いつもと何かが違う気がする。
 なんだろう、と考えてみたが、分からない。気のせいだろうと自分に言い聞かせて先を急ぐ。
 O列の先の扉の鍵を開け、クラウドのエリアに入った。
 黒光りするサーバラックのメッシュの扉の向こうで、無数のランプが明滅していた。
 ランプがついているのは、サーバが稼働している証拠だ。
(なんだ、動いてるじゃないか)
 そう思いながら、ラックの列の間に進み、Z列の一番奥までやってきた時、長谷部は足を止めた。
 扉の向こうのランプが消えている。
(障害を起こしているのは、ここか)
 長谷部は、ポケットからメモ帳とペンを取り出して、棚の番号を書き写した。
 その時だ。
「あのぅ……」
 後ろから声をかけられて、長谷部は飛び上がりそうになった。
 振り返ってみると、ひょろっとした例のSE——神谷翔と言ったか——が、覚つかなげな様子で、すぐ後ろに立っている。
 いつの間にか、目を覚ましたらしい。
 なんとも存在感のない若者だ。
「びっくりした。ここは立ち入り禁止ですよ」
「すいません、こっちから出られるかと思って」
「外へ出るなら、あっち」
 出入り口の場所さえ忘れているのかと、半ば呆れかえりながら、長谷部は前室へと続くドアを指さした。
「や、それがですねぇ」
 神谷は困った風に頭をかいた。
「向こうからは、出られなくって」
「どういうことですか?」
「カードをかざしたんですけど、開かなくって」
 そんなはずはない。寝ぼけて定期券でもかざしているのではあるまいか。
 この忙しい時に、余計な仕事を増やしてくれるものだと内心舌打ちしたが、どのみち自分も管理室へ戻って、監視センターに折り返し電話しないとならない。
 セキュリティの都合上、携帯電話はこの棟からつながらないようになっているのだ。
 長谷部はSEを連れて、出入り口まで引き返した。
 首からぶら下げたICカードを、壁に設置されたリーダの上へかざす。
 ブーッというエラー音が返ってきた。
 しばらくお待ちください、と文字が表示されている。
「ほら、やっぱり開かないでしょう」
 神谷が後ろからのんびりと言う。
 自分が正しいことが証明できたためか、どことなく嬉しそうな様子でさえある。
 長谷部は苛立(いらだ)った。
 このエラーメッセージを見たことは一度きりしかない。前室に人がいる場合だ。
 しかし、中に誰かいることはありえない。今、センターにいるのは、長谷部と表の受付の小川、それにこの頼りなさげなSE一人きりなのだ。
「なんでしょう。故障ですかねぇ?」
 何を呑気なことを言っているのか。
 長谷部は焦って、無意味にリーダの箱を叩き、ドアを叩いたり、取っ手を押したり引いたりしてみた。
 むろん、なんの効果もない。
 忙しい時に限って、トラブルに巻き込まれるものだ。
 ドアの上には鍵穴らしきものがある。
 長谷部は持っていた鍵束を探った。差し込んでみたが、そもそも形が違う。合いそうなものがない。
 掌に、じんわりと汗がにじんできた。
 入る時に感じた嫌な予感が当たったようだ。いったいどうすれば良いのだろう。
「まいったな……こんなこと初めてだ」
「電話してみたらどうですか」
「いや、ここからじゃつながらないよ」
「あの電話は?」
 神谷が、壁の先を指さした。
 少し離れた壁の上に、壁掛け式の電話が設置されている。
 うっかりしていた、これがあった。
 緊急連絡用に設置された、有線の固定電話だ。
「ちょっと待って、外に連絡してみる」
 長谷部は足早に電話の方へ歩み寄り、受話器を取り上げた。
 耳に押し当てたが、なんの音も聞こえない。普通ならば、ツー、ツーというビジートーンが聞こえるはずなのだ。
 内線ボタン、外線ボタン、数字ボタンなど、片端からボタンを押してみたが、つながる気配はなかった。
 さすがに心配になったものか、神谷は首を傾げて長谷部の様子を見つめている。
「どうですか?」
「ダメだ……つながらない」
 長谷部は力なく息を吐き出し、受話器を元に戻した。
 嫌な予感が的中したようだ。ものの見事に閉じ込められてしまった。
 八時になれば、今受付にいる小川が、次の担当者と交代して、ここへ巡回にくるだろう。
 しかし、それですぐにここを開けてもらえるかどうか。
 小川が小部屋へ来て、異状に気付き、管理センターに連絡する。それから修理担当が来るまでどれくらいかかるだろうか——。
 気が遠くなってきた。
 隣の神谷は、何を考えているものか、ぼんやりした顔で天井を見上げて、何か思案しているようだった。
               

*第5回は4月21日(火)公開予定です。なお本作はフィクションで、登場人物、団体等、実在のものとは一切関係ありません。


 

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