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2015.07.24

第十六回

二種類の白い粉

小嶋 陽太郎

二種類の白い粉

  いつだったか、コーヒーに砂糖とクリームを入れて飲んだらしょっぱかったことがあった。砂糖と思って入れた白い粉が砂糖ではなく、塩だったのだ。
 うちの台所にある砂糖入れと塩入れはまったく同じ色と形、デザインをしていて、それらは二十年も前に母が買ったものだ。白地に青のラインが二本入った、わりと大きめの陶器のポットである。砂糖入れには筆記体っぽい英語で「sugar」という文字が入っていて、塩入れにも筆記体っぽい英語で「sugar」という文字が入っている。
 砂糖が「sugar」に入っていることはとても妥当なことだと思うが、塩が「sugar」に入っているのは意味がわからない。そもそもどうして「sugar」を二つ購入したのか。ふつうに考えて、「sugar」があるなら同様のシリーズで「salt」もあったはずじゃないか。
 以前、それを母にたずねたところ彼女は「たまたまsaltがそのときお店になかったから、代わりにsugarを二つ買ってきた」みたいなことを言った。そして「sugar」にシュガーを、もうひとつの「sugar」にソルトを入れたようだ。すこぶるわかりにくい。この人はいったい何を考えているのだ?
 ぱっと見には見分けがつかない、しかし正反対の効果を発揮する二種類の白い粉をまったく同じ容器に入れて並べ置くということは、僕からすると少し発想が異常だと思わざるを得ないのだが、母親という生き物はどこの家でもこのくらいの感じなのだろうか。
 ガスコンロの奥のあたりにそれらの置き場所はある。だいたいの場合、向かって右が砂糖で左が塩である。容器では見分けが一切つかないから、右か左かという位置で判断するしかない。ただ、誰が入れ替えているのか知らないが、左右が逆になっていることが往々にしてある。だから、砂糖もしくは塩を使う必要にかられたときにはちゃんとふたを開けて、目で白い粉の質感をたしかめてから使う。
 砂糖は、たとえるなら削りたてのきめ細かいかき氷のような、ややほわっとした柔らかめの質感を持っている。なんとなくキラキラしている。漫画の効果で、かわいい女の子とか、かわいいお菓子の周りにキラキラしたスターダストみたいなものが漂っているが、それと同様のものを砂糖からは感じる。
 反対に、塩はちょっとゴツゴツしていて固そうである、粒も大きい気がするし、キラキラというよりはギラギラしている。南極付近で探査船を座礁させる尖った氷山みたいな、暴力的な雰囲気を全体に醸し出している。少量でもかなり効く、あの強い味と同じだ。
 そのあたりの質感を僕はきちんとたしかめてから、「ふむ、このメルヘンなキラキラ感は間違いなく砂糖だな」と納得してコーヒーに白い粉を入れたらしょっぱくて驚いたから、僕の目は一切あてにならないということが証明された。
 それはさておき僕が驚いたのは、塩コーヒーがそんなに絶望的な飲み物ではなかったということである。あれ、意外にいけるんじゃないかこれ……。僕はそのとき、そう思った。思いながら全部流しに捨てた。砂糖と塩を間違えたということに対する怒りというか、がっかり感がそうさせた。
 しかし考えてみれば巷では数年前から塩キャラメルだの塩アイスだの、塩ブームがおとずれていることだし、それをコーヒーに適用したってなんら問題はなさそうである。というかむしろ、塩コーヒーってすでに誰かしらがやっていそうだな……といま書きながら思ったので調べた。案の定やっていた。苦味が抑えられまろやかになり、逆に甘味が際立つらしい。むしろエチオピアでは古来からコーヒーに塩を入れていたとか、コーヒー通で知られる文豪バルザックもコーヒーに粗塩を……とか、いろいろ書いてあった。たぶんエチオピア人もバルザックも僕と同様、砂糖と間違えて塩を入れてしまい、それから塩コーヒーをたしなむようになったのだろう。
 もっと言えば、キャラメルに塩を入れ始めたやつとかも、「キャラメル、もっと甘くして食ったらうまいんじゃないかな」と思って砂糖を振りかけたところ、それが実は塩で思わぬ相性の良さに驚いた……というようなことなのではないかとにらんでいるのだが、どうだろうか。
 ところで母は「砂糖と塩なんて容器が同じでもちゃんと目で確認すれば間違えないから大丈夫」と豪語しているが、僕は小学生のとき母の作った「甘めの味つけにしようと思って砂糖を入れたつもりが間違えて塩を大量に入れた卵焼き」を食べて死にそうになったことがあるから、彼女の言っていることはうそだ。
 その卵焼きからは明らかに異様なオーラが出ていた。卵焼きが本来持っているはずのふわふわした優しさが見た目からまったく感じられず、妙にギュっと凝縮されたようななりをして固そうだった。異常に黄色く、見た感じがどこか気持ち悪かった。それが全身から発する無機物っぽい冷たいオーラに、小学生ながらに僕は果てしない違和感を覚えた。あれはいま思えば生物としての生存本能だったのだろう。この卵焼きは、なにかヤバい……。
 だけど母親が作ったものを気持ち悪いと言って食べないなんて息子としてひどいと思ったから、その違和感をなかったことにして、一切れ口にほうりこんだ。言葉では言い表せない刺激と、何より口中に広がるそのマズさに悶絶し、反射的にゴミ箱に吐き出した。しばらく放心状態になった。幼少期、父に無理やり食わされた蜂の子の五百倍くらいマズかった。いや、マズいとか、そういうレベルのことではなかった。「とにかく口から出さなければ」という危機感がすごかったことだけは覚えている。テロかと思った。
 そういう苦い(しょっぱい)思い出とともに、僕は今日もまったく同じ容器に入った二種類の白い粉を見極めようと思う。

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