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2015.06.21

第13回

詩人、アラブと抱き合う

文月 悠光

詩人、アラブと抱き合う

 帰国後、以前とは違う思いで日本を見つめる自分がいた。一ヶ月の旅は、同じ顔ぶれと共にした日々でもあった。作風も年齢もバラバラの四人の作家たち。互いのことを何も知らなかった私たちは、旅の中で同じものを見て、それぞれに違う感想を述べた。食事も、移動時間も、お祈りのときも、隣に自分と異なる心を持つ他者がいた。

砂漠の夕日をバックに。この旅で初めて出会った四人の作家。 左から、堀田季何さん(俳人)、中島桃果子さん(小説家)、私、鶴川健吉さん(小説家)。

 帰国して、戸惑いの渦に飲まれた。ひとりでご飯を食べること、道ゆく人の多くが日本人であること、誰ひとりアバヤやカンドゥーラを着ていないこと、自分が東京に暮らしていることが異様に思えた。毎日同じ人と顔を合わせて同じ予定を消化したい、そんな思いを引きずっていた。ドバイを移動する車の中で「帰ったら寂しくなるってわかってるんだけど……」と桃果子さんの肩によりかかった日。あれはいつのことだろう。人といることに慣れた私は、一人に戻って途方に暮れてしまった。
 けれど、出発前のゼロに戻るわけではない。以前はほとんど知らなかったドバイのことも、共に旅した四人のことも、今は近しく感じているのだから。もうこの四人で旅をすることはないのだと思うと、寂しさよりもまず不思議な気持ちが先立つのだ。

***

 ドバイ滞在の最終日、私たちは、ムハンマド・ビン・ラシード・アール・マクトゥーム財団のマネージャーであるJamal閣下の個人図書館に招かれた。Jamal氏は、私たちをドバイに招いた張本人。彼は、今後の滞在プログラムの予定を話し、お香を焚いたり、シリアの伝統的なお菓子を紹介したりしてくれた。そんな中、二つの鍋が運ばれてきた。

 片方はかぼちゃ、もう一つはさつまいもをペースト状にした素朴なお菓子だ。温かいプリンのような優しい味わいで、緊張がほぐれた。「アスィード(Ased)」と呼ぶらしい。このお菓子は今回の滞在プログラムに関する最初の会議でも出されたもの。お菓子で始まったプログラム。同じお菓子で締めくくることで、新たな始まりにつなげたい、というメッセージが込められている。
 私は旅の前半に出会ったある日本人男性の話を思い出した。詩に関する話題の中で、彼はなぜかこんなことを口にしたのだ。「目の前にお菓子が現れる、という偶然性を大事にしたい。バタフライ効果ってあるでしょう。一匹の蝶の羽ばたきが地球の裏側では嵐や津波を引き起こしたりする。だから、お菓子みたいな些細なものが大きな出来事を引き寄せるんじゃないかと思う」。なぜお菓子なのか? とそのときは内心疑問だったのだが、そうした些細な偶然にこそ、必然性が宿るのかもしれない。お菓子は、もてなす側ともてなされる側の関係を取り結ぶもの。お茶の時間を大事にするUAEの人々にとって、お菓子は大きな意味を持つようだ。
「このお菓子は、昔3時のお祈りの後にお母さんが手作りで子どもに出していた。手作りのおやつだから、家によって味も違いますし、その日のちょっとした加減で味わいが変わります。偶然から生まれる違いが良かったのです。しかし残念なことに、いまのUAEの女性は料理をしなくなりました」とJamal氏。
 近代化に伴い、UAE女性の生活は随分変わったらしい。日本を訪れることも多い現地の雑誌編集者は、「女性の方が男性より複雑な役割を求められる。女性に関しては、日本もUAEもそれぞれ違う問題があるが、こちらではイスラムの価値観と、急速な西洋化をどう両立させるかが課題」と述べていた。アラブの人々はスマートフォンが大好き。街中では皆iPhoneの最新機種を手に、Instagramやfacebookに興じている。これだけSNSが浸透していると、今までの暮らし、イスラムの価値観を保つのは難しいのかもしれない。

iPhoneを片手に電話をするUAEの人々。

 作品制作についてわからないことは何でも聞いてほしい、と言うJamal氏に、ある作家はこう尋ねた。
「プロフェッショナルとは何だと思いますか?」
 彼は一言「Way of life」と返した。「何をするときにもプロ意識を持つことです。感受性が高いのと同時にプロであることは難しい。あまりに敏感でいると、行動できないし仕事を失います。だからいい心をもって、ポジティブに歩んでください」。
 Jamal氏は詩集を出版している詩人でもある。彼自身にも、心が敏感な若い時期に詩の世界に没頭した経験があるのだろう。
 私は「社会にインパクトを与えながら、独自性(ユニーク)を保持することは、どうしたら可能になるでしょうか?」と尋ねた。Jamal氏はそれまでにも、良い作品の条件として「インパクト」と「独自性」を私たちに説いてくれたからだ。だが、日本では独自の表現を目指すほど、社会や大衆から離れていく(と信じられている)。
 彼はまず「〈天才〉と〈かしこい人〉の差はなんだと思いますか」と私に尋ねたあと、こう述べた。「ほかの人が解決できない難題を解ける人は賢い人。天才はほかの人が見えないものも、はっきりと見えてしまう。見えないものを表現して、人に見せることができる。そこが差です」と。「成層圏に入ってから、パラシュートで降りてきた人がいました。その人の発想はユニークであると同時に、社会に大変な衝撃を与えました。インパクトは独自性を反映するものと言っていいでしょう」。そして、今回のプログラムに絡めてこのように続けた。
「ドバイに来ることをいろんな理由で断った日本人もいました。でも、彼らには見えていなかった。あなた方がここにいるのは、『見えていた』から。(秘書のAbdelaziz氏を指して)はじめこのプログラムを企画したときは、彼には理解されなかった。でも、私と今村さん(日本側の財団の担当者)の間では『見えていた』んです」。
 Jamal氏に「見えていた」からこそ、私たちは呼ばれたのである。その場の質問に、ごまかすことなく正論で切り返す彼に、驚きを超えて打たれた。最終日にこのような時間を持てたことを感謝し、ドバイの体験を書き留めようと心に決めた。

日本人カメラマンが撮影したドバイの写真集を手に。
右から二番目がJamal閣下。

***

 三月中旬から約二週間、桜の花が開きはじめる頃、UAEの作家三人が東京に滞在した。私たちは彼らとミーティングの時間を持ち、日本のどこに興味を持ったのか、繰り返し尋ねた。
 作家たちの興味は、日本の伝統文化にあった。能の舞台空間、石を敷き詰めた日本庭園、神社での神前結婚式。彼らはそれらの中に日本の精神性、神秘性を強く感じ取ったようだ。「国民全員が、桜という一つの花の開花を待ち望むことにも驚いた」という。また、日本人の気遣いにあふれた仕事ぶりを見て、「ムスリムは一日に五回神に祈りを捧げるが、日本人は仕事を通じて神とコンタクトを取っているのではないか」と述べていたことも印象深い。

女性詩人Al-Hanoofは桜の木の下で、詩を朗読してくれた。 黒いアバヤと、桜の花のコントラストが美しい。

 女性詩人Al-Hanoofはアバヤの上に丈の長いダッフルコートを羽織っていた。日本作家が「よく似合ってるね」と声をかけると、彼女はこんなことを教えてくれた。
「そういうときは、アラビア語で『マーシャーア・ッラー』と言うの。『そのままでありますように』『神が美しいまま守ってくれますように』という意味よ」
 そのときは知らなかったが、後日調べて納得した。彼らにとって他人からよいと褒められた物は〈邪視〉の対象であり、「羨み」や「妬み」をかけられた縁起の悪い物になってしまうのだ。だから物を褒めたいときには〈邪視〉を回避するために「マーシャーア・ッラー」と言う。「神がお望みになられる限り」「神様に望まれて、あなたはそんな素敵なものを持っているのね」という意味合いだ。自分の持ち物は、自分で勝ち得たものではなく、神さまが与えた共同の財産。それを守るのも神さまなのだ。

 四月、UAE作家たちは無事ドバイに帰還した。お別れの電車の中で、ワン、ツー、スリーと頬を付けてハグをしてくれたAl-Hanoof。頬を付けるのは女性同士の挨拶なのだ。互いの右側の頬を付け、次に左側、再び右側、と合計三回、頬の触れるタイミングで軽やかに舌を鳴らす。ハグの瞬間、さらりとしたアバヤの布と、アラブのお香と、その奥にある温かな心に触れて、思わずついて行きたくなった。
 ありがとう…シュクラン!

 

***

〈詩人のドバイ感覚紀行〉は今回で最終回となります。連載を通じて、多くの方がドバイに興味を持ってくださったこと、感想を伝えてくださったことが何より励みになりました。本当にありがとうございました。
 連載中にドバイに関するイベントも開催でき、新たな手応えを得ました(ゲストで出演してくださった桃果子さん、ありがとう!)。詩人として書くこと、話すこと、詩の朗読などを通じて、これからも旅の体験を伝えていきます。
 またどこかでお会いしましょう。
 

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