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2015.04.10

『クラウド・トラップ SE神谷翔のサイバー事件簿3』

vol.2 データの在処

七瀬 晶

vol.2 データの在処

 

クラウド運営のアルティメイト社に、脅迫ともいたずらとも判断つかないメールが届いていた頃、群馬県立中央病院ではマイナンバー実証実験に参画するかどうかの検討をしていた。中央病院のシステムは、神谷翔たちが所属するエールシステム社が管理している。

               


「また来たか、クラウドのお誘いが」
 群馬県立中央病院情報システム課長の徳田(とくだ)は、総務省のパンフレットを眺めながら、後退してきた髪の生え際を叩いた。
 担当の濱野(はまの)が徳田のところに持ってきたのは、病院向けマイナンバー実証実験参画のお知らせである。
 参加方法は二種類だ。
 システムを丸ごと、総務省の用意した共通の医療用クラウドに移行する方法と、既存の院内システムから、医療用クラウドを介してマイナンバーの情報提供ネットワークに接続する方法である。
「この際、クラウドに相乗りしちゃえばいいんじゃないですか。管理も楽だし」
 気軽な調子で言った濱野を、徳田は睨みつけた。
「バカ言え、うちの患者のカルテをよそへ預けられるか」
 濱野が苦笑いしたように見えた。
 IT業界から転職してきた濱野には、徳田が情報弱者に見えるらしい。タブレットだ、ウェアラブルPCだ、ビッグデータだと、横文字を並べ立てては、うちの病院は遅れていると濱野は不平を洩らす。
 しかし、病院において、システムはあくまで医療をサポートする脇役に過ぎない。彼には患者のことも、データの塊に見えているのではあるまいかと、徳田は時々疑いたくなる。
「今はシステムを自前で抱え込むような時代じゃありません。みんなで共同利用したほうが安く上がるんですよ」
「そこだ、そこがどうにも胡散臭(うさんくさ)いんだ。どうしてクラウドにすると安く上がるんだ」
「一軒家とマンションの違いですよ。みんなで共同利用すれば、コストが下がるじゃないですか」
 徳田にしたって、仮にも情報システムを預かる身だ。クラウドコンピューティングの定義くらいは知っている。
 各団体や企業、個人がそれぞれ自前で持っていたハードウェアやソフトウェアを、インターネットを介してサービスとして借り受けることである。
 といっても、外部のサーバを借りるのは、今に始まった話ではない。
 中央病院でも、五年前から、SIer(エスアイヤー)と呼ばれる事業者の用意するデータセンタにサーバラックを借り受け、リースのサーバを置かせてもらっていた。
 徳田にとって、こちらのほうがむしろマンションのイメージに近い。
 サービスを時間貸しするクラウドは、ルームシェアかホテル、あるいは貸倉庫やカーシェアリングに近いのかもしれない。
 ただし、この貸倉庫は、どこに設置されているのか分からない。電話すれば家まで荷物を届けてくれるが、それが物理的にどこに、どんなふうに保管されているのか分からないのだ。
 それが徳田には気持ちが悪い。
 安かろう悪かろうが世の常だ。クラウド上に預けた自分たちのデータは、いったいどこに置かれているのか。
「自分のデータの預け先が分からないってのは、どうにも嫌なものじゃないか」
「でも、私たちの給料だって、銀行に振り込まれますからねぇ」
 濱野はあっさりと言う。
「札束がどこに置かれているかなんて、誰も気にしないじゃないですか。銀行の頑丈な金庫の中のほうが、家に置いておくよりよっぽど安全ですよ」
 クラウドを構成するサーバは、各事業者の経営する堅牢なデータセンタに設置されている。
 耐震・免震構造のビルには、停電になっても電源が落ちないよう自家発電装置が設けられ、入口は厳重にロックのかかった二重扉に守られている。
 空調が行き届いたサーバルームは、何台もの監視カメラに見守られ、部外者が侵入することはありえない……はずだ。
 どこにあるのか分からなくとも。
「メールやスケジューラ、電話帳なんかも、今は Google や Yahoo! JAPAN のサーバに置いてありますよね。自分のパソコンやスマホが壊れても、データだけは残りますから」
 濱野の言っていることは分かる。
 安くて安全。
 自治体から教育機関、医療機関に至るまで、総務省がクラウド化を推進している理由はまさにそれだ。
 データはクラウド上に自動的に分散して保管されるという。
 サーバが壊れても、代替機が自動的に立ち上がり、引き続きシステムを利用できる。
「データが消えない、そうだとしたら、逆に消すほうはどうなんだ。自前のサーバなら必要なくなったデータを電磁的に消去して廃棄処分できるが、クラウド上のデータは、本当にすべて消されたかどうか誰にも確認できないんじゃないか?」
「それこそ杞憂(きゆう)です。むしろ一極集中したほうが、セキュリティ的にも管理しやすいって言われてますよ。日々、脆弱性に対応するのって、けっこう大変ですから」
「ともかく、うちのシステムはクラウドには載せないよ」
 徳田はきっぱりと言った。
 時代遅れの堅物だと思ったろうが、濱野もそれ以上反論しなかった。
「分かりました。じゃあ、実験には不参加と回答しておきますね」
「いやいや、ちょっと待て」
 踵(きびす)を返しかけた濱野を、徳田はあわてて呼び止めた。
 クラウド化の話と、患者へのサービスの拡充は別の話だ。
「クラウドに移行しなくても、実験には参加できるだろう」
「そうなると、うちのシステムの改修が必要になりますが」
「ああ。システムを保守しているエールシステム社に連絡してくれ。相談してみよう」
「分かりました」
 ため息をつきながら、電話を取り上げる濱野を見ていてふと思った。

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