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2004.08.01

希望のない部屋

上原 隆

希望のない部屋

「性感マッサージをはじめたら上を脱ぐんです」浅岡めぐみ(22歳)はいう。「その時は、お客さんは、さわってもなめてもいいんです」
「おっぱいをなめてきますか?」私がきく。
「なめてきますね」彼女はイヤそうな顔をする。
「あなたがおちんちんをさわる時は素手なんですか?」
「素手です。ローションとかパウダーを使っていかせるんです」
「他にどんなことをやってるんですか?」
「前立腺マッサージもあります。そらから、Mの客向けにSプレイもします」
「ムチで叩いたりするんですか?」
「しますよ。格好は注文に応じて、ボンデージだったり女子高生だったり。女子高生の支度しててルーズとかはいてる時に、何やってるんだろうって思うんです。こんなことするために生きてんじゃないのになーって」
 ここは吉祥寺駅近くのマンションの一室。四方にすだれがかかっていて、そのうしろに電球があり、弱くて赤い光を放っている。部屋の中央に蒲団が敷いてある。浅岡は紺色の浴衣に山吹色の帯を締めている。髪をアップにして、耳には大きなイヤリングが揺れ、浴衣の裾から出ている足には銀色のペディキュアが塗られている。
 浅岡めぐみと何度か会って話をきき、風俗店で働いているというので、どんなところなのかを見にきたのだ。早番といって、彼女は昼の12時から午後の6時まで、ここで働いている。

 浅岡が物心ついた頃から、両親は不仲だった。父親は家に帰らず、母親は精神を病み、小学校4年生の時に2人は離婚した。浅岡には脳性麻痺で左半身不随の弟がいて、ふたりとも父親の実家にひきとられた。小学校6年生の時に父親が自殺をした。中学生になると浅岡は不良になり、援助交際以外の悪いことはすべてした。高校1年生で退学し、旅館の仲居として働いた。2年間働き、クビになり、生活保護を受けている母親のもとへ転がり込んだ。ガソリンスタンドで働き、結婚し、子どもを生み、離婚した。娘をかかえてスナックで働き、昼間の仕事を求めて転々とした。

「離婚してからすぐに、本の営業をやったんです」浅岡は低い声でボソボソと話す。「大学とかに売るような分厚い本を電話で営業して売るんですけど、向こうが頭のいい人たちだからバカにされて、ぜんぜん売れない。その次にやったのが借金の取り立て、これも電話でやるんですけど、夜スナックで働いているから眠くて眠くて、続かないんです。その次がデパートの地下の魚屋の店員、これもちょっと休んだら『もう来なくていい』っていわれるし。結局、資格も学歴も何もないから限界があるんですよ」彼女は頬にたれている髪を何度も手ですく。
「ちょっと冷たいものを持ってきますね」そういうと浅岡は立ちあがり、引き戸を開けて出ていく。蒲団の上にはバスタオルが2、3枚敷いてある。男はここに来るとまず、服を脱ぎ、シャワーを浴び、バスタオルを腰に巻いて、蒲団の上に横になるのだという。

 中学生の時から離婚するまで、浅岡の男関係は途切れたことがなかった。誰かに依存したいという気持ちが強いのだ。しかし、どの男とつき合っても満足できなかったし、何かが足りないという気持ちになった。彼女の心には深い穴があいているのだ。

 浅岡がお盆に麦茶のグラスを載せて入ってくる。そのお盆を私の前に置く。私たちは蒲団の左右に座っている。私は落ち着かない気分なのだが、彼女はリラックスしている。ここが彼女の毎日の仕事場なのだなと思う。
「いつも自分のいる場所に満足できないっていうか」浅岡は天井を見て話す。私の目を見ない。「だからといって、自分からいい方向へ行動しようとしない。なぜか悪いほうへ行く。どんどん、どんどん、どん底に落ちていこうとしてて、たぶん、それを誰かに止めてもらいたい、救ってもらいたいって気持ちがあるんだと思う。そういうダメな自分でも受け入れてくれる人がいるんじゃないかって思うんだけど、ぜんぜん、そんな思いは叶わないし……」
 薄暗い部屋で彼女は独り言のようにボソボソと話す。浅岡の声は低くてハスキーだ。

 となりの部屋から女性の高い声が聞こえる。私は声のするほうに顔をむける。
「私も仕事の時はあんなですよ」浅岡が小さく笑っていう。
「演じるんですか?」
「ぶりっこをね。恋人みたいな気分で会話するんです」
「いまみたいな話し方じゃないんですか?」
「こんなふうに素で話したら、お客さんは二度と来ないですよ」
「この仕事をどう思ってますか?」
「イヤだし、好きじゃないけど、私には向いてる。まともな仕事には向いてないけど、男の人と関わる仕事には向いてるらしい。まともな社会では生きづらいんです」
 浅岡はたたんでいた足を伸ばす。白い足先が私の方にのびてくる。

「4月に保育園に娘を迎えに行ったら、『お父さんが良かったのに、なんでお父さんじゃないの』って、そのひとことがすっごいショックで……」浅岡は深いため息をつく。「私は自分の居場所を作るために子どもを生んだのに、ここにも居場所はないんだと思って、それから眠れないとか食べられないとかが続いて、で、お酒を飲んで、手首を切って、なんか精神的におかしくなって」
「その時に、そばに子どもはいたんでしょう?」
 浅岡はうなずく。
「泣いてたら涙拭いてくれたりとか、『どこにもいかないから』っていってくれたりとか、『どうしたの? 手切っちゃってー』とかいうんです」
「子供心に不安になったんでしょうね」
「結局、私も母親と同じようなことをしてる。この子も親のダメなとこ見て、私と同じようになっちゃうのかなーって、10歳とか15歳になった時がこわいですよ」

 遺伝子や生育史の中に自分をダメにする要素があり、それが自分の中でうごめいていると感じる時、どうやって自分を保ったら良いのだろう。

 私は無神経なふりをしてこうきいてみた。
「あなたの希望は何?」
「ないですね」彼女は即座に答える。「どうしたいとか、どうなりたいとか、何がしたいとかないんですよ。どうせ、いまさら無理だろうなーって思えて」
 22歳で、したいことがなく、希望がないという。
 私にいったい何がいえるだろう?
 私は考えた。
 ただひとつ、いえることがあるとしたら、それは、こんなふうに浅岡が自分のことを話せること、たぶん、ここに彼女と母親との違いがあり、違う道を歩ませる力になるのではないだろうか。

「時々、一番つらいことを思い出します」浅岡は蒲団に視線を落としている。「まだ小さかった頃、お母さんが蒲団の上の虫を払うんですよ。精神がおかしくなって、虫が見えるみたいで、こうやって、何度も何度も払うんです。そばで私はそれをずっと見てました」

 マンションのドアを出ると、外の強い日差しに射すくめられて、一瞬目を開けていられないほどだった。

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