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2009.09.15

story 3 Moon (後編)

LiLy

story 3 Moon (後編)

  占いの事務所を出ると、外はもう夜だった。

 新宿南口のルミネの看板を見るたびに“ここは東京なんだ”と、私は改めて認識する。高校を卒業した春、私は太郎くんについてくるかたちで上京し、その足で、ここ、新宿南口にある人材派遣会社へとやってきた。ふたりとも無事に面接を終えて名前を名簿に登録してもらい、私たちは晴れて東京のフリーターとなったのだった。あれはもう、10年以上も前の、春のはなし。
 新幹線に乗って東京までやってきたからといって、当時から私と太郎くんは、この街で何かを掴もうとかいう野望を持っていたわけではない。太郎くんがただ、地元から離れて東京で暮らしてみたいと言ったから私も一緒に来た。それだけだった。太郎くんと私はむしろ、東京で何かを掴んでやる、なんていう青春っぽい“熱さ”を持つことほどカッコ悪いものはないと思っていたし、夢を語る同世代の若者たちを見かけるたびに、私たちは「うわっ」と鳥肌を立てていた。
 恋愛に対しても、同じ。愛とかロマンとか、たかが男と女の関係にそういう情熱的な言葉を持ち込む、うるさくて、無駄に派手に着飾っている人種とは、学生時代から距離を置いてきた。私と太郎くんがいた高校は偏差値が低かったせいもあって、そういうアホな奴らで溢れかえっていたのだ。そんな中、高校1年の時に隣の席同士だった私と太郎くんは、彼らへの軽蔑という最大の共通項を持って仲良くなり、高校2年の夏にお互い初めてセックスをして、そこから自然の流れの中で、恋人同士のような関係になっていった。
「付き合おう」とか「好き」とか、ましてや「愛している」なんて、そんな胡散臭い言葉のやり取りこそなかったが、私たちは仲良くやっていた。東京に出てきて、家賃6万5千円の、中野駅から歩いて15分のアパートを借りて一緒に暮らし始めてからは、セックスこそしなくなったけれど、太郎くんと私は、恋人のような関係から家族のような関係へと絆を深めていった。
 それぞれ派遣されたバイト先で週5、6日働けば、ふたりの収入は合わせて月30万円くらいにはなり、私たちはそれで十分に暮らしてゆけた。そんな東京での生活は、特に大きな波もなく淡々と続き、5年目の春を迎えようとしていた。私は、ずっとこうして太郎くんと二人で生きていくんだろうな、と思っていた。それは、彼を愛しているから、という感情からではなく、他の誰といるより彼といると楽だから、という事実から、私はそう確信していた。
 太郎くんに対してときめいたり、切なくなって涙を流したり、そんな風に恋をしている実感を持ったことは一度もなかったし、太郎くんも同じだったはずだ。私たちは、恋とか愛とか、そういう目に見えないものに自分の感情を乱されることを何よりも嫌っていたのだ。母親が何度も離婚、結婚を繰り返し、何人もの知らない男と一緒に暮らさざるを得なかった私の幼少期と、小学生の時に母親に捨てられ、酒浸りの父親と二人で暮らしてきた太郎くんの記憶が、愛に冷温な私たちをつくっているのかもしれなかった。が、お互いの不幸な生い立ちについて語り合うことはなかった。そういうのを人生がうまくいかない原因や、言い訳や、売りにしては「愛」を叫ぶ奴らこそ、私たちが憎悪の対象とするド真ん中に立つ人間だった。
 毒の相性がピタリと合う、この人なら絶対に私を傷つけないと、私はそう思って安心していたのだと思う。それなのに、上京して5年目の春を過ぎ、初夏を迎えつつあったあの夜、派遣されていた幕張の工場で、パンの袋詰め作業を終えて私が中野のアパートに戻ると、太郎くんは死んでいた。何の前触れもなく、本当に突然のことだった。カーテンレールに、私のストッキングを巻きつけ、そこで首を吊って、死んでいた。太郎くんは、最後に私の心を真っ二つに引き裂き、いなくなった。

 いなくなった。

 地元で行われた密葬のあと、私はひとり東京へと戻った。太郎くんの父親から、息子を殺したのはお前だ、などと罵倒されたが、彼の酒臭い口から発される言葉に私の感情はピクリとも動かなかった。ただ、地元に、私の居場所はなかった。東京にも、ないことは分かっていた。唯一の居場所を失った私の行くあてなど、もうどこにもなかったけれど、死んだ太郎くんが棺の中にいる葬儀の最中もずっと、私は太郎くんが死んだ中野の部屋に早く戻りたいとばかり思っていた。太郎くんの魂は、まだそこにいるような気がしたからだ。
 そうして私のひとりぼっちの東京生活が始まった。派遣のバイトもやめ、これからどうしよう、なんて思いながらフラフラと中野駅を歩いていた時に、私はそこで配っていたティッシュを受け取った。
 そのピンク色のティッシュの裏に書いてあった番号に電話して、私は翌日から吉祥寺でホステスのバイトを始めた。ひとり分の派遣バイトの収入で生活していくのはきついだろうと思ったのと、化粧をしたり着飾ったりして、別の人間にでもなりすまさない限り、私も太郎くんのように突然死んでしまいそうだと思ったからだ。
 ホステスの世界は、私と太郎くんが今まで避けてきたすべてのものの集大成のような場所だった。そこはまるで、死後の世界のようにさえ見えた。まったく現実味を帯びぬ空間の中で、私は初日についた客に言い寄られ、その夜に高円寺の安いラブホテルに行き、セックスをして、まんまと妊娠した。中絶した時、私の目からは、涙の一粒さえ、こぼれ落ちなかった。もともと封印するようにして生きていた私の感情が、太郎くんの死と共に完全に死んだのだと、私は理解した。それは今から5年前、25歳の夏のはなしだ。

 占いにはまったのは、それから1年後、たまたまヘルプの席についた初老の客に手を見せて、太郎くんの死をズバリ言い当てられた時からだ。彼は、スピリチュアル系の本を何冊か出している占い師だった。私は、なにかにすがるような気持ちでそれから数年間彼のもとに通い、百万円以上の金を使ったが、「子宝線がまったくないので、人生で一度も妊娠はしないだろう」と言われたことをキッカケに、私は別の占い師を探すことにした。
 そこから何種類もの占いを経て、私は今の先生に巡り合うことができた。東京で太郎くんと暮らした年月と、太郎くんが死んでから東京にひとりで暮らしている時間が、ほとんど同じになった頃、私はやっと見つけることができた。
 私は今、生まれて初めて、この人生に目的を持って生きている。昔はその言葉を発音するだけでゾッとしていた“幸せ”というものを、今、私は具体的に思い浮かべている。手に入れたいもの、というより、取り戻したいもの。それが私の中で、はっきりとしているのだ。

「目の細い、男の子、かな」

 手の中でくっきりと示されている+サインが、数時間前に言われたばかりの先生の言葉とリンクした。私は、中野のアパートの狭いトイレの床に膝を落とし、その場に泣き崩れた。こうして検査をする前から妊娠していることには気づいていた。あの人と結ばれた夜を堺に、今まで私が殺してきた感情が、突然体の奥から溢れ出しては熱い涙となり、私の目から流れ出すようになっていたからだ。いつもの私とは自分の様子がまるで違っていることを、些細なことで感情がグラグラと揺れるたび、私は実感してきた。
 私は涙をぬぐい、検査薬の+サインをもう一度目に焼き付ける。先生の言葉に導かれるようにして、私はあの人と出会い、結ばれ、新しい命を宿すことに成功した。
 私は検査薬を握り締めたままトイレを出ると、部屋の真ん中に座って携帯を取り出した。
「もしもし」
 ワンコールで、あの人の声がした。妊娠したことを告げると、彼は「わぁっ!」っと小さく歓声をあげた。結婚してくれるのか、と私が聞くと、すぐに彼は「僕でいいなら、もちろんだよ」と答え、「……嬉しい」と呟いてから無言になった。しばらくして、彼がすすり泣く声が携帯越しに聞こえてきた。私も、声を立てずに泣いていた。
「運命的な出会いがある」と先生に言われた数日後、彼は客引きに連れられて店にやってきた。「初めまして」と席についた私の第一印象に残ったのは、彼の左頬にある、ギョッとするほど大きなアザだった。私の視線を感じてなのか、「生まれつきなんですよ」と、灰色のところどころよれているスーツを着たサラリーマンはつくり笑いを浮かべながら答えた。彼の、頬をピクッと引きつらせて笑うその表情に、私は懐かしさを覚えた。そして、「酒は飲めないから」と注文したウーロン茶をすすりながら、「もうすぐ私は50になってしまうけれど、家庭を持つ夢はあきらめられないんだ」と、彼がまた引きつった笑いを一生懸命につくりながら呟いた時、“この人だ”と私は確信した。彼が灰色のズボンの太腿の辺りに置いていた大きな手の上に、私はそっと、手を重ねた。

「結婚するのに、ひとつだけ条件があるの」
 私は彼に言った。
「なんだろう?」
 彼の声が、緊張で少し震えている。
「うちで暮らしたいの。生まれてくる子供と、私とあなたと、三人で。このアパートがいいの」
「……なんだ、そんなことか。いいよ。君がしたいようにしよう」
 ほっとして、私は窓を見上げた。私の目からは、涙が流れ続けている。ぼやける視界の中に、太郎くんが首をつったカーテンレールが見える。

 ねぇ、太郎くん。
 彼ならきっと、あなたにとって理想的なお父さんになるわ。心に傷を持っているけれど、それを鋭い牙に変えて人を攻撃するのではなく、それを優しい涙に変えて人に優しくできる人間だから。今まで私はあなたと、傷ついている自分たちを隠すために他人に対して毒を吐き、世の中を見下すことで自らが選んだ孤独の中で肩を寄せ合ってきた。でも私は、あなたがいなくなって本当にひとりぼっちになってしまったら、アホみたいにまっすぐに生きている人間に対する憎悪の感情さえ失ってしまった。
 私は、あなたを失って、ゼロになった。それまでの人生すべてが巻き戻され、感情が無になった感じだった。
 占いにせっせと通いながら、私は、何かを探していた。それはたぶん、あなたが死んだ理由。何年もかけて、占い師に自分のことを語ったり、口をつぐんで、欲しい言葉をかけてもらうのを待ったりしている中で、私は気が付いた。似たもの同士のあなたと私だったから、その理由を私は、自分の中に見つけたの。今まで力を込めて憎んできたものの中に、私たちが何よりも「欲しい」と思っていたものがあった、ということに。
 今度こそ、それらすべてをあなたがあきらめなくていいように、私があなたをゼロから育てようと心に決めた。あなたと一緒に、私もまったく新しい人生を、イチから歩くことにする。

 私は彼と明日会う約束をしてから、電話を切った。そっと立ち上がりカーテンを開けると、向かいのアパートの上に、今にも折れてしまいそうな、線の細い、三日月が見える。月の満ち欠けを何度か繰り返し、月が満ちた夜、あなたはふたたび、私の腕の中へとやってくる。
「私が、愛してあげる」
 今度こそ、私が、愛してあげる。私はそっとお腹に、手を当てる。

 

 

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