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2015.08.30

徴兵検査は大きな関門、儀式。
私もやっぱりそうだったね。
第3回『神聖喜劇 第一巻』

大西 巨人/のぞゑ のぶひさ/岩田 和博

徴兵検査は大きな関門、儀式。<br />私もやっぱりそうだったね。<br />第3回『神聖喜劇 第一巻』

 社会と人間、軍の不条理を描いた日本文学の金字塔『神聖喜劇 第一巻』(大西巨人・のぞゑのぶひさ・岩田和博)から、その一部を抜粋してご紹介するシリーズ最終回。あとがきに掲載された大西巨人さんの談話です。
 当時の風景、徴兵制のこと、淡々と語られる事実と、大西さんの抱いていた思いが、漫画版刊行から9年たった今も染み渡ってきます。

 

(あらすじ)驚異の記憶力を持つ東堂は昭和十七年一月、対馬の要塞重砲兵連隊へと配属。そこでの三カ月の教育期間に彼が体験したものは何か?漫画化絶対不可能と言われた日本文学の金字塔ついに出現!

 

徴兵検査


『神聖喜劇』は小説だから、私の実体験とイコールではありません。しかし、昭和十七(一九四二)年一月に「教育召集」を受けて対馬に行った補充兵という立場では、作中の兵隊たちと共通している。今の人たちには、集められた兵隊たちが〈三カ月経って「教育召集」が終ったら帰れるのだろうか?それともこのまま「臨時召集」になるのだろうか?〉と一喜一憂する背景が判らないかもしれないね。召集の前に、徴兵検査について話そうか。

 当時の日本は徴兵制−−明治六(一八七三)年徴兵令公布、昭和二(一九二七)年兵役法に改正−−が布かれていて、満二十歳になった男子は徴兵検査を受けた。そして、体格や健康状態によって、甲種(身長155センチ以上、後に152センチ以上)、乙種(身長155センチ以上、後に150センチ以上。第一乙種、第二乙種、昭和十四(一九三九)年の兵役法改正時に第三乙種制定)、丙種(体格、健康状態ともに劣り、現役には適さないが、国民兵役に適する者)、丁種(心身に不自由、障害があり、兵役に適さない者)、戊種(疾病などで兵役の適否を判断しがたい者。翌年再検査)が決まる。甲種合格の割合は、全体の三割ぐらいだったろうな。

 本来は、甲種と一部の第一乙種だけが「現役」として陸軍は(海軍は三年間)二年間の兵役に就くのだが、昭和十四年に抽選制が廃止されるまでは、甲種合格した人間でも、「籤逃れ(抽選で入営を免れる)」になる者が幾らかいた。第二乙種(第一補充兵)や第三乙種(第二補充兵)は、大きな戦争でもなきゃ、召集もされなかった。「国民兵」とは、「戦時もしくは事変に際し、後備兵を召集し、なお兵を要する時に限り、これを召集する」というもので、要するに、男であって甲種、乙種に該当しない全員だな、いよいよ負け戦となったら動員されるが、基本的には兵隊にはならんはずの者。実際、日本でも、戦争末期には、丙種の人間までも召集を受けるようになったわけだね。

 当時は、上級学校に在籍している者、あるいは卒業した者は、徴兵検査を延期されていた。これも戦争が進むにつれて変わって行って、延期年限が引き下げられたり、文科系統の延期が廃止されたりして、しまいには理科系統の人間でも学徒出陣になる。私の頃は、大学在学者ならば徴兵(検査)延期になるのだが、私は大学を辞めて本当は延期の資格が無くなっていたのに、役所の兵事係が間違えて卒業にしていたため、私が徴兵検査を受けたのは、昭和十五(一九四〇)年、もう新聞社(毎日新聞西部本社)に入ってからのことだった。

 当時の人間にとっては、徴兵検査は大きな関門、儀式だったろうな、私にとってもやっぱりそうだったね、時代がね。甲種合格すれば、これで戦争に行くな、という心境だった。ところが、検査の結果、背も小さくもないのに私は第三乙種になった。それには理由があってね。

 私は高等学校で野球部に入っていたが、その頃、トス・バッティングの球をビュツと投げた奴がいて、よけようとしたらそれが背中に当たったんだ。当時は、正式な免許は持っていないが見立てがいいというような医者がいてね、それが親類に出入りしていて、聴診器も当てずに「これは肋膜(肋膜炎。当時、多くは結核性のもの)」と診断した。それで、徴兵検査の時、胸部レントゲンを撮って、軍医が胸部の既往症はないかとかと訊くので、「十七歳、肋膜!」と私が言ったら、〈惰弱な奴が〉というような感じで「ウ~~……第三乙!」(笑)。なんとなく見かけが強そうでないところに、肋膜というのが似合ったのだろうし、肋膜は本人が気がつかないこともあるから、実際に写真に影が写っていたのかもしれんね。

 「第三乙」つまり第二補充兵と言われて、〈戦争へ行かないでいい〉とホッとして、家に電報を打った覚えがあるな。当面行かなくていいと喜んだが、友達相手とかならともかく、とても公言できる状況ではないよ、検査場では、なんとなく学校出の人間が固まったような感じだったが、その中に、麻生太賀吉(九州の石炭王、セメント王と呼ばれた人物。吉田茂の娘婿)の弟の典太がいた。これは小学校五年から中学に行った良く出来る男だったが、見るからに屈強で、「甲種! お国のためにシッカリやれ!」「ハイ!」とか言って喜んでいたよ。

 徴兵検査や簡閲点呼(在郷軍人の現状を把握するため、旧日本陸海軍で予備役、後備役の下士官及び第一補充兵を短期間召集して、点検査閲または教導する)は本籍地で受けることになっていたから、私は(福岡県)飯塚市で受けた。簡閲点呼は一日のことで、徴兵は検査から一年後、私は一度だけ受けたな。数十人が小学校に集まって、銃教練、匍匐前進などを在郷軍人の下士官から鍛われる。皆が引き上げた後、私は、校庭で真っ裸かになって水道で水浴びをして頭を洗った記憶があるよ。

 徴兵検査はもちろんだが、簡閲点呼む行かないことはあり得ない。それどころじゃない、簡閲点呼に来た一人が頭(髪)を伸ばしていたんだよ。点呼とは、たった一日のことなのに、全部坊主になるんだな。その中に一人、髪の長いまま来ていて、殴られたりはしながったが、ウンと怒られた上、そういう者がたまに現われるからだろうね、床屋が待機していて、適当な一角で早速バリカンで刈られてしまったよ。そしたら、円いハゲがあって、そいつはハゲを隠すために髪を伸ばしていたんだな(笑)。徴兵検査の時ももちろん全員が坊主になっていたが、いま話したような例外はあったかもしれないね。

 徴兵検査を受けるに当たって醤油を飲んで熱を出すとか、有力者が軍医に工作して甲種を乙種にしてもらうという種類の話はよく聞くが、そういう人間はいたのだろうけど、私は実際には知らないね。籤についても、インチキは聞いたことはない。消極的な反戦の行動として醤油を飲んだというような話は、戦後になって、本人はいいつもりで言っているのだろうが、〈今頃になって何を言うか〉と思うんだ、私はあまり信用しない。本当にそういうことをしたとしたら、消極的反戦ではなく保身だよ。

 戦争に負けて、ある意味でいい点もあるけれど、負けたことがいいとは必ずしも思わんよ、私は。戦争が終ってそういうことを言う奴がいるから負けたのだと思うね。しかし、醤油を飲んだ(苦笑)……反戦とかじゃなくて、兵隊に行って鍛われるのが厭で甲種合格しないようにしておいて、戦後になると、いかにも抵抗していたかのような顔をする−−人間としてしょうもない奴としか私は思わんな。

 それはちょうどこういうことよ、作家の舟橋聖一が十二月七日(日米開戦前日)に反軍国主義とか反戦とかと関係なしに、芸者を連れて田舎の温泉宿に行ってたんだよ。戦後になったら、いかにも反戦的な意味で芸者としけ込んでいたと言わんばかりだったが、そんな奴ばかりいたから戦後の日本がダメになったんだよ。そういうヤワな心で革命が出来るはずがない、だから今のように小泉のようなのが票を集めるようになって。いつの世の中にも、つまらない人間が多いと思うね……。


(まとめ・大西赤人)

 

 *本書の続きは、漫画『神聖喜劇』第一巻~第六巻をお手にとってご高覧ください。

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