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2015.04.16

かなしみの、ずっと向こうにあるものは何か(桜木紫乃『それを愛とは呼ばず』)

池上 冬樹

かなしみの、ずっと向こうにあるものは何か(桜木紫乃『それを愛とは呼ばず』)

『それを愛とは呼ばず』
桜木紫乃
幻冬舎刊/1400円(税別)

 

『ラブレス』ほど力強く劇的ではなく、『ホテルローヤル』ほど変化に富むカラフルな人物模様ではなく、また『無垢の領域』ほど切なく緊密なドラマが表に出るような作品ではなく、どちらかいうと地味であるけれど、それでもたっぷり読ませるのが、桜木紫乃である。終盤になると抑えられた叙情が行間からこぼれおち、愛とは呼べないものの狂おしさが静かに押し寄せてくる。いい小説だ。

 物語は、桜木紫乃の小説にしてはめずらしく北海道ではなく新潟で始まり、新潟で終わる。もちろん女主人公の故郷として北海道は出てくるし、人物たちの心象風景を映す核となる。

 伊澤亮介は新潟市で飲食店を手広く経営するいざわコーポレーションの副社長をつとめている。東京でホテルマンをしていたが、勤めていたホテルが火災に遭って職をなくしたあと故郷の新潟に戻ってきた。いざわコーポレーションの女社長の章子に拾われ、ホストクラブの店長などをしたあと、章子にプロポーズされて結婚。章子は十歳上で、六十四歳になったばかりだったが、新たな事業計画を考えるなど精力的だった。しかしその章子が自動車事故で意識不明の重体に陥り、章子の息子がそれを契機に亮介を追い落としにかかり、亮介はしばらく新潟を離れることになる。

 白川紗希はタレント事務所に所属していたが、ほとんど仕事はなく、キャバレー「ダイアモンド」でホステスのアルバイトで食いつないでいた。「これが美少女だ」コンテストで準優勝したのは高校一年のときで、高校を卒業したあと北海道から東京に出てきたが、二十九歳の今、もう完全にタレントとして限界にきていた。案の定、その日マネージャーから契約解除を知らされてしまう。傷心の彼女が接客した相手が亮介だった。亮介はいざわコーポレーションの顧問弁護士の紹介で不動産業の仕事についていて、釧路に赴任する予定だった。偶然にも釧路は紗希の地元でもあった。

 こうして二人は出会い、思いもかけない方向へ流れていくのだが、正直言って、まさかこういう結末になるとは思わなかった。意外な結末が待っているのだけれど、そして最終章に飛躍があるのではないかと思ったけれども、ゆっくりと白川紗希の視点から語られると、人物たちが抱えている内面の重さ、その底に横たわる本当の心情に思い当たる。罪と死と愛がいくつも別の観点から捉えられていくからだ。

 とくに中盤からの、紗希の移ろい行く日々と気づきが丁寧に綴られていくのがいい。男に〝傾いてゆく気持ちに「憐れ」があることに気づいた。自分より嘆きたい人間を思いつく限りの前向きな言葉で励ましていると、吐いた言葉によって気持ちが「浄化」してゆく〟のだといい、〝自分はこの男に頼りたいのではなく、男の悲しみを受け取ることによって良き心を手に入れたいのだ〟と気づく。その気づきからいちだんと亮介への思いを深めていく。

 紗希がデイケアセンターで朗読のアルバイトをする場面も印象的だ。新聞記事から純文学(川端康成「火に行く彼女」)、官能小説、さらに訃報欄などを読み上げ、老人たちが感想を言い合う。とくに官能小説を読む場面が際立つ。小説の濃密な性描写(これは桜木紫乃が官能小説に挑戦したといってもいい)と、それに聞き入る老人たちの昂奮が、抑制のきいた筆致で描かれる。そのあとの訃報欄に対する辛辣なコメントの対比も鮮やかで、性と死がごくふつうに隣接していることを語る。

 ほかの桜木紫乃の小説なら、男と女の愛に焦点をあてるところだが、今回は肉体的な関係以前の男と女の溶解しえない心模様と、生の底にただようような幸福の追求がある。「さびしい思いのまま死んでほしくない。ささやかな幸福感の中でしか、ひとは夢を見られない。そんなにつよい人間は、いない」「誰かの幸福を少しでも引き延ばすことで、幸福感を持続させてきた。必要とされたら、どこまでもその人のために尽くそう」と紗希は考えるのである。その思いがねじれ、狂おしさをましていくことになるのだが。

 それを間近でみる亮介の胸に〝たとえようのない愛しさ〟が満たされる。紗希といると〝ひとりの人間の死を、肯定できそうな気がして〟きて、〝死はどれほどのものかという問いに、答えがみつけられそうな気がしてくる〟というのだ。〝この感情を愛しみと表現することに、なにか間違いはあるだろうか。愛ではない。同じ字をあてながら、それは決して愛ではない。……かなしみの、ずっと向こうにあるもの〟だと。

 かなしみの、ずっと向こうにあるもの、とは何なのか。愛なのか、悲しみなのか、それとも狂気なのか。すべてであり、すべてではないような混沌とした静かなマグマが、ここにはある。

『ポンツーン』2015年4月号より

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