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2015.04.16

第4回 理想宮を作り上げた「フェルディナン・シュヴァル」

椹木 野衣

第4回 理想宮を作り上げた「フェルディナン・シュヴァル」

「アウトサイダー・アート」という言葉をご存じでしょうか? 障害者や犯罪者、幻視者など正規の美術教育を受けない作り手が、自己流に表現した作品群です。椹木野衣さんの『アウトサイダー・アート入門』では、社会からの断絶し、負の宿命に立ち向かうために芸術に身を捧げた者たちを紹介しています。第4回では、自分の庭に理想宮を作り上げた、「フェルディナン・シュヴァル」を取り上げます。


フェルディナン・シュヴァル

 「つまずきの石」

 1879年4月のある日のこと。フランスの片田舎、現在のドローム県オートリーヴの細道で、当時、地元で郵便配達夫を務めていたひとりの壮年の男が、ひょんなはずみで足下を乱し、すんでのところで地面にたたきつけられそうになった。集配を急ぐあまり足早に歩を進めていたせいもあったかもしれない。あるいは、いつものように物想いにふけっていたのかもしれない。いずれにせよ、なにが起きたのか不審に思った男は、自分を蹴つまずかせた「犯人」へと目を向けた。するとそこには、とても不思議なかたちの石が転がっていた。

 男はそれを手に取ると、さらに驚いた。これまで見たこともないような石だったからだ。単なる石にしては、あまりに奇妙なかたちをしていた。その石の角に引っ掛けて倒されそうになった足の感覚もまだ生々しく残っていたはずだ。そのことがきっかけで、男はかねてから自分が夢想のなかで──城なのか宮殿なのか岩屋なのかは自分でもわからなかったが──ある奇妙なヴィジョンを思い描いていたことが、不意にくっきりと甦ってきた。自分でもまことにおかしなものだと思い、ひとに話しでもしたらひどく変に思われると心配し、ずっと心の奥底に封印していたかれだけの理想の造営物だった。男が郵便配達を始めてから、すでに15年のときが過ぎようとしていた。

 

片田舎の郵便配達夫

 男の名はフェルディナン・シュヴァル。身の丈は169センチほど。見た目にはお世辞でも立派とはいいがたい。けれどもシュヴァルは生まれつき、それこそ岩のように頑強な体力を備えていた。病気らしい病気には生涯にわたって罹ったことがなく、配達の仕事も一日として休むことがなかった。元来の生真面目な性格も手伝ってのことだろう。雨の日も風の日も、シュヴァルはただひたすら郵便を配って歩き続けた。こうしてシュヴァルは、一日にして平均30キロに及ぶ道のりを、重いハガキや封書を束にして鞄に入れ、来る日も来る日も石だらけの村の道を歩き続けた。

 天気や体調と関係なく郵便は届く。オートリーヴはフランスの南東地方にあたり、少し東に行けばアルプス山脈の端が掛かる。ゆえに夏と冬の寒暖差が激しく、真夏には30度を超す一方、冬には零下まで気温が下がる。なだらかな平地が続くわりにアルプスが近いため、地中海からの湿った空気と内陸で吹く乾いた風が前線を作りやすく、夏からとりわけ秋には急な嵐による豪雨や強風の被害も多い。きっとシュヴァルも数十キロに及ぶ道のりだけでなく、そんな過酷な天気の変化をコートや帽子で凌いで毎日、郵便を配り続けたのだろう。そうするうちシュヴァルの身体は持ち前の頑丈さに加え、もはや屈強といってよい剛力を備えるようになったにちがいない。そうでなければ、いかに思い立ったとはいえ、あんな荒唐無稽なヴィジョンを独力で実現することなど、とうていかなわぬ絵空事に留まるほかなかったはずだからだ。

 そう、実に33年の年月を費やして、片田舎のこのなんの変哲もないかに見えた郵便配達夫シュヴァルは、奇妙なかたちの石につまずいたのをきっかけに、あの夢想のなかだけの荒唐無稽きわまりない宮殿を、実際に目の前にあって、人が昇ったり内部に入ったりすることができる本物の建造物として実現してしまうのである。その意味で、あの奇妙な石はシュヴァルにとって本当に「つまずきの石」だった。あの石に蹴つまずくことがなければ、かれの理想宮もシュヴァルの心の奥深くにずっと仕舞われたままだったかもしれない。そしてかれ自身の人生も、寡黙だが堅実なひとりの仕事人として幕を閉じていたかもしれない。けれども石に蹴つまずいたのをきっかけに、驚いたことにかれはそのヴィジョンを達成するため実際に行動を起こし始めてしまった。そしてかれとかれの家族の運命も、それを機にすっかり歯車が狂い始めてしまったのである。

 いったいなぜ、シュヴァルは夢の宮殿の建造などに目覚めてしまったのだろう。ひとつには、すでに書いたとおりかれ自身がつまずいたあの石の奇妙なかたちがある。それはタマネギを縦に割ったような何重にもわたる層でできており、そこから芯を押し出したように凹凸をき出しにして、まるで標高線に沿った山の立体模型のようなかたちをしていた。シュヴァルは家に持ち帰ったその石をじっと、厭きることなく眺め続けたにちがいない。そして実にかれはそこから次のような驚くべき結論を導き出すのである。──自分には建築の知識も技術もなにもない。けれども、この石も誰かの知識や技術で作られたわけではない。自然界がひとりでに作り出したものだ(もしもそんなことが可能なのであれば、自然界の一部であるはずの自分にも、きっと同じことができる力が備わっているにちがいない)。そうだ、自然に宿るこの天性の能力を借りて石工となり、ひとつ生涯の事業を成し遂げてみようではないか! と。

 無謀といえば無謀きわまりない話だが、もっと無茶なのはシュヴァルの行動力とその持久力である。石に蹴つまずいた日の翌日、さっそくもういちどその現場を訪ねてみると、それまでは配達に一心不乱で気付かなかったのだろう──めぼしい奇岩奇石がゴロゴロと転がっているではないか。仕事の道すがらではあったが、夢中で石を拾い集めたシュヴァルは、それらをポケットに入れて家に持ち帰る。そして最初こそひとつひとつ部屋に並べて観賞していたが、しだいに収まり切らなくなると空いた土地に積んだり並べたりして、少しずつかたちに手を加えるようになっていった。やがて見よう見まねで石と石の隙間を石膏やモルタル、セメントでぎ合わすことを覚えたシュヴァルは、なんの元手もないまま日々拾い集めた石を使うだけで、土地の取得のほかにはまったく金も掛けず、ただひたすらおのれの身を粉にするだけで、あの現実離れした理想宮の実現へと邁進してゆくことになったのである。

 

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