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2015.11.22

大藪春彦賞作家が描く、戦慄の犯罪小説!!

試し読み連載(2)
「また学校でいじめられたの?」

柚月 裕子

試し読み連載(2)<br />「また学校でいじめられたの?」

【再掲】
注目の波がひたひたと押し寄せている長篇ミステリー『
ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子著)。ミステリー界期待の星として、大注目の柚月さんが今回挑んだのは、女性たちの抱える闇、欲望をリアルに描いた犯罪小説。そこで作品冒頭の50ページまでを試し読み連載(全六回)にて掲載!! 日常生活における人間の心の脆さを覗いてみて下さい。
連載第二回となる今回は、育児と家事の鬱々とした日々を過ごす主婦・文絵。彼女の心の病とは!?

 

 1 

 ダイニングテーブルの椅子に座っていた高村文絵は、スナック菓子を食べていた手を止めて、壁にかかっている時計を見た。
 午後の三時。迎えの時間だ。
 眺めていた女性向けの生活情報誌を閉じ、玄関に向かう。
 櫛を通していない髪を大雑把に手で撫でつけ、サンダルをつっかけ外へ出る。
 向かう場所は小松酒店だ。自宅から歩いて一分ほどのところにある。まだバスは来ていない。間に合ったようだ。
 店の脇に立っていると、ほどなく、道の奥から小型のバスがやってきた。子供が通っている幼稚園の通園バスだ。バス全体がパンダに見えるように、ペイントされている。通称、ルンルンバスだ。ルンルンというのは、パンダの名前らしい。園にはほかに、うさぎのピョンピョンバスと、犬のワンワンバスがある。
 市内に数ある幼稚園から光陽幼稚園を選んだのは、娘の美咲が、「ルンルンバス」に乗りたいとせがんだからだ。
 光陽幼稚園は「親の愛情がなによりも大切」をモットーに掲げていた。昼食は毎日手作り弁当だし、親子で参加する行事もほかの園より多い。
 光陽幼稚園の行事の多さは、三歳上の姉の美樹のときで懲りている。やれ花見だレクリエーションだと、月に二度は親子行事がある。そのたびに、まだおむつの取れない美咲を背負い、行事に参加した。毎日の弁当作りも大変だったし、多くの保護者が楽しみにしている行事も、文絵にとっては苦痛でしかなかった。行事で園に行くたびに、下の子のときはお昼は給食で行事が少ない幼稚園にしよう、と文絵は思った。
 だから、美咲が姉と同じ光陽幼稚園に行きたいと言い出したときは、ぎょっとした。あの手この手で、気持ちを替えさせようと試みる。しかし、美咲は光陽幼稚園のルンルンバスに乗りたいと言って聞かない。
 決め手は、夫の敏行だった。文絵が光陽幼稚園を嫌がる理由を説明しても、子供の気持ちが一番だ、と言う。一見、子供の意見を尊重するいい父親のように思えるが、そうではないことを文絵は知っている。姉と同じ幼稚園ならば、スモックや備品などがお下がりで使えるから経費が浮く。それが、敏行が光陽幼稚園を推す本当の理由だった。
 ルンルンバスが文絵の前で停まった。
 ドアが開き、美咲が跳ねるようにタラップを降りてくる。
 美咲の姿に、文絵は思わず顔を歪めた。昨日、洗濯したばかりのスモックが、赤や黄色の絵の具で汚れている。替えのスモックは一枚しかない。家に帰ったら、汚れたスモックをすぐに洗わなければ、また汚してきたときに乾いていないかもしれない。
「美咲ちゃん、また明日ね」
 ドアが閉まる前に、付添いの若い女の先生が手を振った。
「せんせい、さようなら」
 美咲も手を振り返す。ドアが閉まり、バスは文絵たちの前から走り去った。
 バスが見えなくなると、美咲は家に向かっていきなり駆け出した。
「待ちなさい、美咲! 手を繋ぎなさい! 車が来たら危ないでしょう!」
 文絵は千葉の松戸市に住んでいる。自宅は市の中心地から車で二十分ほどのところにある。細い道が入り組んだ古い住宅街で、普段からあまり車は通らない。だからといって、事故に遭わないとは限らない。よくない出来事は、往々にしていきなりやってくるものだ。
 美咲は文絵の言うことを聞かない。鬼ごっこでもしているかのように、全力で家に向かって走っていく。
「待ちなさいったら、美咲!」
 文絵は美咲のあとを追った。
 腹についた贅肉が、上下に大きく揺れる。文絵は全力で走っているのだが、傍から見れば、だらけながらもたもたしているようにしか見えないだろう。
 息を切らして家に戻ると、美咲はもう靴を脱いで家のなかへ入っていた。
 無事に家に帰っていることにほっとしながらも、言うことを聞かない娘に腹が立った。
「美咲、ママの言うこと聞きなさいって、いつも言ってるでしょう。事故に遭ったらどうするの!」
 ドアを閉めて鍵をかけると、ドアの内側についているポストを開けた。自宅に届く郵便物は、玄関に直接ついている郵便受け口から受け取る仕組みになっている。
 ポストのなかには、はがきが二枚、入っていた。レンタルビデオ店のダイレクトメールと、前に一度だけ購入したことがある健康食品会社からの、新商品を紹介する宣伝はがきだった。
 サンダルを脱いで家に入ると、文絵はろくに読まずに、二枚ともごみ箱へ捨てた。
「美咲、今日、幼稚園でなにしたの。昨日、洗ったばかりのスモックをそんなに汚して」
 文絵はリビングの床に放り出されている幼稚園バッグから、空の弁当箱を取り出しながら聞いた。文絵の声が耳に入らないのか、美咲は答えない。テレビの前に座って、お気に入りのアニメのDVDを、デッキにセットしている。
「美咲」
 文絵はもう一度、名前を呼んだ。
 返事もしない。
 文絵は弁当箱を流しに乱暴に置くと、リビングへ行き、美咲の手からテレビのリモコンを奪い取った。
「なにするの、ママ」
 美咲は、文絵を睨んだ。文絵も睨み返す。
「なにするの、じゃないでしょ。外から帰ってきたら、すぐに手を洗う約束でしょう。それから、スモックすぐに脱いで。洗うから」
 美咲が不満そうな顔をする。
「トトロ、みてからでいいでしょ」
「だめ!」
 文絵は強い口調で叱る。
 美咲はしぶしぶ、洗面所に向かった。手を洗う音がして、美咲がリビングに戻ってくる。そのままキッチンに向かい、食器棚の扉を開けた。
「ああ、ない!」
 美咲が叫ぶ。
「かえったら食べようと思ってたカプリコチョコ。ママ、食べたでしょ!」
 買い置きしていたチョコスナックは、昼食のあとにドラマを観ながら食べた。子供のお菓子を食べたことがばつが悪く、文絵は弁当箱を洗いながら言い訳した。
「美咲はいちご味、嫌いだったじゃない」
「それはおねえちゃん! あたしは好きだもん。ママ、ひどい!」
 美咲は声をあげて泣きはじめた。甲高い声が耳障りだ。
 文絵は弁当箱を洗いながら、先ほどまで自分が食べていたスナック菓子を顎で指した。
「ほら、そこにポテトチップスがあるじゃない。それを食べなさい」
 美咲は泣き止まない。地団太を踏んで、文絵を責める。
「やだ! カプリコチョコがよかったの! ママのばか!」
 水道の流水が、弁当箱の隅にあたって跳ねた。エプロンが濡れる。文絵はかっとなって叫んだ。
「嫌なら食べなきゃいいでしょ!」
 ピンポン。
 玄関のチャイムが鳴った。壁にかかっている時計を見る。三時半。きっと美樹だ。
 エプロンを外しながら玄関に向かった。
 やはり美樹だった。開けたドアの外で、唇を固く結び、目を赤くしている。
 文絵はやりきれない息を吐いた。
「また学校でいじめられたの?」
 美樹はなにも答えず、体当たりするように身体で文絵を押しのけると、家へあがった。まっすぐ二階の自分の部屋へ駆け込む。
「美樹、下りてきなさい。美樹!」
 呼んでも返事はない。おそらく自分のベッドにうつぶせになって泣いているのだろう。
 文絵は、ばらばらに脱ぎ散らかされている靴を揃えると、玄関の脇に揃えて置いた。
 リビングから、美咲の癇癪を起こしたような泣き声が聞こえた。
 悲鳴にも似た泣き声が、耳をつんざく。
 急に目眩がした。目の前に靄がかかり、思考が鈍くなってくる。
 −−ああ、まただ。
 文絵は壁に手をついて、ふらつく身体を支えた。
 解離が起こる前兆だ。
 幼少時代の辛い記憶を思い出したり、子育ての苦労やいまの自分の醜さを直視したりすると、解離の症状があらわれる。
 目を閉じ、激しく頭を横に振る。
 ——気をしっかり持って。
 だが、文絵の意思とは反対に、意識はどんどん浮遊していった。
 

※本記事は『ウツボカズラの甘い息』(柚月裕子著)の全464ページ中50ページを全六回に分けて掲載した試し読みページです。次回(第三回)更新は6月16日(火)を予定しています。

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