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2015.07.01

『ぼくは愛を証明しようと思う。』

第4回 モテない僕の生活

藤沢 数希

第4回 モテない僕の生活

6月25日に発売された藤沢数希さんの戦略的恋愛小説『ぼくは愛を証明しようと思う。』。モテない27歳の弁理士、渡辺正樹が恋愛の師匠から科学的で実践的な恋愛論「恋愛工学」を教えてもらい、人生を変えていく物語です。早速、話題を呼び、さまざまな感想が飛び交っています。プロローグから第1章までをご紹介。恋人の浮気を知った渡辺は、失意のまま生活していますが――。

*cakesでは藤沢数希氏とAV監督の二村ヒトシ氏の発売記念対談を公開中です。

 

第1章 非モテコミットー3

                                                          ★

 冬の荒々しい風が、高層ビルの壁に吹きつけていた。
 2月の終わりのそんな寒い日に、僕を絶望の淵から救い出したのは美奈だった。
 彼女は法学部の学生で、週に2日か3日、青木国際特許事務所でアルバイトをしながら、資格試験の勉強をしている。
 オフィスに来ると、美奈からはじめてメールが届いていた。

 >わたなべさん、
 >
 >資格試験の勉強で相談したいことがあります。
 >いっしょにランチでもしませんか?
 >お返事待ってます(^_^)
 >
 >みな

 僕が麻衣子と別れたことは、彼女の耳にも入っているはずだ。これはひょっとしたら僕に気があるのかもしれない。特に顔文字のあたりがそう感じさせた。
 僕はすぐに返事を書いた。

 >もちろん。さっそく今日のランチは? わたなべ

 彼女はすでにオフィスに来ていた。壁際の机で、PCに向かって作業をしている。
 すぐに返事が来た。

 >ワーイ(*^-^*) みな

 こうして僕たちは、はじめてのデートをすることになった。
 事務所から5分ぐらい歩くと、芝浦の運河にたどり着く。そこのリバーサイドにあるおいしいイタリアンをいっしょに食べにいくことにした。
 席に着くと、美奈はコートを脱いでから、マフラーと手袋を外して、テーブルの横に置いてあるカゴに入れた。
 ふたりとも日替わりパスタを注文した。
 美奈は文系だが、科学に興味を持っていた。だからこそ弁理士事務所でアルバイトをしている。資格試験の勉強をしていると、どうしても文系の彼女にはよくわからないことに度々出くわすらしく、それを僕に聞きたいようだ。工学部出身の僕は、もちろんふたつ返事で彼女の家庭教師を引き受けた。

                                                         ★

 美奈とふたりではじめてランチに行った日から、1ヶ月が経った。
 桜の木々は緑のつぼみをふくらませ、花を咲かせる準備をしている。春の足音がすこしずつ聞こえてきた。
 僕の生活も変わった。たとえば、性風俗店に行かなくなった。彼女が事務所に来る日は、通勤電車の中で思わず笑みがこぼれた。
 美奈は、高級バッグを持ち逃げして、ひとつも連絡をよこさなかったあの女よりも、かわいくて、性格もよさそうだった。このまま美奈とつきあうことになれば、結果的にはよかったじゃないか。僕はいつデートを申し込もうか、そのチャンスを窺っていた。
 ところが驚いたことに、彼女のほうから誘ってきた。

 >わたなべさん
 >
 >いつもわからないことを教えてくれてありがとうございます(>_<)
 >じつは、今週の土曜日に引っ越すんですけど、手伝いにきてくれませんか?
 >
 >みな

 どうやら恋愛の女神様は、僕を見放してはいなかったようだ。僕は、ふたつ返事でOKした。あのひどい女と別れてからというもの、週末は常に空いていたからだ。
 車は美奈の友だちが用意しているので、僕は彼女の家に行けばいいだけとのことだった。
 引っ越しデートのことを思うと、その週はずっとそわそわしていた。仕事で忙しい中、自分の時間を美奈の家庭教師に捧げてきた。僕は彼女がわかるまで、いつもていねいに教えてあげた。もちろん、無料でだ。
 こうした僕の誠意が、ついに報われるときが来たのだ。

                                                         ★

 3月の最後の土曜日は快晴だった。
 風の感触は穏やかになり、太陽の光が柔らかくなってきた。春の気配は日一日と濃くなっている。
 午後1時、僕はネルシャツにジーンズという動きやすいかっこうで、大井町にある美奈のアパートに向かった。

「あっ、わたなべさん。来てくれてありがとうございます。どうしても私たちだけで運び出せなくて」
 美奈は僕を部屋の中に招いた。
 小綺麗なワンルームマンションの中には、穴がたくさん開いたジーンズに、黒のタンクトップの上にグレーのパーカーを羽織った男が立っていた。胸板が厚い。
 こいつは誰だ、と僕が思っていると、美奈がすぐに紹介した。
「彼氏の恭平です。エヘヘ」
「わたなべ先輩っすね。いつも美奈がお世話になってるみたいで、ありがとうございます」
 そいつは外見の割には礼儀正しいやつだった。このあと、新居で美奈とふたりきりになり、とうとう結ばれることを予定していた僕は、当然ながらショックを受けるとともに、この展開になんだか妙に納得した。
「わたなべ先輩の手を煩わせないために、朝からふたりでがんばってたんすけど、どうしてもこいつだけは男がふたりいるんっすよ」
 恭平はそう言って、一人暮らしにしては大きい冷蔵庫と洗濯機を指さした。
 美奈が小さい物をトラックに積み込んでいる間、僕は恭平とふたりで冷蔵庫と洗濯機を運ぶ作業に取りかかった。彼は慎重に僕とタイミングを合わせて、冷蔵庫を持ち上げた。それからふたりでトラックまで運び、ゆっくりと荷台に載せた。同じ要領で洗濯機も運んだ。
 とうとうトラックにすべての荷物を積み込み、僕たちは祐天寺の新居に向かうことになった。恭平が運転して、僕はそれほど広くないトラックの助手席に美奈とふたりで座る。狭い車内で、彼女の身体に密着できたのがすこしうれしかった。
 新居もワンルームだったが、前の物件よりも築年数がずっと浅かった。冷蔵庫と洗濯機を運び入れると、僕の仕事は終わりになった。
 玄関で、恭平は僕に礼を言うと、ダンボール箱を運んでいた美奈を呼び止めた。
「おい、美奈、お前もちゃんと礼言えよ」恭平はそう言うと、美奈の頭をつかんでお辞儀をさせた。
「わたなべさん、本当に今日はありがとうございます。あとは私たちでやります」
「どういたしまして」
 僕は祐天寺の駅にひとりで向かった。

 家に帰ると、ベッドに倒れ込んだ。
 勘違いしていた自分がくやしかった。馬鹿みたいだった。
 週末は再び寝込むことになり、僕は一歩も自宅の外に出られなかった。

                                                         ★

 日本経済という巨大な河の上に浮かんだ小舟に僕はひとりで乗っていた。
 河の流れに逆らう方向に、食欲と性欲をエネルギー源にして、沈没しそうな小舟をひとりで毎日漕いでいた。僕が小舟を必死に漕ぐ速さが河の流れの速さとだいたい同じぐらいだったので、僕はなんとか同じ場所に留まっていることができた。毎日、同じ景色を眺めていた。
 北品川と田町を往復する。寝る、食べる、通勤、山のような書類仕事、そして、風俗嬢の手の中や口の中でする射精。
 僕のこうした活動のすべてが、わずかながら日本経済に貢献していた。
 掃き溜めのような人生を漂っていた。
 恋愛というものはもはやどこか遠い世界の出来事に思えた。

 非リアの僕は、週末はいつもひとりだ。
 アパートからすこし歩いたところにある品川の運河の近くのカフェで、ラテを飲みながら本を読むのがささやかな幸せだった。
 かわいい店員がいたからだ。
 ある日、僕はひとりで本を読んでいると、突然、その店員が話しかけてきた。
「サンプルの新しいコーヒーです。よかったらお試しください」
「ありがとうございます」
 僕は小さなカップに入っていたコーヒーを、一口で飲み干した。
「おいしいですか?」
「すっ、すごくおいしいです」
 結局、会話はそれで終わってしまった。
 もっと別の言い方があって、そうしたら会話もはずんで、彼女と友だちになれたかもしれない、といろいろと想像してみた。しかし、そんなうまい話があるわけないだろう。僕は非モテだ。そんなことを考えながら、本を1冊読み終えた。
 僕は、ひとり家に帰ることにした。

「ちょっと、待ってください」
 店を出て、しばらく歩いていると、さっきの店員が追いかけてきた。
「はい」と僕はこたえる。
「これ、忘れてましたよ」
 彼女はそう言うと、文庫本をひとつ差し出した。
 僕の本だった。
「すいません。ありがとうございます」
「いえいえ」と言ってから彼女は本の表紙を見た。「アルジャーノンに花束を……。どんな話なんですか?」
 僕はかわいい女の子と会話をするというめったにないシチュエーションに緊張しながら、説明をはじめた。
「知的障害の青年がパン屋でずっと働いていて」と僕が言うと、彼女は興味深そうに黒目がちの大きい瞳で僕のことを見つめてきた。さらに緊張してしまう。「その青年の知能は6歳児ぐらい、つまり子供の心のままのおとなしい性格の青年だったんだけど、知能を高める手術の実験台になるんだ」
 彼女が僕の話を聞いている。
「それで、手術が成功して、頭がすごくよくなってしまうんだ」
「へえ」
「でも、そうなると、いままでに気づかなかったいろいろと悲しいことがわかって、主人公は苦しむことになる」
「なんか、面白そうな話ですね」と彼女は言った。笑顔がまぶしすぎる。「わたし、もどらないと。また、コーヒー飲みに来てくださいね」
「は、はい」
 と、僕はこたえた。

 カフェに本を忘れて、それを彼女が届けてくれたことは、この数ヶ月の間で一番いい思い出だった。いや、もっと長い期間で一番の出来事だったかもしれない。
 しかし、僕はどういうわけか、そのカフェを二度と訪れなかった。もう一度彼女に話しかけて、厳しい非モテの現実を突きつけられたら、この素敵な思い出も壊れてしまうと思ったからだ。それだったら、思い出のまま、彼女が僕の心の中にずっと住んでいてくれたほうがいい。

 僕は、いつの間にか27歳になっていた。
 

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