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2012.05.15

第五回

足をあげ さげてはあげて またあげる
それで割れゆく腹は容易し

内澤 旬子

足をあげ さげてはあげて またあげる<br />それで割れゆく腹は容易し

 2011年10月。バレエ教室に通い始めておよそ四カ月目。私はバレエ廃人になりつつあった。

 7月から9月までは実にいろんなことがあった。9月には、元配偶者から離婚届けにようやくハンコをもらえた。8月の猛烈に暑いさなかに甲子園球場のイラストルポ取材を入れ、原稿を入れたとたんに二週間近くタイに遊びに出かけてしまった。ホントはタイで『飼い喰い』の書き足し原稿を書くつもりだったのだが、もちろん少しは書いたのであるが、海辺のコテージで涎を垂らして寝ころび、砂浜で犬と遊び呆けて、あんまり思うようには進まなかった。
 私が原稿を書くのに一番適しているのは、悲しいことに街場のカフェらしい。今もカフェでこの原稿を書いている。
 帰国翌日にあわてて離婚届を区役所に提出。パスポートの氏名と戸籍名が変わると帰国するときに入管が入れてくれないことがあるという、洒落にならない話を聞きかじったため、タイから帰国してから提出することにしたのだった。
 そんなこんなで8月にバレエに通った日数はごくわずかである。身体が鈍るのを恐れてタイのコテージでヨガはしていた。こういう時には便利である。
 そもそもヨガを始めたきっかけは、乳癌の術後に猛烈に疲れやすくなってしまったからなのだった。乳癌が見つかる前後から、もともとなかった体力が激落ちしていた。
 普段日本にいるときすらもへろへろなのに、旅先の取材となると、脳も身体も疲れ果てているのに、ベッドが合わずにうまく眠れないことが多くなる。帰国してからぶっ倒れることも多かった。このあたりのことは『身体のいいなり』に詳しい。
 ヨガはやっぱりありがたい。旅先のホテルの僅かな空間でも、目一杯動くことができるのだ。腰を延ばして、背中にかけて捩じって、胸郭を開いて身体の隅々まで呼吸をたっぷり入れれば、身体も気持ちもほぐれ、ぐっすり眠ることができる。
 先月(2012年4月)のイスラエル取材は、たまたま通訳さんがヨギー(ヨガをする人)だったため、北部の大草原で、彼方に広がるゴラン高原を見ながらヨガをしていた。さすが蜜と乳の流れる土地、と思ったが、この世の楽園かと見まごうばかりに、花と緑に溢れるのは春のほんの二カ月くらいのことで、その後、緑鮮やかな草は枯れ果て、茶色に焼けた荒地と化すとのこと。恐ろしくも厳しい土地なのだ。ともあれ一番良い季節に取材ができて、外ヨガまでできて、実に気持ち良かった。

 話を戻す。9月は9月で忙しかった。離婚にともなう嵐のような名義変更手続きの上に、地方講演があり、さらにその直後に講談社エッセイ賞の授賞式があったのだ。
 そもそもやさぐれた気持ちで書きなぐった『身体のいいなり』が、そんな大層な賞をいただくことになるとは思ってもみなかった。評価していただいたのは大変嬉しかったが、ものすごく焦った。
 ヒトサマの耳目を集めなければ本は売れないので、なるべくインタビュー取材などには応え、ラジオやテレビの出演も一切断らず、本の宣伝にせっせと励んでいるわけであるが、本音を言えば、家でゴロゴロ寝ているだけで本が売れてほしいのだった。
 沢山の人が集まるところ、というだけですさまじく苦手なのに、拍手されて祝福される立場に自分を置くなんて、考えただけでナチュラルキラー細胞がバタバタと死んでゆく。つくづくと非ヒメ体質である

 二次会に誰をお呼びすればいいのかも、自分だったらそんな騒がしいところ、行きたくねえな、まっぴらごめんだぜと思うあまりに、申し訳なくて、リストアップするだけでまたナチュラルキラー細胞が続々と斃れ伏してゆく。相手の意向により、まだ離婚を公言できなかったことも、大きかった。相手が同業者というのは、こういう時には本当に面倒である。
 しかしまあ、沢山の人が関わってくださって授賞に至ったのである。さすがに大人なので、逃げるわけにもいかず、綺麗なドレスを着て、気分をがっつり上げまくってなんとか乗り切った。
 そんなわけで、授賞式の後は似合わないことをした自己嫌悪で、しばらく自閉してしまったのだった。情けないことである。

 もくもくと眠り、本を読み、ヨガに行って身体をほぐし、さあ、仕事再開、次の本『飼い喰い』刊行に向けて原稿見直し頑張るぞ!! おーっ!!
 となるのが通常の職業人のスタンスというものだろう。しかし9月後半、はっと気がつくと私はほとんど毎朝バレエ教室に通っていたのであった……。

 当時『飼い喰い』も『もう一周! 世界屠畜紀行』も、連載が終了している。8月9月は頑張って単発の仕事をいくつか入れたものの、それすらもない10月。さすがに『身体のいいなり』関連の販促にまつわる仕事も、一段落している。当たり前だ。
 早いところ単行本作業を進めなければ、現金収入のあてがない。ちょっとはいただいている連載はあるけど、ホントにちょっとしかない。フリーランスは自転車操業なんだから、仕事しなくちゃ。仕事。

 第一バレエのレッスンは午前中のたったの二時間足らずなのだ。午後はたっぷり仕事できるはずではないか。
 とんでもなかった。中級ヨガクラス、一時間半をゆとりを持って受講できるようになっていた私であったが、Kバレエ教室のレッスンは、それを上回る運動量なのであった。

 クラスが終わると、全身汗でびしょびしょになるので、まず家に帰ってシャワーを浴びて、昼食を食べて、ふうー、とひと息ついたとたんに、身体は弛緩し、筋肉が気持ちのいい悲鳴をあげる。
 部分的にぶるぶる震えているところもあることだし、ちょっとだけ横になって本読もうかなっと、ゴロっと布団に転がった瞬間に、かっくーんと寝落ちしてしまうのだ。おそろしい。
 気がつくと夕方。一日は終了している。夜慌てて仕事をするものの、大した量はできやしない。

「書き仕事は朝五時に起きてして、終わらせてから来るようにしてるのよ。バレエはじめてから、夜は早く寝るようになったわねえ……。もう十時にはフラフラ。


 と、バレエクラスの先達、山崎さんはしれっと言う。彼女の場合、息子さんのお弁当づくりという試練? も重なっていたはずである。
 そ、そんな修行僧みたいなことしてるんすか……。夜型のあたしにはとてもじゃないけど、難しそうです、先輩。

「でもクラス受けたあとだと、仕事にならないじゃない?


 やっぱり……。そうですか。そうですよね。バレエってあんなにキツイもんだとは思いませんでしたよ。

「ううん。ここの教室は、ダントツで運動量が高いのよ」
 なんでも山崎さんは他の大人向きのバレエスタジオも覗いたことがあるらしいのだ。どこもこの教室ほどの運動量はなく、物足りなかったのだそうだ。

 そう、わかる。物足りないっていう感覚。このみっちり腹いっぱいに身体を動かし切る快感に一度はまると、なんだかもう麻薬のように、身体を動かさずにはいられないのだった。

 しかし仕事はしなければならない。ここはひとつ女としての身だしなみを捨て、汗まみれの身体を拭くだけにとどめて、そのまま外で軽食をとり、カフェでパソコン仕事にとりかかることにした。

 汗にまみれた身体を洗わずに、どうにかする品々は、たしか私が中学生のときにはすでにいろいろと売りだされていた。制汗スプレーというのが大変に重宝された。
 そして現在は汗ふきシートが花盛り。相当な商品数に上ると思われる巨大市場かと。
 これはつまり、運動した後にシャワーを浴びる施設がないところがほとんどという事情も大きいんじゃないかと思うのだ。
 アメリカのドラマを見ていたら、高校なのに体育の時間のあとにシャワーを浴びていて驚いた。現在は公立の中学高校でもシャワーがついていたりするのだろうか。知り合いもいないので、実際のところはわからないが、ついているとはあんまり思えない。
 このあいだまでプロの女子サッカー選手すらもシャワー設備のない練習場で練習をしていたという話も聞いている。
 しかしまあシャワー設備がすべての学校やスポーツ施設、スタジオに常備されるということは、お金もかかることであるし、今後もないのであろうと思われる。

 

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