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2015.08.14

戦時下を「君が代」はいかに生き延びたか

第1回 歌う「君が代」は戦時下に完成した

辻田 真佐憲

第1回 歌う「君が代」は戦時下に完成した

1999年の国旗国歌法で正式に「国歌」として認められた「君が代」。実はこの歌は、明治期以降、波乱に満ちた歴史を歩んできました。特に戦争、敗戦、占領によって、扱いは大きく変わりました。日中戦争および太平洋戦争期には、「君が代」は神聖なる天皇讃歌の歌としてアジア太平洋地域に広く君臨。しかし、敗戦を迎えると、「日本国憲法」の精神に反すると批判されます。『ふしぎな君が代』から、「君が代」が戦時下をいかに生き残ってきたのかをお届けします。まずは歌い方の問題です。

 戦時下に完成した「君が代」の斉唱

「君が代」は何回歌うべきか。我々は今、当然一回だと思っている。ところが、事実上一回に統一されたのは、翌年に日米開戦を控えた一九四〇(昭和十五)年以降になってのことであった。
 「君が代」の斉唱回数については長らく明確な規定がなく、学校では一回、二回、三回などと対応が分かれたようである。「君が代」は歌詞として短いため、一回だけではもの足らず、複数回にわたって歌われるようになったらしい。中でも有力だったのが二回で、文部省が「慣例」としてこれを追認したこともあった。それでもなかなか全国的に統一を図ることができず、後年までずれ込んでしまったのだった。
 ではなぜ一九四〇年に一回に統一できたのだろうか。それにはこの年特有の事情があった。すなわち、一九四〇年は初代・神武天皇が即位してから二千六百年目に当たる佳節とされ、各地で記念式典が盛んに催されたのである。そのため、老若男女を問わず「君が代」を歌う機会がとても多かった。

「君が代」奉唱の様子。上が10日の「紀元二千六百年式典」。下が11日の同奉祝会のもの。『天業奉頌 紀元二千六百年祝典要録』(1943年、国立国会図書館蔵)より。

 中でも、十一月十日に内閣主催のもと皇居前広場で催された「紀元二千六百年式典」は、その中心をなすイベントであった。この式典では、臨席する昭和天皇と香淳皇后の前で参列者が「君が代」を歌うことになった。もはや歌い方は統一されていたが、回数についてはそうではなかった。まさか天皇の前で「君が代」がバラバラになってしまうわけにはいかない。そこで、内閣祝典事務局が歌う回数を一回と決めた。これは式典限りの決定にすぎなかったが、同式典がラジオで全国中継されたこともあり、以後は一回が新しい慣例となっていった。

「紀元二千六百年式典」の式次第。参列者の斉唱の他に、天皇・皇后の入退場時にラッパ譜「君が代」が吹奏された。『紀元二千六百年聖典記念録』(1941年、国立国会図書館蔵)より。

 ちなみに、この時の様子は映像で残っており、現在NHKのウェブサイトで観ることができる。興味のある方は、インターネットで「日本ニュース 第23号」と検索されるとよいだろう。約七万坪の会場を埋め尽くした四万九千十七人の参列者が、この日のために建てられた月華殿の玉座に向かって、陸軍軍楽隊と海軍軍楽隊の伴奏のもと「君が代」を斉唱するシーンは圧巻である。
 同じ「君が代」斉唱の風景は、翌日催された「紀元二千六百年奉祝会」の祝典でも繰り返された。おそらく各地方で催された記念式典の様子もおおよそ同じであっただろう。
起立して、姿勢を正し、「君が代」を一回だけ歌う。こうして「君が代」斉唱の姿は今日と同じになった。言い換えれば、現在我々が当たり前だと思っている「君が代」斉唱の風景は、実は戦時下に完成したものに他ならなかった。

厳格に管理された国民学校の「君が代」

翌一九四一(昭和十六)年四月、国民学校令が施行され、従来の小学校が国民学校に改組された。それに伴って、文部省令第四号「国民学校令施行規則」が出され、四大節(紀元節、天長節、明治節、一月一日)の儀式ではやはり「君が代」を歌うよう定められた。
この規則は、従来の「小学校令施行規則」(一九〇〇年)の焼き直しにすぎない。ただ、ほぼ同時に出された文部省普通学務局通牒別冊付録「礼法要項」では、儀式でいつどのように「君が代」を歌うべきか詳しく指定された。戦時下における「君が代」斉唱の実態がうかがえるため、次に一部を引用する。

天皇陛下・皇后陛下の御写真の覆を撤する。
この際、一同上体を前に傾けて敬粛の意を表する。
次に天皇陛下・皇后陛下の御写真に対し奉りて最敬礼を行ふ。
次に国歌をうたふ
次に学校長教育に関する勅語を奉読する。
 参列者は奉読の始まると同時に、上体を前に傾けて拝聴し、奉読の終つたとき、敬礼をして徐(おもむろ)に元の姿勢に復する。
次に学校長訓話を行ふ。
次に当日の儀式用唱歌をうたふ
次に天皇陛下・皇后陛下の御写真に覆をする。
 この際、一同上体を前に傾けて敬粛の意を表する。     (太字引用者)

 天皇・皇后の写真を設置していない学校では、写真に対する最敬礼の代わりに、「宮城遥拝」を行うこととされた。いずれにせよ、その直後に歌う「君が代」が天皇に対して歌う特別な歌であり、他の祝日大祭日唱歌とはしっかりと区別されていたことが見て取れよう。
 また、「君が代」は儀式以外でもしっかり教え込まれた。一九四二年に使用開始された国定教科書『初等科修身』二には、その名も「君が代」という項目が出現した。これは、前章で触れた『尋常小学修身書』巻四(一九三七年)の「国歌」という項目の改訂版とでもいうべきものである。
 ただし、戦時下であることを反映して、内容はよりナショナリスティックなものに改められた。

戦地で、兵隊さんたちが、はるかに日本へ向かつて、声をそろへて、「君が代」を歌ふ時には、思はず、涙が日にやけたほほをぬらすといふことです。
また、外国で「君が代」の歌が奏されることがあります。その時ぐらゐ、外国に行つてゐる日本人が、日本国民としてのほこりと、かぎりない喜びとを感じることはないといひます。

これに加え、国民学校では、場所柄をわきまえず「君が代」をみだりに歌唱・演奏してはならないなどと指導された。「君が代」はやはり神聖不可侵な歌であり、国民が愛国心の発露として気軽に歌う歌ではなかった。「君が代」は戦時下に一層重々しく、厳格に管理されたのである。

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