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2004.11.01

墓まいり

上原 隆

墓まいり

「ドアを開けたら、ヒヤーッていう冷たい風がきたんです」竹内敏子がいう。「社長、クーラーつけっぱなしで帰ったなと思ったら、靴があったんです。マンションだから靴脱ぐんです。なんだ来てんのか、じゃあ、コーヒー飲みに行ったのかなと思ってはいったら、首を……」竹内はいいよどむ。「私おろしました。なんかわかんないけど、はずしたら元に戻ると思ったんです」
 竹内と私は緑の桜並木の下を歩いている。ここは所沢霊園、10月の土曜日の午後。
 4年前に社長が自殺してから、竹内は毎月命日になると墓まいりをしている。26年間共に働いた社長と会社を失って竹内は落ち込んだ。自殺したいと思うようになり、心療内科に通った。仕事をする意欲もないし、人と会う気力もない日々が続いた。
「竹内さんは社長とは恋人の関係だったんですか?」私がきく。
「そんなんじゃありません。社長には奥様も子どももいたし、どちらかというと父親みたいな存在だったかな」竹内が答える。ジーンズにジージャン、ポニーテールの彼女は56歳には見えない。
 霊園内の道には車も人もいない。きこえるのは鳥の鳴き声だけだ。

 小さな頃に両親が離婚し、竹内は母親にひきとられたので実父を知らない。それで10歳年上の社長を父親のように思いたかったのかもしれない。27歳の時に離婚し、社長の会社に入った。印刷屋だ。電話番をしながら写植やレイアウトなどを教えてもらった。やがて会社は大手生命保険会社のPR誌を作るようになり、印刷部門を切り離し、編集プロダクションのようになった。社員は10人いた。竹内はライターやカメラマンの調整も企画も取材も経理も、なんでもこなした。

 10年くらい前から保険業界が不況になり、PR誌のページ数が減り、部数が減り、さらに組織変えがあり、PR誌の仕事を他社にとられた。その間、社員数を減らしつづけ、最後には社長と竹内だけとなり、おまけに6千万円近い借金が残った。
「社長、もうやめようよ」と竹内はいったことがある。社長は下の息子が国家公務員になったばかりで父親が会社をつぶしたとなると息子の立場が悪くなるからからダメだといった。そして「あんたかオレが倒れた時がこの会社の終わる時だと思ってくれ」といった。「わかった、じゃやろう」それから竹内は自分の貯金を会社のためにつぎ込むようになった。

 4年前には帳票の印刷といった小さな仕事が数件あるだけだった。
 保険会社の仕事をしていた関係で社長は多額の生命保険に入っていた。その保険金で、残っていた債務はもちろん、竹内がつぎ込んだお金、退職金もすべて支払われた。家族にも多額の遺産が残された。保険金の使い道はすべて社長が遺書にしたためていた。

「ここなんです」竹内がひとつの墓の前で止まる。畳3枚くらいの広さの墓だ。墓石には「益田家の墓」と刻まれている。
「益田さんっていうんですか」私がきく。
「益田新一です。このお墓、社長が建てたんです。ご両親がいっしょに入ってます」
 竹内は花立てをはずして洗う。手で墓石に水をかける。小さな白菊の束を置くと、数本ずつとって、茎を折り長さを整える。
「社長はお花に興味のない人だったから」竹内が花を生けながらひとりごとのようにいう。
「何に興味があったんですか」私はかたわらに立って竹内のすることを見ている。
「競馬はまあ好きでしたね。ね、社長」竹内が墓に向かって話しかける。「土曜日は私が10時頃出社して、社長が昼頃来て、いっしょにお昼を食べて、車で後楽園まで馬券を買いに行くんです。2時頃からしゃべりながらテレビを見て、4時頃になると『じゃ、そろそろ帰ろうか』って。社長の家は船橋で私の家は途中の大島だから、社長の車でダベリながら帰るんです。私は『コーヒーが飲みたい』って、社長は『ラーメンが食べたい』っていう時なんか、東大島にミスター・ドーナッツがあるんですよ。『私、コーヒー飲むから、社長飲茶セット食べな、ラーメンついてるから』って、『ついてきた海老シューマイちょうだい』とか、隣が本屋さんだったんでよく文庫本と競馬新聞を買って、ラーメン食べながら明日の予想して、『じゃあね』って帰ってった」
 竹内はろうそくに火をつけて立てる。紫色の線香を取り出しろうそくの炎の上にかざす。
「毎週土曜日はそうやって過ごしてたんですか」私がきく。
「そうね」
「社長は家庭が楽しくなかったんですかね」
「居場所がなかったみたい、『日曜日どっか行ったの?』ってきいたら、『ファミレスで本読んでた』とかいってたから、だいたい家でご飯食べない人なんです」
「じゃ、いつも夕食はどうしてたんですか」
「いっしょに外で食べたり会社で食べたり、会社にいろいろ置いてあって簡単な料理ならできるんですよ、だいたい2人とも9時くらいまでいたから」

 紫色の線香から煙が立ちのぼる。
 竹内は墓石の前にしゃがむと手をあわせて拝む。
 線香の匂いがあたりを覆う。
「何を報告していたんですか」私がきく。
「両国に江戸東京博物館っていうところがあるんです」竹内は私を仰ぎ見ると笑う。「そこの案内ボランティアになったんです。それが楽しくって、はじめて社長のいない寂しさを忘れました。『ごめんね』って、そしたら、社長が『居場所ができて良かったな』って」

 竹内は立ちあがるとバッグから「CABIN」と書かれたタバコの箱を取り出す。
「上原さんタバコ吸えますか」
「はい」
「このタバコに火をつけてくれませんか」竹内は1本のタバコとマッチ箱を差しだす。
 私はタバコをくわえて火をつける。ひと口ふた口吸って、火がついたのを確認して竹内に渡す。彼女は線香立ての横にタバコを置く。
「もちろん」私がきく。「社長の自殺は計画的なものだったんですよね」
「税理士さんにあてた遺書の日付が3月31日だったっていうんですよね、亡くなったのが8月25日ですから、かなり前から覚悟してたんです。それを近くにいた私がなんで気づかなかったのか、それがいちばん悔しい」
「社長ってどんな方だったんですか」
「せっかちでおっちょこちょいで」竹内は思い出したように小さく笑う。「なんでもポンポンいう人で、けっして隠し事なんかできるような人じゃないと思ってたんですよね。たとえば、営業から戻ってきて、『ただいま』って入ってくると、『お帰りなさい』っていって顔見た時に、〈あ、今日はお茶じゃなくてコーヒーが飲みたいんだな〉ってなんとなくわかるんですよ、それで『はい』ってコーヒーを出すと『え、まだいってないよ』って、『ちがうの?』『いや、いいのこれで』って、なのにどうしてそのことはわかんなかったんだっていう……」

 竹内は背を向けるとバッグから雑巾を取りだす。しゃがみこみ墓石の濡れたところを拭きはじめる。
「濡れたままにしておくと苔がはえるんですよね」
「お話しをきいていると」私は竹内の背中にいう。「お二人にとって会社は一種の家庭のような感じだったんですね」
「社長も会社も仕事も、私のど真ん中にあったことは確かです、それがスコッとなくなったもんだから苦しいんです」
 竹内は枯れた枝やゴミをビニール袋に入れる。
「その前日、帰ってきた時に」竹内がいう。「『今日冷麺もらったけど食べる?』ってきいたら、めずらしくいらない『いい』っていった。後で考えたら、それまで『いい』って返事はきいたことがなくて、『ラーメン食べてきたから』とか『コーヒー飲んできたから』とかっていうんだけど、『いい』って。元気なかった。暑かったから夏バテかなーと思った」
 タバコの灰が長くなっている。

「6時過ぎぐらいに、岩本町のお客さんから電話があったんですよ。で、そこに行くって、そこに行くといつも打合せが長くなるんですよ。『岩本町行くから先帰っていいよ』っていうから、『うん、わかった』っていって、そしたら7時くらいに戻ってきて、『あ、早かったんだー』っていったら、『うん』っていって、で私はもう帰ろうと思ってたから、『じゃ、帰るね』っていったら、『ああ』っていったのか『うん』ていったのか、なんか短い言葉だったと思うんですけど、それが最後でしたね」墓石を見て話していた竹内が私の方をふり返る。目が涙でいっぱいになっている。「その日は家に帰ってないんですよ。たぶん寝てないと思うんですよね。夜に飲んだと思うんですけど、500ミリリットルの缶ビールと枝豆の皮が置いてあったんですよね。それを見た時に、どうせなら、なんでもっとおいしいものを食べていかなかったのって……」とうとう涙があふれて言葉が続かない。竹内は泣いている。
 燃えつきた線香が灰となって落ちて重なり、枯れた松の葉のようになっている。

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