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2012.01.15

第一回

居直って 鏡の国にダイブする 四十の路はかくも険しき

内澤 旬子

居直って 鏡の国にダイブする 四十の路はかくも険しき

 やっぱり鏡がまずかった。
 すべてが鏡のせいだとまでは言わないけれど、鏡をあのとき買っていなければ、今の私はいないんじゃないかと思えてしょうがない。

 幅80センチ高さ150.5センチの正式商品名「割れない鏡」(J.フロント建装 税込27,090円)は、ガラスやアクリル板を使用していない。単なる枠にミラーフィルムをピンと貼り付けてある。そんなもんでも映しだされる像は極めて正確。ガラス板の鏡と素人目には全く変わらない。よくできている。たいしたもんだ。
 指で鏡面にそっと触るとなんとも言えない感触でたわみ、映っている自分の指や顔が押した分だけ歪む。その歪み加減は、水面を想起させる。

 素材と構造の関係上、鏡は恐ろしく軽い。その軽さ故に、私のような狭い部屋に住む人間にも、大きな鏡を設置できるようになったのだった。これまで二十年ほど使っていた姿見は、幅三十センチ高さ百六十センチほどで、鏡の中に全身をぎゅうと押し込めるようにして映していた。何を着ているのかは、なんとか分かるが、身体の両脇は断ち切り状態。そして恐ろしく重くて、部屋の隅に立てかけていた。

 新しい鏡は、服を収納している木の引き戸に掛けた。大きいのに軽いので、戸の引き具合も変わらない。全身を余裕で映す。

 ある男性は、学生時代から、髭を剃るための手鏡以外で自分の顔を見たことがないのだと言う。顔を洗えば目の前に鏡があるじゃないですかと訊くと、絶対見ないようにしているんだそうだ。とりたててよくも悪くもない、どうということない顔なのだが。驚愕した。

 人並みの女であれば、思春期の頃から一日何回も鏡を見て自分の顔をチェックする。私もそうだった。自分の顔は嫌いではない。好きな方だと思う。

 では身体はというと。
 思春期から全身くまなく映す鏡とともに過ごしてきた人は、そう多くはないだろう。私の子どもの頃、昭和四十年代の中流家庭の鏡といえば、洗面所の鏡以外では、和風にしつらえられた、高さ一メートルほどの引き出しつき三面鏡が、一般的であった。あれは着物を着るときに、帯の具合を見るのに良かったのだろう。いつのまにか椅子つきのドレッサーと、細長い全身を映す鏡が主流になった。

 思春期以降、全身を鏡でじっくり見たことなんか、なかった。姿見で、選んだ服のバランスをチェックするくらい。自分の裸を映してじっくり見るなんて、無理。どうでもよくなった体型コンプレックスがあたまをもたげて、死にたくなるじゃないか。どうでもいいけど、こんな身体、見ないで済むなら、見ないでいたいのだが。

 そんな私が大きな鏡を買おうと思ったきっかけは、ヨガ、なんである。

 ヨガをはじめて今年で六年目になる。はじめのうちは公民館みたいなところで開催されるものだったから、自分がどんな格好してるかなんて、気にもしなかった。そこだけでは物足りなくなって、もうちょっとパワフルなヨガをやっているお洒落なヨガスタジオに行ってみたらば、壁の一面が鏡になっていたのであった。

 当時の私といえば、だぶだぶのジャージにTシャツで、なるべく、なるーべく、一番後ろのはじっこに陣取る(初心者の間では競争率の高い場所で、ちょっと遅く行くと、とれないこともある)ようにしていた。なにしろ身体も固く、筋力もない。先生の指示通りに身体を動かすことができること自体が稀だし、たとえポーズがなんとかとれたとしても、静止していられない。
 ヨガの基本は深い呼吸にあって、どんなポーズをとるときも呼吸とともに行う。ポーズをとって静止しているときも、呼吸を止めてはいけない。先生が一番口うるさく言うポイントなので、なんとかかんとか、息を止めないようにはしていたけれど、果てしなく浅くなり、身体はガクガク震え、揺れまくる。たまーに鏡に映る自分の姿が視界に入ると、笑えてしまうくらい、みっともない。

 身体ってこんなにカッコ悪くてみっともないものなのか。全身麻酔の手術で、寝たきりに管をつながれた状態で、散々思い知らされたはずなのに、いやあ、まだまだカッコ悪いことは沢山あるものだ。

 大学の体育の授業以来、苦手だった運動も避け、そもそも中学生に上がって以来、縁のない海水浴もさらに縁なく、このままさらりと老人になれるだろうなんて、漠然と甘く考えていた。それなのに、2005年に38歳で癌を見つけて以来、なんの因果なのだろう。身体が自分に向かってぐいぐい迫って来るようになったのである。

 ヨガスタジオに行くのをやめるという選択肢も、当然あった。けれども、ヨガを終えたあとの身体の爽快感が、みっともない自分の身体を眺める苦痛に勝った。かじかんでこわばった身体の中がほぐれる感覚が、たまらなく気持ち良く、そしてすとんと落ちるように眠れるようになった。これさえあればもう何もいらない、というくらい、この感覚が欲しくなって、貯金を崩して週に三回もヨガをやるようになる。

 気持ち良けりゃそれで良かったのだ。
 はじめは、本当にそうだった。だから、ベテランの生徒さんたちが、肩丸出しどころか、上から下まで体型がピッチリ出るヨガウェアを着て、先生のまん前で、鏡に自分の姿を丸映しにして、カーッと自信たっぷりにポーズとっているのを見て、そんな恐ろしいこと、百年続けても無理、と思っていたのだ。

 それが、ねえ。
 何年目だろうか。三年目か四年目か。鏡に映る自分の姿も気にならなくなるどころか、だんだん腰骨や肩や膝の位置などが気になってきた。戦士のポーズをとったとき、膝が内側に入っていないかなど、ポーズのセルフチェックをするのに、率先して鏡を見るようになってしまった。チェックしやすいようにと、身体にぴったりしたヨガウェアも着るようになってしまった。慣れってものは恐ろしいものだ。

 そうして迎えた2009年。半年ほど豚の飼養取材のために、東京を離れて千葉の東端の廃屋に住むこととなった。なにが辛いかってヨガスタジオに行けないのが辛い、と真顔で言うくらい、私はヨガにハマっていた。地元のスポーツクラブを探したけれど、思うような授業は受けられそうにない。こりゃあDVDでやるしかあるまいと、幾つもネットで買いあさり、家ヨガ決行。豚小屋建設の合間に家ヨガ。

 ところが。廃屋の八畳間には、あたりまえだが鏡がない。これじゃあポーズのチェックができない。背骨の反らせ具合を、骨盤の傾斜角を、膝の角度を、腕がまっすぐ出ているかを、見たいのに。さんざん探した揚句に、戸板二枚にミラーシートを貼った。薄いシールなので、ぴっちり貼るのが大変で、気泡は入るし曲がるしで、かなりみてくれは悪かったが、背に腹は替えられない。鏡のように映すわけではないけれど、おぼろげにシルエットを映すだけでも、ポーズのチェックには役立った。

 そうしてあっというまに半年が経ち、豚を食べ終えて東京に戻って来た。しばらく東京に慣れず、スタジオに行く気も起きない。そう、一度家ヨガの快適さを知ると、時間に合わせて出かけたりするのが億劫になる。

 そんな折にみつけたのが、例の「割れない鏡」なのだった。幅八十センチならば、身体を横にしたポーズでも、半分くらいは映るだろう。家ヨガにちょうどいい。

 

 

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