戦地へ行った一兵卒たちが詠んだ短歌をひろい、紹介した『兵隊万葉集』(早坂隆著)。そこから一部を抜粋し、彼らの“生の声”をお届けする最終回。
 今の私たちと同じ、普通の生活をしていた人々が、戦地で何を見、何を思ったか。「彼らの心の叫びは、我々、後世の日本人にとっての精神的遺産である。そこにあるのは、寡黙の雄弁である」。たまたまその時代に生まれ、戦地へ行かなければならなくなった彼らのメッセージを、私たちは今あらためて、受けとめる時かもしれません。

 

「歴史は、われわれがこれから犯すであろう過ちについて教えてくれる」(History teaches us the mistakes we are going to make)とは、カナダの教育学者ローレンス・J・ピーター(一九一九〜九〇)の言葉である。

 また、東洋には「前車の轍(てつ)を踏む」という格言もある。これは正確には、

「前車の覆るは、後車の戒めなり。秦(しん)の世のすみやかに絶えし所以(ゆえん)の者は、其の轍跡(てつせき)見るべし(前を走る馬車がひっくり返ったならば、後を走る馬車は同じところでひっくり返らないように気を付けなければなりません。秦があっという間に滅んだ理由はその轍(わだち)の跡を調べればわかることです)」

 という言葉に由来する。

 私たちも、前を走る馬車の轍の跡をよく調べなければならない。しかし、ニーチェはシニカルにこんなことを言ってのける。

「一番車にはねられやすいのは、ちょうど一台の車をよけた直後だ」

 兵隊たちが詠んだ魂の譜は、生の戦争文学そのものであり、私的ノンフィクションでもある。だとするならば、我々は彼らの歌を、貴重な過去からの警句としてどう捉えればいいのだろうか。

 次に紹介する一首も、種としての人間が、生来より有する逃れられない矛盾を、痛烈に皮肉るようである。


昨日まで 火を噴かせけむ 銃身に
       コスモスそへて 行く兵のあり
                

―ー池田勇(『傷痍軍人聖戦歌集』S14・1)


 太宰治は『女生徒』の中でこう書いている。

「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの」

 確かに、花を見て美しいと感じるのは人間だけかもしれない。

 しかし、そんな人間が有史以来、飽くことなく行っているのが戦争である。なぜ、人は戦いを止めることができないのか? 「美しい花」の奪い合いを始めるからだ。「美しい花」を奪われることに恐怖するためだ。花を愛する気持ちさえも、戦争の要因になる。この哀しき現実を、私たちは理解しなければならない。
 

 

*この連載は、『兵隊万葉集』(早坂隆)からの抜粋です。続きは本書をぜひお手にとってご高覧ください。

 

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定