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日本の軍歌 国民的音楽の歴史

2015.08.23 公開 ツイート

「日本の軍歌」国民的音楽の歴史

第2回「軍歌大国」の黄金時代 辻田真佐憲

戦時下、「音楽は軍需品」として国民に広まった軍歌。レコード会社にとって戦争はまさに「商機」だった。娯楽として、儲かる商品として、戦争への動員の装置として日本全土に熱狂を生んだ軍歌は、黄金時代を築いていく。しかし、幸せは長くは続かない。景気が良かったのは、開戦から半年。転落の分岐点はすぐそこまで迫っていた。 

レコード会社の競争、「戦陣訓の歌」

 一九四一(昭和十六)年一月、東条英機陸軍大臣から「戦陣訓」が示達された。「生きて虜囚の辱めを受けず」という一節が、のちの玉砕や自決の原因になったと批判されるあの訓令である。

 しかし、これもレコード会社から見れば「商機」であったらしい。各社から「ぜひうちからレコード化を」という声が起こり、結果、ビクター、コロムビア、ポリドール、キングの四社が同名異曲の軍歌をそれぞれ作ることになった。

 そうとなれば、各社は持てる資材を投入して売ろうとする。キングなどは、人気小説家の吉川英治に作詞を依頼した。吉川の作詞した軍歌はこれが唯一だろう。吉川は「戦陣訓」に入れ込んでいたようで、同時期に発表した文章で「高い精神の哲学」などと持ち上げてしまっている。

 しかし、最も流行したのがビクターの「戦陣訓の歌」(梅木三郎作詞、須摩洋朔作曲)だった。作詞者は「東京日日新聞」の記者、作曲者は陸軍戸山学校軍楽隊の隊員で、戦後は陸上自衛隊中央音楽隊の初代隊長になった。

日本男児と 生れ来て 戦のに 立つからは
名をこそ惜しめ つはものよ 散るべきときに 清く散り
御国に薫れ 桜花

五条の 畏みて 戦野に屍 曝らすこそ
武人の覚悟昔より 一髪土に 残さずも
誉れになんの 悔やある
(全四番のうち一、三番)

「一髪土に残さずも」という部分は、一九七四(昭和四十九)年ルバング島から帰還した小野田寛郎陸軍少尉も口ずさんだといわれる。それだけよく広まったということだろう。また次章で触れるが、この軍歌は思わぬ影響を戦後の社会に与えることになった。


突貫工事で作られた、「大東亜決戦の歌」

 一九四一(昭和十六)年十二月八日。当時「大東亜戦争」と呼ばれた太平洋戦争は目覚ましい勝利と共に始まり、終わりの見えない日中戦争の閉塞感を払拭した、かに見えた。
これに備えるかのように、九月には「民心ノ鼓舞」を目的とした「演奏家協会音楽挺身隊」、十一月には音楽家の一元化組織「日本音楽文化協会」が発足した。また十月には一四の音楽雑誌が統合され、今日も続く『音楽之友』などの六誌が創刊された。こうした組織や雑誌をベースに、太平洋戦争期は軍歌が発信されていくことになる。

 さて、逸早く開戦に反応したのが、やはり軍歌懸賞募集の雄「毎日新聞」だった。翌日の九日にさっそく懸賞金一〇〇〇円(公債)で「興国決戦の歌」の歌詞を懸賞募集。締切りは十三日というタイトなスケジュールながら、最終的に二万五千余篇もの応募作を集めた。

 なお十二日に戦争の名称が「大東亜戦争」になったことを受けて、募集のタイトルも「大東亜決戦の歌」に改められている。戦争の名前すら決まっていない段階で募集をかけたというわけだ。

 十五日、コロムビア勤務の伊藤豊太の応募作が入選歌として発表され、十九日、海軍軍楽隊による楽譜が公開された。いかに大急ぎで制作されたかがわかる。
そんな突貫工事だったので決して練られた軍歌ではなかったが、その歌詞からは当時の勢いが伝わってくる。

「大東亜決戦の歌」など一部の軍歌は英訳された。若目田武次『英訳 聖戦詩集』。

起つや忽ち撃滅の かちどき挙る太平洋
東亜侵略百年の 野望をここに覆へす
いま決戦の時来る。

いざや果さん十億の アジヤを興す大使命
断乎膺懲堂々と 正義貫く鉄石心
いま決戦の時来る。
(全四番のうち一、四番)

 軍歌ほど当時のイデオロギーを簡潔に要約しているものもない。こうして、日中戦争をうまく処理できず太平洋戦争に至ってしまった経緯はうまく隠蔽され、米英の「東亜侵略百年の野望」を覆す「聖戦」として太平洋戦争のイメージが形作られたのだった。このイメージは、この後無数に作られる軍歌の中で反復されていく。

 

ニュース軍歌の傑作、「英国東洋艦隊潰滅」

 太平洋戦争でもやはり無数のニュース軍歌が作られた。緒戦の勝利を祝うものから、終盤の凄惨な玉砕戦を讃えるものまで、軍歌だけで戦局をなぞれるのではないかとさえ思われる。

 速報ではラジオに優るメディアはなかった。日本放送協会は開戦以来「ニュース歌謡」という枠を設け、十二月八日には「宣戦布告」、九日には「皇軍の戦果輝く」「タイ国進駐」、十日には「フイリッピン進撃」「長崎丸の凱歌」と、次々にニュース軍歌を繰り出していった。新聞社も雑誌社も、電波の速度と伝播力には敵わない。こうしてニュース軍歌はラジオのとなった。

 もっとも、日中戦争時の「放送軍歌」がそうであったように、時事的な軍歌は時代と共にすぐに忘れ去られてしまう。「ニュース歌謡」もその運命を免れなかったが、その中で異彩を放つのが、十日に放送された「英国東洋艦隊潰滅」だった。

 日本海軍は八日の真珠湾攻撃に続き、十日にはマレー半島沖で英国東洋艦隊の主力艦「レパルス」と「プリンス・オブ・ウェールズ」二隻を撃沈。これは、チャーチルが戦後に回顧録で「戦争の全期間を通じて、私はこれ以上のショックを受けたことがなかった。私はベッドの上で身もだえした」(毎日新聞社訳)と述べたほどの戦果であった。

 マレー沖海戦の勝利は、同日午後四時二〇分にさっそくラジオで速報され、国民を狂喜させた。ここで日本放送協会のプロデューサー、丸山鉄雄(政治学者・丸山眞男の兄)は閃いた。この勝利を「ニュース歌謡」にして八時の番組で流そうと。丸山はさっそく作詞を高橋に、作曲を古関裕而に依頼、歌手には藤山一郎を手配した。

 しかし、放送まではたった三時間ほどしかない。作詞と作曲はギリギリまで行われ、リハーサルも本番直前に一回のみだった。藤山もてっきり軍歌はできているものだと思ってスタジオ入りしたところ、高橋がまだ作詞中だったので驚いたと戦後回想している。

 ただ、なんとか放送には間に合い、関係者は胸を撫で下ろした。

滅びたり、滅びたり、敵東洋艦隊は
マレー半島、クワンタン沖に いまぞ沈み行きぬ
したり、海の荒鷲よ
見よや見よや 沈むプリンスオブウェールス
(全四番のうち一番)

 ちなみに、「英国東洋艦隊潰滅」は「ニュース歌謡」の中では珍しく好評だったにもかかわらず、レコード化はされなかった。日本放送協会がレコード化に積極的でなかったのかも知れない。

 これを惜しいと思ったのか、コロムビアはサトウハチローに古関のメロディに作詞させて「断じて勝つぞ」というレコードを作った。同月二十日にはもう吹き込んだというから、随分と利に聡いことであった。

 日本放送協会はこの後も「ニュース歌謡」として、「マニラ陥落」や「シンガポール陥落」などを放送する。しかし、これらはついに「英国東洋艦隊潰滅」ほどの印象を残すことはできなかった。

 

「軍歌大国」の黄金時代

「英国東洋艦隊潰滅」を企画した丸山鉄雄は、業務の傍ら音楽雑誌に辛口のレコード批評を寄せていた。丸山は(自分の仕事を棚に上げて)緒戦の勝利に浮かれた便乗レコードが気に入らなかったようで、一九四二(昭和十七)年三月号の『レコード文化』にて次のように批判を展開している。

 作詞も作曲も「結構で御座います」「誠に御尤で御座います」と、申上げるより外にない。
 大東亜戦争以来三月新譜迄に発売されたこの種の歌謡レコードとしては曰く「大東亜決戦の歌(ビクター、コロムビア)」、曰く「戦ひ抜かう大東亜戦(コロムビア)」、曰く「大東亜行進歌(キング)」、曰く「進め一億火の玉だ」、曰く「一億の決死隊(テイチク)」、曰く「一億の総進撃(キング)」、曰く「一億の総進軍(ビクター)」、曰く「総進軍の鐘は鳴る(コロムビア)」、曰く「十億の進軍(キング)」、曰く「国民総出陣の歌(コロムビア)」、曰く「枢軸軍総進軍の歌(ポリドール)」、曰く「必勝進軍(ポリドール)」、曰く「世紀の決戦(ビクター)」、曰く「生命かけての突撃だ(ポリドール)」、曰く「日本の決意(キング)」、曰く「頑張りどころだ(キング)」、曰く「断じて勝つぞ(コロムビア)」、曰く「僕等の誓ひ(コロムビア)」、曰く「やつたぞ万才(ビクター)」、曰く「感激の合唱(コロムビア)」、曰く「感激と感謝(ポリドール)」、曰く「打倒米英(コロムビア)」、曰く「撃て米英(ビクター)」、曰く「れ米英我等の敵だ(ポリドール)」、又曰く、又曰く、又曰く……と云つた有様だ。
 よくもかう似たり寄つたりのものを飽きもせず作つたものだと思ふ。
(一部読みやすいように読点を補った)

 確かに、こんなものを聴かされ続ければ、丸山でなくとも皮肉の一つや二つは言いたくなるだろう。こうやってタイトルを見るだけでも胸焼けがしそうなラインナップだ。まさに「音楽は軍需品」だった。

 このような便乗レコードは現在でも国立国会図書館や昭和館などの施設で聴くことができるが、これら有象無象に一つひとつコメントしていた丸山には同情を禁じ得ない。
ただもちろん、中には「空の神兵」(ビクター)や「戦友の遺骨を抱いて」(各社競作)といった評判のよいものもあった。また「艦隊勤務『月月火水木金金』」(ポリドール)のように、一九四〇(昭和十五)年に発売されたレコードが太平洋戦争を機にリバイバルしたという例も見られた。しかし、駄作連発のイメージを覆すには力不足で、以後、終戦まで便乗レコードに対する批判は止むことなく続いた。

 いずれにせよ、この一九四二(昭和十七)年前半は「軍歌大国」の書き入れ時だったのは間違いない。四月に発足した日本蓄音機レコード文化協会(現・日本レコード協会)の「設立趣意書」には、当時の音楽業界の認識がよく現われている。

 すなわち、「我蓄音器レコード業は長足の発展を為し、に欧米先進国を凌駕」したと「音楽大国」であることを誇示し、宣伝利用価値は「映画演劇等の及ぶ所にあらず」と音楽の優位性を説いた上で、日中戦争勃発以後は業界が「レコード報国」を率先して行ったために、軍部からは「音楽(レコード)は軍需品なり」とまで言われるようになったというのだ。

 まさに「軍歌大国」宣言であった。しかし、幸せは長くは続かない。転落への分岐点はもう目の前に迫っていた。

 

押し付けられる軍歌

 景気がよかったのは開戦半年までだった。一九四二(昭和十七)年六月のミッドウェー海戦の敗北、一九四三(昭和十八)年二月のガダルカナル島からの撤退、四月の山本五十六連合艦隊司令長官の戦死、五月のアッツ島守備隊の玉砕など、戦況はひたすら悪化の一途を辿った。帝国日本にとってここまでの苦境は史上初めてのことであり、軍歌も次第に狂気を帯びていく。

 その間の、一九四二(昭和十七)年十二月には「海ゆかば」が大政翼賛会によって国歌に次ぐ「国民の歌」に指定された。各種の会合で歌うよう義務付けられたこともあり、「海ゆかば」は一躍日本を代表する軍歌に大出世した。元々日中戦争で連戦連勝していた時に作られたこの軍歌は、「鎮魂歌」でもなんでもなかった。ただ今日そう呼ばれるのは、以後の玉砕戦の記憶と分かちがたく結びついているからであろう。

 また、一九四三(昭和十八)年には大政翼賛会の主催で一月から三月までと七月から八月までの二度に亘って「国民皆唱運動」が実施された。その際、七四曲が「一億総進軍の軍歌『国民の歌』」として「国民皆唱の歌」に選ばれた。

 そのラインナップを見ると、「海ゆかば」と「愛国行進曲」を筆頭に、「軍艦行進曲」「敵は幾万」「来れや来れ」「雪の進軍」などの明治期の軍歌、「愛馬進軍歌」「空の勇士」「露営の歌」「出征兵士を送る歌」「靖国神社の歌」などの懸賞募集歌、更に「暁に祈る」「燃ゆる大空」「さうだその意気」「愛国の花」「月月火水木金金」といった有名な軍歌が並んでいる。すなわち、これまで民間メディアや放送局などが作りためてきた軍歌が、ここで大政翼賛会によってまとめられたのである。

 大日本産業報国会などの他の統制団体でも、労働者を慰安し生産性を高める「厚生音楽」として軍歌がトップダウンで利用された。このため、この頃国民の間に「軍歌は押し付けられたもの」というイメージができあがったのではないかと思われる。

 同じ頃、音楽業界への締め付けも強くなった。一九四二(昭和十七)年以降レコード会社は英語のブランド名を次々に改称。「帝国蓄音器」の略称である「テイチク」はそのままでいいとして、「コロムビア」は「ニッチク」に、「キング」は「富士音盤」に、「ポリドール」は「大東亜」にそれぞれ衣替えした(ただし、「ビクター」は一九四三年に社名こそ「日本音響」に変えたものの、ブランド名はそのままで通し切った)。

 更に一九四三(昭和十八)年一月には「米英音楽の追放」(『週報』)としてジャズなど「敵性音楽」に対する取り締まりが本格化し、また十月には物資不足から音楽雑誌も再び統合され、ついに『音楽文化』と『音楽知識』のたった二誌となってしまった。

 おそらく今日の「軍歌」に対するイメージは戦争後半の二、三年間のできごとによって形成されたといっていい。しかし、それは日本の軍歌史の中ではほんの僅かな期間にすぎなかった。

 

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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