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2009.09.01

story 3 Moon (前編)

LiLy

story 3 Moon (前編)

  柑橘系のアロマがほんのりと香る部屋の中で、出された柚子茶を飲みながら、私は順番がくるのを待っていた。
 予約の時間はとっくに過ぎていて、置いてある雑誌にも飽きてきた。受付のところにいるお姉さんがこっちを見ていないことをさりげなく確認してから、グラスの底にたまっている柚子スライスを指ですくって口に入れた。たっぷりのお砂糖でクツクツと煮込まれたのだろう、とっても甘い。口の中の柚子が消えると、甘味で心地よく痺れた舌の上にほんのりと柚子の苦味がひろがった。
 それだけの刺激で涙腺がキュッと反応して、目頭が熱くなってしまう。やっぱりおかしい、と私は思う。いろんなものに対する感じ方が、いつもと違う。私はそっと手の平を広げた。ここに、答えは刻まれているのだろうか。
 目の前のドアが開き、中から女の人が出てきた。髪をかなり明るく染めているけれど、私と同世代に見える。30前後、といったところか。ふと目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。
 彼女は、泣いていた。
「次の方、どうぞお入りください」
 ドアの隙間から先生の声が聞こえたので、私は隣に置いていたバッグを手に取って立ちあがる。ドアノブに手をかける前にさっと振り返り、私はさっきの女の人を見た。受付で会計をしている後ろ姿からは、まだ泣いているのかどうかは分からなかった。
 でも、私はもうほとんど確信していた。ここの占いは、やはり当たる。私が彼と急接近したのも、ここの先生のひとことがキッカケだったのだから。今となって考えてみれば、あの夜の彼との出来事は、とても運命的な縁をもってのことだったのだ。
「おぉ、すごいな……」
 私の両方の手の平を覗き込んだとたん、先生は呟いた。その後に続く言葉に期待をしすぎて、私は一瞬息をつまらせる。無意識のうちに先生によく見えるように、と手の平を思い切り広げすぎていたのか、先生は私の両手をブラブラと軽く揺らして力を抜かせると、またしばらく黙って私の手相と向き合った。先生のメガネの奥に覗く小さな瞳から、その表情を読み取ろうとしたけれど、分からない。
「あのう、」
 もどかしくなった私が口を開いたのとほぼ同時に、「最近、急激な変化がありましたね?」と先生は私に聞いた。
「そうなんです! 分かりますか?」
 ビックリして私の手から目へと視線をあげた先生を見て、自分が大声を出していたことに気づいた私は肩をすくめた。
「あ、あのう、1か月前にここに伺った時、運命線がとても濃くなっているから、数日のうちに人生を変えるような出会いがあるでしょう、と先生に言われたんですけど」
 そこまで話してから、私は口をつぐんだ。占いをカウンセリングか何かと間違えて、自分からつい色んなことを喋ってしまう人が多いけれど、それでは偽の占い師にヒントを与えているだけ。先生、と呼べる本物の占い師なら、会話をしなくても他人のことが分かってしまうものなのだ、と。
 ここ数年、当たるという噂を聞けば予約を入れて、ありとあらゆる種類の占いに通ってきた私は、何度もその失敗を繰り返している。今回こそ、先生の予言に導かれるようにして幸せを手に入れたい。私は黙って、先生を見つめた。
「出会いが、あったのでしょうね。手相が、別人のように変わっているんですよ」
 先生はそう言うと、私の手の平のシワを指でなぞって私に見せた。
「ほら、ここ。仕事に対して迷いのないことを示していた、ここの線、見えますか? 先月はくっきりとしていたのに、とても薄くなっていますよね。その代わり、ここ、」
 私の左手の小指を先生が曲げた時、そこにある線が何を示しているのかを知っていた私は、思わず右手で口を覆ってしまう。
「そうです、結婚線。先月はもっとずっと下の方にうっすらと一本あるだけだったのに、ここ、ちょうど今の年齢を表すくらいの場所に、新しい線がうっすらとできているんですよ」
「で、でも……」
 声が、涙で滲んでしまって続かなかった。でも、そんなことって、あるのでしょうか。言葉にする代わりに、何かにすがるような想いで先生を見上げると、彼は笑って頷いた。
「手相は、変わりますよ。ひとりの人間が、ひとりの人間の人生に与える影響は、計り知れないものがあるんです。たとえばね、」
 両手で顔を覆って泣き出してしまった私に、先生は優しい声で、こんな話をしてくれた。
 約40年前、人類は初めて月に行った。それは歴史的にものすごい大事件だと言える。でも、その出来事は、その後の私たち、ひとりひとりの人生に大した変化は生まなかった。
「もし、そこで人類と宇宙人とが出会っていれば、すべては変わっていただろうけどね」
 先生は小さく笑う。
 しかし約500年前、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、彼がそこで先住民と出会ったことは、その後、本当に大勢の人間の人生を変えることになる。人類の歴史が、そのひとつの出会いをきっかけにしてがらりと変わったのだ。
「そうですよね」と私は頷いた。そして、頬を流れる熱い涙を手の甲でぬぐうと、手の平を先生の前に差し出しながら言った。
「人と人の出会いが、新しい人間を生むわけですしね。私たちも、そうやって生まれたわけですものね」
 ねぇ、先生。この前見てもらった時、私が25歳の時に中絶したことをずばり言い当てたあなたには、見えますか。新しい命の線が、見えますか。

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