、天皇讃歌である「君が代」が新憲法の精神と矛盾するのではないかと問題になりました。その結果、様々な国歌候補曲が作られたのです。
 そのなかでも、もっとも「君が代」に強く対抗したのが、日本教職員組合(日教組)の制作になる「緑の山河」でした。日教組は「君が代」への反発から「新国歌」作成に乗り出し、その歌詞と楽譜を45万人いた組合員より募集。選考を経て、1952年に「緑の山河」を発表しました。
 その歌い出しは、「戦争(たたかい)越えて たちあがる みどりの山河 雲晴れて」というもの。敗戦後の雰囲気を今に伝える歌詞です。日教組では「緑の山河」を普及させるために様々な努力を行ったようです。ただ、教職員だけでは力不足だったのか、「君が代」に対する支持を崩すことはできませんでした。

日教組作成「緑の山河」のレコード。歌唱版は古関裕而、行進曲版は渡辺浦人の編曲になった。

 

 

 

⑤壽屋の「われら愛す」
 戦後の国歌候補曲の変わり種としては、壽屋が募集・制作した「われら愛す」という歌があります。壽屋は、現在のサントリーです。
 壽屋は、1952年にサンフランシスコ講和条約発効1周年を記念して「新国民歌」を募集しました。必ずしも「国歌」とは謳われませんでしたが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を見本としてあげており、単なる流行歌以上のものを求めていたようです。その1番はつぎのとおり。

われら愛す
胸せまる あつきおもひに
この国を
われら愛す
しらぬ火筑紫のうみべ
みすずかる信濃のやまべ
われら愛す
涙あふれて
この国の空の青さよ
この国の水の青さよ

 大和言葉を巧みに織り込んだ美しい歌詞でしたが、こちらもやはりほとんど普及しませんでした。それでも、「われら愛す」は「幻の国歌」などと呼ばれることがあります。また、今日でもこれを歌っている学校もあるそうです。

 ここにご紹介した国歌候補曲の歌詞は、近刊の拙著『ふしぎな君が代』に掲載してありますので、ご興味のある方はそちらをご覧いただければと思います。歴史を通じてみれば、「君が代」が実は様々な対抗馬を打ち倒してきた、力強い歌だったということがわかっていただけるでしょう。

……

<お知らせ>

2015年8月26日に『ふしぎな君が代』刊行記念イベント開催します! ゲストは元・一水会顧問の鈴木邦男さんです。

辻田真佐憲 × 鈴木邦男
政治と芸術に正しい関係は存在するか?
──『ふしぎな君が代』(幻冬舎新書)刊行記念

日時:2015年8月26日 19時~21時(開場18時)
場所:ゲンロンカフェ
http://genron-cafe.jp/access/

お申込み等詳細は下記サイトからどうぞ。
http://genron-cafe.jp/event/20150826/

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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