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2015.05.17

第10回

詩人、魚の目をつかむ

文月 悠光

詩人、魚の目をつかむ

 異国で初めて知った食の味わい方。誰かと共にする食事がこれほど新鮮で、刺激的なものだったとは。帰国してからも、折に触れて思い出すことがある。パンを焼く男の手つきと、あの魚の目の感触を。

2015年1月30日
 ドバイの会社で都市計画に関わる小澤学さん、建築デザイナーの難波千帆さんがドライブに連れ出してくれたこの日。第3回で紹介した労働者の居住地区のみならず、地元の人々ご用達の様々な場所に立ち寄った。今回はその中から、食べものに関する場所を辿っていこう。

 

冷たいフルーツジュースで暑さを凌ぐ。撮影:小澤学さん

 外を歩くだけで汗ばむ、夏のような日だった。午前中に立ち寄ったのは、車道に面したオープンカフェ。ドバイでは新鮮なフルーツを使ったフルーツジュースが安くたっぷり飲める。マンゴー、いちご、バナナ、ざくろ、キウイ、アボカドなど、思いつく限り何でも揃っている。冷たいぶどうジュースでのどを潤し、カフェの周りを散策。隣の建物は、地元の人だけが利用するモスクだった。庭には草木が生い茂り、トイレの入口にたくさんのスリッパが並ぶ。祈りの場というよりは、地域の公民館のような趣があった。カフェとモスクは隣り合わせ。お祈りを終えた人たちも、カフェで休息を取るのだろうか。

 

レバニーズのパン屋さん。ショーケースにズラリとお菓子が並ぶ。量り売りのようだ。

手早くサンドイッチを切って包んでくれた。

 レバニーズ(レバノン料理)のパン屋さんでお昼ご飯を調達。店内には山のようにパンが積まれ、焼き菓子がプレート一面に敷き詰められている。ホットサンドイッチを注文すると、目の前で手早く切って、紙に包んでくれる。地元のビーチに持ち込んで、ピクニック気分を味わった。薄いパンの中にチーズやひき肉がたっぷりで、とても美味しい。

 

とても賑やかなフルーツマーケット。撮影:小澤学

 昼下がりに立ち寄ったのは、フルーツマーケット。たくさんの量をお得に買えるとあって、市場はお客さんで賑わっている。こちらの野菜は日本のものより大きく、色鮮やか。茎についたままの緑色のバナナ、大根のように巨大なナスや、赤いネットの袋がはち切れそうなほど詰められた玉ねぎ、山積みのマンゴー。男たちが空の荷台を引いて声をかけてくる。購入した人は荷台の男にお金を払い、フルーツを車まで運ばせるそうだ。ニーハオニーハオ、と客寄せの声も陽気で(残念ながらこちらは日本人だが)、扇風機にあたりながら座って接客する姿など、店員たちはのんびりした様子だ。

 

撮影:小澤学

 夕方、古びた商店の前に車を停める。立ったままぼんやりと夕空を見つめていると、小澤さんがカフェでテイクアウトした熱いチャイを差し入れてくれた。発泡スチロールのカップに口をつける。この時間になると、だいぶ暑さは和らぎ、涼しい風が吹くようになる。ちょうど礼拝が終わった頃合いらしく、近隣のモスクから人々がお喋りしながら、まばらに出てきた。

 

左からベーカリーショップ、レンタルショップ、カフェ。撮影:小澤学

 並び立つ商店を、くもったガラス戸越しに覗き込む。パキスタン系のベーカリーショップと、家電のレンタルショップ。どちらも閉まっているようだ。カフェの入口にまどろむ野良猫を、店員らしき男が蹴落とす。猫は機嫌を損ねるでもなく、店員の足元にまとわりつく。餌を待っているのだろうか。猫を観察していると、不意に背後が明るくなり、人が集まり始めた。振り向けば、閉まっていたベーカリーショップに明かりが灯り、釜の前に若い男が腰を下ろしていた。これからパンを実演で焼くらしい。

 

瞬く間にパンを焼き上げていく男。撮影:小澤学

 パンパンッと男が手で勢いよくはたいた生地は、薄く伸びて、釜の中に張り付けられていく。焼き上がれば、長い棒に引っ掛けて素早く取り出し、積み上げる。薄いナンのような大きなパンが瞬く間に焼けていく。

大きなパンに驚く千帆さん。

 千帆さんからパンを少し分けてもらう。小さくちぎって食べてみると、薄い塩味がついており、香ばしくて美味しい。この1枚が1ディルハム。およそ30円だ。私たちがパンを食べていると、同じようにパンが焼けるのを待っていたおじさんが「Pakistan is strong!」と嬉しそうに笑った。このパンはパキスタン人の労働者には欠かせない味なのだろう。その素朴な味わいを、しっかりと噛み締めた。

 華やかな街道の裏には、砂漠の遊牧民・ベドウィン族の血を引く人々が住む。薄暗く静かな住宅街で、表通りの高層ビルとギャップを感じながら、魚のレストランに向かう。
 店の外まで続く行列に並ぶと、キッチンがそのまま注文の窓口になっていた。スパイスで真っ赤に染まった魚を取り上げながら、調理人が直接会計を行う。私たちは地元の魚の定番〈シェリー〉と〈ハムール〉、それからエビを注文。魚の種類は選べるが、味付けや調理法に違いはないようだ。辛いスパイスのソースをまぶし、丸揚げにするのだ。こんな大きな魚を丸揚げ……。話に聞くだけでも豪快だ。

 

魚を取り上げながら会計に立つ店員。右の鍋に入っているのは大量のエビ。

 調理には40分ほどかかるため、待ち時間を利用して夜のビーチを散歩する。闇は果てしなく続き、そこに身体も溶けてしまったよう。昼間の賑やかさとは異なる静けさだ。砂浜にタオルを敷いて仰向けになり、皆で星空を見上げる。思いの外たくさんの星が見える。砂の冷たさが背中にじんわりと染みて、波音が遠のいては近づく。波そのものは闇に紛れて見えないが、耳の感覚が鋭くなるのが分かる。束の間、身体の芯がほぐれていった。

 

見た目が悪いのは仕方がない。

 お腹を空かせてレストランに戻り、野外に設置されたテーブルにつく。周りには観光客らしい欧米人の家族連れもたむろしている。紙皿とプラスチックのコップが配られ、丸揚げの魚とエビの大皿が一挙にやってきた。暗闇の中に湯気が立ち、魚とエビの香ばしい匂いが迫った。平べったいナンと、カレーソース、付け合せの生の玉ねぎ、キャベツ、ライムを手で混ぜて、自分好みの味つけにする。
 暗闇の中、使えるのは手のひらだけ。紙皿の上は相当ひどい有様のようだが、幸いよく見えないので気にならない。第一、手だって魚の脂とカレーにまみれているし、似たようなものだ。2種類の魚の片方〈シェリー〉は少し甘みが強い。〈ハムール〉も味は蛋白で食べやすく、辛さが食欲を刺激する。
 熱い魚に手を伸ばし、指で骨を一つ一つ探っていく。尖った骨に触れたときの痛み、生温かさに震える。皆と同じ魚に手をつけていることに、不思議な一体感を覚えた。形だけ配られていたフォークも、皿の外に投げ出してしまった。

「あ、目玉掴んじゃった」
「ここ細かい骨があるから気をつけて」「誰かエビをどうぞ」
 暗がりで見えるのは、皿の上を行き来する相手の手元だけ。だんだんと食べることに没頭してくる。信じがたいほど大きかった魚が、気づけば小さくなっている。一面を食べ尽くしたら、今度は裏返して骨格が見えるまで食べ尽くす。闇に仄白く浮かぶその姿に、思わず生きていた魚を想像する。夜の闇に泳ぎ出す、シェリーとハムール……。

 

フラッシュを焚くと、見えなかった惨状がカメラに写り込んだ。

 骨だけが残る皿を見て、反射的にシャッターを切る。フラッシュを焚くと、見えていなかったテーブルの惨状が写り込み、皆で苦笑いした。見えないからこそ、味わえたのだろう。命を食べ尽くした快さに、胸も胃袋も満たされていた。
「見えない」力に助けられた夜だった。

 

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