不浄である泥の中から茎を伸ばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教が理想とする在り方。極楽浄土に最もふさわしい花とされてきました。このように仏教ではさまざまな教義が植物に喩えて説かれ、寺や墓のまわりも仏教が尊ぶ植物で溢れています。『なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか』は、そんな植物と仏教の意外な関係、植物の生きる知恵を植物学者、稲垣栄洋さんが楽しく解説した一冊。ダイジェスト版の短期集中連載最後は、「植物の賢さ」についてです。本連載で植物と仏教について興味が湧いた方は、ぜひ書籍をお読みください!

すべてのものに意味がある

 植物の花には、さまざまな工夫があります。

 植物だけではありません。鏡をのぞき込んでみると、私たちの顔も、ずいぶんと複雑な形をしています。

 鎌倉時代初期に活躍した曹洞宗の開祖、道元は「洗面は仏祖の命脈なり」と言いました。人間の顔は仏祖にいただいた命の姿であるから、顔を洗うことが仏教の大切な修行の一つであるといっているのです。

 確かに人間の顔もよくよく見てみると、植物の花に負けないほど複雑で機能的な構造をしています。

 目は距離感をつかむため、二つ前を見据えています。眼球はレンズの厚さを瞬時に変えてピントを合わせ、瞳孔の大きさを変えて明るさに対応します。眉毛やまつげは、目をほこりから守っています。異物が入れば涙が洗い流す。また、定期的に無意識のうちにまばたきをして、涙で目を潤す。鼻はほこりが入らないように下を向いています。また、耳は音を後方に逃がさないように突き出ています。

 イケメンだ、美人だ、ブスだ、とあれこれ言わなくても、すべての人がこんなに機能美に優れた美しい顔を持っているのです。

 昔の人は、この顔に植物の生き方を見出したのでしょうか。人の顔と植物は、共通した呼び方をしているものがあります。

 たとえば、顔の中心には「鼻」があります。これは、「花」と同じ発音です。また、「目」は「芽」、「歯」は「葉」と同じ発音です。これらは、もともと同じ言葉に由来すると考えられています。また、「頬」は植物の「穂」と同じですし、「耳」は「実」と同じなのです。

 

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