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2015.12.28

光秀の子孫が恩讐を超えて解明した信長の真実!!

年末年始 連載(3)
信長の行動特性

明智 憲三郎

年末年始 連載(3)<br />信長の行動特性

【再掲】発売後から、また新たに熱い視線を浴びる『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』(明智憲三郎著)。従来の本能寺の変論とは違う新説を打ち出し、話題となった著者が今度は織田信長に挑んだ。そこで作品の中から気になるテーマを試し読み連載にて掲載。天才信長の頭脳を読み解き、驚愕の真実を目撃せよ!!

連載第三回となる今回の謎は、信長に対する苛烈・残虐のイメージはなぜ広まったのか?

 

 桶狭間の戦いが迂回奇襲戦であったという話を創作した軍記物『甫庵信長記』は小瀬甫庵が『信長公記』を盗作・改竄して書いたものだが、甫庵はその最後に「信長公早世の評」という章をわざわざ追加して、なぜ信長は早死にすることになったのかを解説している。要約すると次のことが書かれているが、これによって信長の苛烈・残虐なイメージが広まったものと思われる。

 一、守り役の平手政秀の諫言を聞かなかったように、孝行の気持ちが薄かった。孔子が言ったように不孝の罪は大きい。
 二、鬼神を敬い、神を祀らなかったので神に守られなかった。
 三、武道のみに力を入れ、文道をないがしろにして学問をしなかった。
 四、敵国の兵を皆討ち滅ぼし、仁政に背いた。
 五、高野山の聖を数百人殺し、高野山を滅ぼそうとした。
 六、信賞必罰に厳しく、昔の過失を理由に数人を追放した。
 七、諫言する家臣をもたずに政道に背くことをした。

 一方で、第二章で紹介したイエズス会宣教師ルイス・フロイスによる信長の人物評にもいろいろ書かれている。

「極度に戦を好み、軍事的訓練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。自分に加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかったが、幾つかのことでは人情味と慈愛を示した。貪欲でなく、非常に性急であり、激昂するが、平素はそうでもなかった」

「神や仏への礼拝、占いや迷信的習慣を軽蔑した。霊魂の不滅や来世の賞罰などはないとみなした。対談の際に遅延することやだらだらした前置きを嫌い、ごく卑賤の家来とも親しく話した」

「睡眠時間は短く早朝に起床した。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解には尊大であった。自邸においてきわめて清潔で自分のあらゆることを丹念に仕上げた」

「ほとんど家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。万事において人々は彼の言葉に服従した」

 信長はイエズス会を大いに庇護した人物なので好意的な書き方になることを考慮しても、家臣だけでなく自分も厳しく律し、軍事力を強化し、何事も合理的に判断し、大胆かつ忍耐強く行動するたくましい人物像が浮かび上がってくる。

 二つの評価は相反するように見えて、実は共通する点が多い。

 フロイスの言う「極度に戦を好み、軍事的訓練にいそしみ」は、甫庵の評の第三条の「武道(のみ)に力を入れ」に一致する。ただし、「文道をないがしろにして学問をしなかった」わけではない。

「正義において厳格であった。自分に加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった」は第六条の「信賞必罰に厳しく」に一致する。

「神や仏への礼拝、占いや迷信的習慣を軽蔑した」は第二条の「神を祀らなかった」に一致する。

「自らの見解には尊大であった。(中略)ほとんど家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。万事において人々は彼の言葉に服従した」は第七条の「諫言する家臣をもたず」に一致する。

 そこで、フロイスの評価も念頭に置いて第一条から順に非難の妥当性を評価してみたい。

 第一条の平手政秀の件は、第一章で謎解きしたように誰にも秘密にして大うつけを偽装していたことが原因であり、孝行の気持ちの有無の問題とはいえない。

 第二条の「鬼神を敬い」というのは史実としては確認できない。また、フロイスは「神や仏への礼拝、占いや迷信的習慣を軽蔑した。霊魂の不滅や来世の賞罰などはないとみなした」と書いているのであって、むしろ現代人からみれば信長の合理的な考え方を示していると受け取れる。

 第三条は、武道に力を入れたことは間違いないが、中国の歴史や兵法をよく学んでおり、「学問をしなかった」とはいえない。

 第四条は敵国の兵を皆討ち滅ぼしたわけではないが、比叡山焼討、長島・越前・伊賀での一揆の根切り(皆殺し)などをみると仁政に背いたという非難は当たっているようだ。

 第五条は『信長公記』にも天正九年(一五八一)八月十七日に高野聖を方々から探し出して数百人搦め捕って悉く処刑したことが書かれている。高野山が度々信長の命令に従わなかったためであり、不服従の相手に対する厳しい処罰であったといえる。

 第六条は天正八年(一五八〇)に譜代の重臣佐久間信盛などを追放したことを指しており、事実といえる。

 第七条はフロイスの書いた信長の人物評とも一致している。信長の政権は「信長がすべてを決済する体制」だったと評する研究者もいる。

 こうしてみると、第二条の「合理」、第四条の「根切り」、第五条の「厳罰」、第六条の「信賞必罰」、第七条の「独裁」、そしてフロイスの人物評に書かれている「自己規律」(早朝に起床、酒を飲まず、食を節し、清潔)が信長の行動の特性と思われる。

 それでは、この行動の基にあったものは何であろうか。従来、苛烈、残虐など信長の「感情・性格」に答が求められてきたが、それは本当であろうか。「信長脳」の中に何があったのか探ってみよう。

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