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2015.06.30

『ぼくは愛を証明しようと思う。』

第3回 愛していたのは僕だけ

藤沢 数希

第3回 愛していたのは僕だけ

6月25日に発売された藤沢数希さんの戦略的恋愛小説『ぼくは愛を証明しようと思う。』。恋愛に臆病になった男性たちに勇気を与え、また、女性たちには男性たちの考え方を伝授する本書。プロローグから第1章までの試し読み。前回、恋人の浮気を知った弁理士のわたなべくんは、彼女からの連絡をひたすら待ちます――。

*cakesでは、藤沢数希氏とAV監督・二村ヒトシ氏との発売記念対談も公開中です。

 

 


第1章 非モテコミット-2               

                    ★

 土曜日は何も喉を通らず、朝からずっとベッドで寝込んでいた。
「やっぱり本当に愛しているのはわたなべ君だけ。あんな外見だけの軽い男なんてどうでもいいの。本当に反省したから許してください」
 と、麻衣子が電話してくるのをずっと待っていた。

 僕には、真実を知ることにするのか、しないのかの選択肢があった。真実には、彼女が浮気をしている、あるいは潔白という2通りの可能性があった。つまり、携帯を見る前の時点では、

(1)彼女は浮気をしていて、僕はそれを知る
(2)彼女は浮気をしていなくて、僕はそれを知る
(3)彼女は浮気をしていて、僕はそれを知らない
(4)彼女は浮気をしていなくて、僕はそれを知らない

 という4通りの未来があったわけだ。
 結果的には(3)だった状態が、僕が携帯を見るというアクションで(1)になり、その結果、麻衣子を失いかけている。彼女の携帯を見なかったら、つまり、(3)か(4)の状態のままだったら、まだ、以前と変わらずつきあっていたことになる。結局のところ、僕は彼女が好きで好きでしょうがなく、彼女と別れたいなんてこれっぽっちも思っていない。だったら携帯なんて見るべきではなかったのだ。
 世の中には、知らないほうが幸せなことはいくらでもある。
 浮気をしたのは麻衣子で、それは世間の常識でいえば、彼女に非があるのかもしれないけど、こんな僕にたまにセックスさせてくれただけで、ありがたいことだと思わなければいけなかったんだ。だって、いくら浮気をされたといっても、こうしてひとりぼっちでいるよりはずっとましなのだから。

 結局、日曜日も、麻衣子からは何の連絡も来なかった。
 そして、月曜日の朝9時半には、なんとか出社した。というよりも、仕事でもしていないと気がおかしくなりそうだった。
 それから3日間、僕は黙々と集めた文献のリサーチを続けた。水曜日の夕方には、すべての資料をきれいにファイルし終えることができた。明日のミーティングで不備がなければこの仕事はひとまず完了となる。青木さんが言うには、ここでがんばっておけばアルファキャピタルから、また似たような仕事をもらえるとのことだ。

 僕は田町の駅前の本屋に寄ることにした。
 駅を出ると、目の前にTSUTAYAがあり、雑居ビルの向こう側には、物々しいNECスーパータワーがそびえ立っている。
 1980年代にはPC─98シリーズが大ヒットし「国民機」とまで呼ばれ、半導体生産でもこの会社は世界1位となった。スーパータワーはそんな絶頂期に建てられたものだ。しかし、インテルのCPUとマイクロソフトのウィンドウズを搭載したPC/AT互換機が、急速に世界市場でシェアを拡大し、PC─98シリーズは破れ去る。最近ではガラパゴス携帯でやはり時代の袋小路に入ってしまった。いまのこの会社には、巨大な自社ビルを建てたころの面影はない。
 何冊かの技術書を買ってから、僕は三田商店街のラーメン屋に行った。それから、いつものようにひとりで帰宅した。

                    ★

 木曜日の午後3時半、青木さんと僕は会議室にいた。
 アルファキャピタルの永沢さんが、受付兼事務の村西に連れられて部屋に入ってきた。甘い香水の匂いがした。30代半ばのこの女性が、所長の青木さんの愛人であることは公然の秘密だった。
 サラリーマンを辞めて、自分が作った特許事務所がある程度成功した青木さんは、金持ちになった。金持ちはひとり愛人を持つ、というのがどうやら世の中の決まりごとのようだ。僕も金持ちになりたいものだ。
 僕がファイルしておいた資料の説明をしたあと、丸メガネをかけた永沢さんは細かな質問をはじめた。
「やはり、このケースでは特許が無効になりそうか」
「そうですね。裁判は最後までわかりませんが、いちゃもんをつけて和解金をせしめるパテントトロールのように、僕には思えます」
「青木さんの意見は?」永沢さんが聞いた。
「出てきた証拠が大きいと思います。この論文に書いてある原理がそのまま使われているわけですから」
 青木さんも僕と同じ意見で、そもそも訴えの根拠になっている特許に正当性がないということだ。
 今回の仕事を通して、すっかり遺伝子解析にくわしくなっていた僕は、永沢さんと未来の医療の話題で盛り上がった。青木さんは、そうしたことにはあまり興味がなく、クライアントがめんどくさいことを言い出さないかが心配のようだった。
「ありがとうございます。思っていた以上の分析ですね」
 ミーティングの最後に、永沢さんは満足そうに言った。正直、僕は彼が何のためにこの裁判のことをこんなに調べているのかよくわからなかったけれど、とにかくこれでひと仕事が終わった。
「我々はこういったリサーチ業務もこれからやっていこうと思っています。いつでもお声がけください」
 そう言う青木さんは、ピンハネだけする楽な仕事だ。実際に時間のかかる作業をやるのは僕だというのに。
「今度、打ち上げでもやりましょう。いい仕事をしてくれたお礼に、おごりますよ。神楽坂にいい和食の店があるんです」
 永沢さんは、青木特許事務所での僕の株をかなり上げてくれたようだ。
 やはり仕事は、女と違って、がんばれば裏切らない。

                    ★

 ずっと無視されていた麻衣子から突然連絡が来たのは、クリスマスの1週間前だった。あの浮気発覚事件から2ヶ月近くが経っていた。
[しばらく連絡しなくて、ごめん。クリスマスに会いたいな。]
 僕は麻衣子と12月24日にデートの約束を取りつけた。めぼしいレストランはどこも予約でいっぱいだったけど、銀座のフレンチレストランに空きがあった。プレゼントは彼女が欲しいと言っていたバッグだ。30万円は、僕の給料からしたらかなり高い。痛い出費だったけど、僕は慣れない丸の内のブランドショップで、そのバッグを買っておいた。
 銀座の高級フレンチを予約したこと、プレゼントを買ったことをLINEで伝えると、彼女は[うれしい! 楽しみにしているね!]と返事をくれた。

 クリスマスイブは、仕事を早く切り上げて銀座に向かった。銀座はこれでもかというぐらいキラキラしていた。
 僕はレストランに先に着いて、彼女を待った。プレゼントは、テーブルの下に隠す。
 しばらくすると麻衣子が現れた。めずらしく遅刻じゃない。以前と変わらない笑顔だ。彼女は胸元が開いた白いシャツの上に紺色のジャケットを羽織っていた。
 よく冷えたシャンパンで乾杯した。
 プレゼントを渡すと麻衣子はすごく喜んでくれた。お互いにあの日のことは口にしなかった。クリスマスディナーは、フォアグラの前菜と、スープ、それから白身魚の料理と、牛肉の料理が出てきた。最後のデザートはワゴンから好きなケーキをふたつ選べた。僕たちはワインを1本空けた。正直に言えば、こんな値段を払ってまで食べるものかと思ったけど、そんなことはどうでもよかった。
 こうして再び会えたことが何よりもうれしかった。
 ホテルも予約してあることを告げると、麻衣子はちょっと困った顔をした。それから「ごめんね。まだ、そういう気分じゃないの」と言った。僕は麻衣子の気持ちを尊重し、素直に従った。ディナーが終わったら、麻衣子はどこかに行かなきゃいけない用事があるとのことだ。
 僕たちは有楽町の駅で別れた。

 予約しておいた赤坂のホテルにひとりで向かった。家に帰ってもよかったのだが、当日のキャンセルは100%料金がかかるとわかり、ひとりで泊まることにした。受付では、あたかも恋人が遅れてくるかのようなふりをしてチェックインした。
 時間をつぶすために、ホテルの部屋で映画を見ることにした。無料のいくつかの映画のなかから、『世界の中心で、愛をさけぶ』を選んだ。昔、話題になったときに小説は読んだのだけれど、映画はまだ見ていなかった。
 高校生のサクとアキの切ないラブストーリーだ。ふたりの愛に、僕は心を打たれて、思わず泣いてしまった。サクとアキはソニーのウォークマンで、カセットテープにお互いにメッセージを録音し、それを交換し合うことによってふたりの愛を深めていた。
 これだ!
 僕も麻衣子に声を届けようと思った。麻衣子の携帯に電話すると、期待どおりに彼女は電話に出ず、留守電に切り替わった。

「今日は久しぶりに会えてすごくうれしかったです。僕はもちろんいまでも麻衣子のことが好きです。大好きです。啓太の結婚式ではじめて麻衣子を見たときに、すぐに好きになりました。それから、いっしょにご飯を食べに行ったり、花火大会に行ったり、楽しいことがいっぱいあったね。これからもずっと、ずっといっしょにいたいです。連絡待ってます」

                    ★

 待てども待てども、麻衣子からの返事は来ない。
 僕は仕事に専念することにした。クリスマスのデートは僕の給料の1ヶ月分以上の出費だったので、それを取り戻さないといけないし、仕事以外にやることもなかった。年末も年始も、クライアントに依頼された特許出願の書類を作り続けた。
 クリスマスから1ヶ月が経っても、麻衣子からは返事が来ない。たまにLINEのメッセージを送ってみたが、一度も既読にならない。

 僕は、しばらく行っていなかった性風俗店に通いはじめていた。
 最近の僕の人生というのは、次のようなものだ。
 朝の8時半ぐらいに起きる。それから歯を磨いて、菓子パンやコーンフレークなどで簡単な朝食を食べる。9時半には会社に着いて、青木さんやシニアの弁理士に頼まれた仕事をPCの前でひたすらこなす。ランチはひとりで食べることが多かった。夕方の7時ごろには仕事を終えて、三田でラーメンか牛丼か定食を食べる。もちろん、ひとりだ。そのあとは、家でDVDを見たり、読書をしたり、PCでネットサーフィンをしたりした。夜の10時ごろには風呂に入る。それからまたPCの前に座り、ツイッターで有名人にやじを飛ばした。深夜12時ごろには、インターネットで無料のポルノ動画を見てオナニーをした。この時間帯はそうしたアダルトサイトがすごく重くなることから、インターネットにつながっている日本中のおびただしい数のPC画面の前で、僕と同じことをしている男たちがいるのだろうと想像できた。
 特許事務所では、誰もやりたがらないような書類仕事を朝から晩までこなす。その対価として得られた給料は、家賃に消え、食費に消え、光熱費に消え、すこしばかりの衣服を買った。それでも残った分は、1日に何本もペニスを咥える風俗嬢たちに飲み込まれていった。
 僕は誰からも愛されることなく、ひとりで生きて、そして、死んでいくのかもしれない。そう思うと心底恐ろしくなった。
 インターネットの匿名掲示板では、モテない男のことを「非モテ」と言う。ネットの中では楽しそうにしていても、実際は、無料のポルノ動画で毎日オナニーをしていて、現実世界では友だちも恋人もいないような男を、リアル(現実)が充実していないという意味で「非リア」と言う。週末は友だちとバーベキューしたり、恋人と旅行をしたりして、素敵な思い出の写真の数々をフェイスブックにアップしているようなやつらを「リア充」と言い、非リアはその反対語だ。
 僕は非リアであり、非リアな人間の多くがそうであるように、非モテでもあった。あるいは、非モテだから必然的に非リアなのかもしれない。

 気がつくと、麻衣子は僕の人生から完全にいなくなっていた。
 思いきって電話をかけてみたら、着信拒否にされていることがわかった。ネットで調べた、LINEがブロックされているかどうかがわかるという方法を試してみたら、やはり麻衣子にブロックされていた。
 もう会えないなら、はっきりとそう言ってくれたほうがはるかによかった。いままで誠心誠意尽くしてきたのに、とても残酷な仕打ちに思えた。
 僕は愛していたけど、彼女は僕のことを愛していなかったのだ。

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