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ツキが半分

2003.08.01 公開 ツイート

第13回

占いの勉強はカルチャーセンター通いから始めた。3年目でなんとかお金がとれるようになり、いよいよ来週の独立前夜に思うこと、あれこれ まついなつき

1週間後には、所属事務所というか、師匠のお膝元であるカーサ千駄ヶ谷という場所を出て、始めての講座をすることになった。

今年の5月にスタートさせた、全くの素人さんのための初級講座だが、その続きを継続してやるのだ。

それで、かなり緊張している。

本来は9月いっぱいまで、お膝元で講座ができる期限の猶予があったのだけど、講座に来てくださる人数が場所のキャパを超えてます、という、ありがたすぎる理由で、他の講座より一足先に自分で場所を借りて独立することになったのだ。

 

9月いっぱいで、現在行なっている講座の全てを引き上げるという方針が6月に決定したときは、ちょっとあわてた。即日、ネットの施設ガイドを調べまくり、安く継続的に借りられる場所を探しまわる。使えそうな公共施設や集会所も飛び込んでは条件を聞いてみるが、日曜日の昼間、不特定多数の集会、入場料の徴集といういう部分が次々とひっかかり、なかなか条件に合う場所がない。これは、ある程度貯金を崩すことになっても「いい場所」の確保のために、赤字覚悟で……ここかここか……でも……と商業貸しスペースの消極的な絞り込みをしていたときだ、友人から、夫が事業を立ち上げましたというお知らせをいただいた。その中に時間貸しのセミナールームの運営という項目があり、問い合わせみたら、こちらが求めていた条件以上に条件ぴったり。おもわず足に震えがくるくらいのタイミングで、私はあっさり次のステップに進む足場をみつけてしまった。場所、予約可能な日時、広さ、金額、全ての条件がぴったりクリアだったのである。

 

実は、趣味としてこういう世界(占星術)をやるのなら、貯金なんかいくら取り崩してもいいと私は思っている。趣味なら金と時間を湯水のようにかけることになんの問題もない。だって趣味なんだから。しかし、あることがきっかけで、「わたしはプロとしてやっていく」ということを決定してしまっていた。プロというのは、コスト上の採算が合ってナンボなのである。赤字覚悟で決行してプロとしての意味はあるのか? コストの合う場所が見つかるまで、講座の再開は延期しなければならないのではないか? その間にもともとの本業である、ライター仕事に少し身を入れて、お金を稼いでおいて……などと、ずいぶん弱気で、占星術の講座を継続していくことそのものに、少し揺らぎ始めたときに、条件ぴったり以上の場所がみつかった。

「わかった、じゃあそっちに行く!」

自分自身に私は叫ぶ。

 

ツイている。

単純にそう思った。

考えてみると、わたしの場合、いつもそうだ。

これまでの人生、この状態、どうすんのよ、きー! となると『ツイてるね』としかいいようのない状態になっている。ふらふら方針が決まらないのは、私自身の、どうすんのよ、きー! 力が足らんせいだ。調べが甘い、会う人に会っていない、やるべきことをやっていない、検討するべき項目が残っている。きー! となるのは、これらの自分がやるべきことを全部出しつくしたときだ。もう私が個人でできることはない、アイデアも枯れ果てて、選択の順列組み合わせも出し尽した、それなのに方向の決定できない、それで、きー! となると、まさに『ツイている』状況がやってくる。これは何も努力や根性という類いのことではない。ただ、これもやっておこう、あれもしておこうとなんとなく伸ばしておく触手みたいなものあって、それがぱたりと動かなくなるときに、もうあたしがやることないじゃん、きー! が来るのだ。

デビューしたとき、

子どもを産んだときも、

離婚したときも、

みんないつもそうだった。

ひとりでばかみたいにぐるぐる自転して、ぱたりと止まると、次の状況が降りてくる。

 

今回もそうだった。

そしてちょっと哀しい気持ちになった。

「うれしいけれど、やっぱり休めない」

100うれしい中の、0コンマいくつかの、吹けばとぶような哀しさを、わたしは一瞬で飲み込んで、新しい場所での講座の案内文を書きはじめる。書きはじめれば、もう120%楽しくて、何が哀しい気配だったのかすら忘れている。

 

それにしても、なんだかんだいっても、師匠である松村氏の名前があってこそのカーサでの講座だった。<虎の威を借りる>とは、文字通りすぎて笑えない。

飛び出てやっていけるのかな? と、本気で不安な直前一週間前。

集客数は、がっくり落ちると思うけれど、内容で少しずつでも積み重ねていくしかない。

飛ばし過ぎないように、自分が勉強を始めたとき、どんな講座が聞きたかったのか、どんな説明が役にたったのか、ひとつひとつを、何度でも繰り返して行こう。

とにかく一生のうち、2時間だけでも、ホロスコープから「自分で自分のこと考える」客観視する時間持ってみませんか? というコンセプトのまま、どこまで行けるのか。

私が全くのド素人(自分の太陽星座の意味、蟹座/家庭的くらいしかわかん)から、月に数時間の勉強を3年積み立てただけで、プロになれたのは、研究者としてすでに著名である松村氏が、素人相手に基礎の基礎からきちんと講座していた時期に、勉強を始めましたという、単なる運のおかげだ。現在、基礎講座を全然していない松村氏に直接、講座を受けられたというのは、マジで幸運だった。ツイていた。

その何十分の1かでも、わたしは受け取って、自分のなりに展開していけることができるんだろうか?

 

松村氏の主催している勉強会『虎の穴』講座の一貫として、初級講座を始めるときに「私、徹底的に敷き居低くしてやっていく方針なので、後は安心して、わけのわからないことやっていってください」と自分の気持ちの盛り上がりのまま、口走ってしまったことがある。なりゆきから事務所を一緒に借りて、机を並べることになったけれど、ずーっと私は、どうやれば、一番いい形で、師匠の元から独立できるのかということを虎視眈々と考えていた、その考えの盛り上がりがほとばしってしまい、前出のセリフになる。

 

一流の研究者である松村氏は、枠というかゴールを自身に設定していない。

自らが自らの説をどんどん破って広げていってしまうので、松村氏に追従していこうとすれば、それは一生彼の元から逃れられないという図になってしまう。追い付くというのは、全然違う。これはこういう解釈か、となんとなく辿りついた感を持ったときには、当の本人は、もうずーっと先に行ってしまっているのだ。「表面のことだけ追い掛けていたら、私は一生、追い掛けるだけで何もわからなくて、使えない人間だ」

宗教ならそれでいいのかもしれない。

ファミリーを作って、そこを肥えさせ、太らせていく。

しかし、彼は研究者であって、グルではない。

そして私は職業人であり、信者ではない。

 

私は、模倣というかコピーがとっても得意だ。

しばらくコピー元のそばにいただけで、それらしく見えるものを書いたり、しゃべったりできる。

「それが蟹座の特性だ」講座で松村氏は、そう言った。

さらに私は、いっけんめんどうなものやややこしいものを、わかりやすく解説したり、噛み砕いたりして表現するのも得意である。

「蟹座の大衆路線というのは、環境の材料をなんでもかんでも取り込んで消化して、出すところから来ている」これも松村氏の講座で聞いた話だ。

そいで「まついさんみたいに、多くの天体や感受点が蟹座に集まっている人は、蟹座のプロだよね」とも、これもとある講座というか、勉強会のときに言われた。

 

も、これで行こう。

私は蟹座の占星術をやるんだ。

研究に邁進したり、人の人生に直接介入してヒーリング系の鑑定したり、そこを目標にするのではなくて、自分が勉強をスタートして、曲がりなりにもホロスコープというものが読めるようになった過程、それを繰り返し繰り返し展開して広げていくような、ホロスコープを読めるようになるための手伝いを仕事にしよう、と思ったのだ。

 

だとしたら、誰に言われなくても、もう独立の時が来ている。

わたしは、それなりに最初の目標だった「ホロスコープの意味を読む」という技能は身に付いている。目標は達成しているのだ。

いつまでもそばにいて、助けてもらいたいという気持ちがないといったらウソになる。研究者として、第一人者の松村氏と机を並べている、それだけでどれだけ私の勉強ははかどり(門前の小僧は習わぬ経を読むのです)占いの仕事始めました、というときに心強い思いができたか。こんなラッキーは、私の人生の中でもうないことのような気がする。

 

一番最初に、個人鑑定のお客さんを観て、お金をもらったのもカーサでのことだ。

本当になにげないように料金を告げ、それを受け取る、クライアントさんを玄関まで送り出す。ドアを締めて、自分のデスクに戻ったとたん、感極まって「お金~、もらっちゃった~、やった~」と叫んでしまった。自分のデスクで原稿を書いていた松村氏が、ニヤリと顔をあげ「ちゃんともらっていたね~」と声を掛けてくれる。うわあああああ~、とまだ勝手に興奮している私だが、松村氏はすばやく自分の原稿に戻ってしまい、師弟な感じの情景としては本当に一瞬だ。

だけど一言声を掛けてもらったときの、あのゆるぎない喜び。

全く何も解らない状態で『月とは感情の天体です』という第一声から学び始めた私にとっては、あの一言がなんだか、卒業のイニシエーションだったみたいな気がした。うっかりそんなものに立ち会ってしまった松村氏だが、自分の生徒が自分の教えた技術を使って「お金を受け取る」という壁を乗り越えた瞬間を目撃したのは、けっこうめずらしいことだったんじゃないだろうか? 同じ部屋に何時間もふたりきりでこもっていても、ほとんど話すらしないというのが普通だったから(そんなヒマは当然ないので)、顔を上げて声を掛けてきたというのは、よっぱど私がうるさかったのか、その状態がレアだったのだと思う。

 

とにかくそんな小さな出来事のひとつひとつを思い出してしまう。

 

お金を受け取る自分の技術に関して、責任者というか、師匠がそばにそれとなくいてくれる環境というのは、ぬるま湯のように心地良いのだ。

 

でも、もう行かなくちゃ。

最初は、単なる趣味のつもりで。

おもしろくておもしろくて、気が付いたら、師匠のとなりに机並べて。

そして、いつのまにか収入に結びつくようになっていた。

それで、このストーリーは、いったん終わりだから。

 

2003年春~夏の瞬間的な計算値ではあるけれど、占い関係の仕事でのギャラが、本来のライター業での収入より、ずっと多くなっていた。

はっきりいって、書き下ろしの単行本がどしどし増刷でもかからない限り、私はライターとしての収入だけでは、子どもたち3人を食べさせていけるだけ稼げなくなっていた。占い系の活動に力を入れ過ぎたことだけが原因ではない。

出版不況と私のライターとしての半端な実力と年齢のせいだ。40代の女性が一番多く消費する広告主のおメガネにかなうような原稿を書けないということは、数年前から気がついていた。いわゆる高級ブランド品や、お受験などの幼児教育産業についての記事。

雑誌の世界で20年以上生きてきた自分には、年齢とテーマに細分化された雑誌特有の世界では、よっぽどこれ! ?というウリがないと、若い書き手と専門性を持つ書き手に、道を譲るしかないことが痛いほどわかっている。年齢の先を見ても、数年前から何冊も中高年向きのいわゆる更年期雑誌が創刊したが、美しくないグラビアとみじめなタイトルの立て方に、予想通りスポンサーがつかず、あっという間に廃刊に追い込まれていったのを少し複雑な気持ちを見ていた。

 

占いの勉強を始めたこと自体が、本当にツイていた。

 

そして、この講座の場所としても、自分の仕事場、事務所としても9月いっぱいで離れることになる、カーサ千駄ヶ谷というところでの2年間、ここでのあれこれと出入りしていたいろいろな人との出会いを書かなければ、このストーリーはまだ終わらない。

占いの勉強をすることは楽しくて簡単だけど、それを収入に結びつけるには、とてつもない敵がいて、その敵は自分自身だという、ちょっと抽象的で哀しい話をしようと思う。

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