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2009.06.01

story 1 XOXO(前編)

LiLy

story 1 XOXO(前編)

 子供の頃に持っていた、ぬりえ帳。その中にいた、色とりどりの風船を両手いっぱいに持ってニコッとしている女の子を思い出しながら、ホテルまでの夜道を歩いてきた。一番上の風船を当時の私が何色に塗ったのか、今の私なら何色に塗るのか、考えながら歩いてきた。

 ホテルの前に着くとベルボーイと目が合ったので、私はその女の子のイメージで、笑顔をつくってみた。ありとあらゆるブランドのロゴが書かれた、色とりどりの紙袋を両腕にたくさん下げている私は、彼女とちょっと似ていると思ったからだ。

 よく日焼けしたベルボーイは、白い歯を爽やかに見せて私に微笑み返し、すべての紙袋を私から受け取った。荷物を持って最上階の部屋までついてきてくれた彼に「サンキュー」とチップを払い、部屋のドアを閉め、カードキーをさして明かりをつけた。すると、きちんとベッドメイクされたキングサイズのベッドが目に入り、ルームクリーニング用のチップを置いておくのを忘れたことに私は気が付いた。

 明日の朝チェックアウトする前に、今日の分も合わせた額のチップを置いておこうか。でも、同じメイドが片付けにくるかは分からない。そういえば、チップが置いていなかったことに腹を立てたメイドが宿泊客の真珠のネックレスを盗むシーンを、小説で読んだことがある。何か、盗られてはいないか、と部屋を見渡したが、すべての家具がヴェルサーチで統一されているこの高級ホテルのスイートで、そんな安い事件は起こるまいと思い直し、私はベッドに腰かけた。

 ふぅ。一息ついた途端、私は焦って、考え始めた。何か、考えるべきこと、それか、すべきこと、どちらでもいいから何かないか、と頭の中で探し始めた。だってまだ、21時過ぎなのだ。モールが閉店ギリギリの時間まで買い物をして、その後、レストランで本を読みながら食事をした。食後の紅茶を2杯飲み、本も読み終わってしまったので仕方なくホテルに戻ってきた。やっと夜になったのに、まだ、数時間もある。

 何か、ここですることを考えておいたはず。何、何だっけ、えっと……。肩に力が入り、脇の下からは変な汗が滲んでくる。

 そうだ! すべきことを思い出した瞬間に、私は一種の緊張から解かれて楽になった。さっきボーイが入り口のテーブルに置いてくれたたくさんの紙袋をベッドに移動して、次々に開けては、買ったものをベッドの上に一列に並べた。そして、バッグからサイフを取り出した。経費で落とせる分のレシートをまとめ、金額を計算しておくのだ。

 すぐに、終わってしまった。美容ライターの私が経費で落とせるのは、主に化粧品のみ。しかしほとんどの新商品は送られてくるので、私が今回ハワイで買ったのは限定色の口紅2本と、ファンデーションブラシ、コンシーラーパレット、そして、連載エッセイで紹介できそうなローカルブランドの洗顔石鹸だけだった。4枚のレシートを他のとは分けて財布の中にしまい、手帳に$164.32と書き込むと、私はまた、することを失った。

 明日のチェックアウトのためのパッキングは既に終わっているし、今日買ったものは、スーツケースに入れる前に彼に見せたい。今日の服装もメイクも、シャワーを浴びる前に彼に見せたい。いつもなら、私の1LDKの部屋を隅々まで、神経質なまでに磨きあげることでこういう時間をしのいできた。でも、この完璧に整えられたベッドの上で、きちんと掃除された部屋の中で、私にはもう、することが何もない。壁に嵌め込まれたエアコンが立てる、ジーッという小さな音の向こうにうっすらと、波の音が聞こえる。

 肩に、力が入ってゆくのを感じた。大声で叫び出してしまいそうな衝動を抑え込もうと、私はグッと奥歯を噛みしめた。手持無沙汰になった両手で髪をぐちゃぐちゃにかき乱し、私はベッドの上に倒れて泣いた。何かがベッドから落ちた音がした。シーツの上にまっすぐに並べたばかりの洋服や靴やコスメの列が乱れたことが、悔しくて、腹立たしくて、余計に私は悲しくなった。寝そべったまま両腕を広げ、私はベッドの上にあるすべてのものを床へと払い落した。キチンと整えられていた部屋の秩序が、乱れてしまった。わぁっと私は髪をかきむしる。

 コントロールの利かない時間が、予定と予定のあいだにポカンと生まれる暇が、私は子供のころから大キライだ。時間を持てあますと、心の中の空しさが膨れ上がって、不安になり、息ができなくなる。彼と付き合い始めて、私のこの症状は、悪化した。何もせずに、彼を待っている時間は、私を狂わせる。でも、皮肉なのは、何をしていても、何を考えていても、どんなに頑張って心と体を忙しく動かしていても、いつも、私は彼を待っている、ということ。仕事したり、買い物したり、友達と会ったり、眠ったり、食べたり、はすべて、彼に会えるまでの時間を潰しているだけなのだ。

 このまま眠ってしまおうか。そうすれば目覚めた瞬間、彼に会える。私は涙に濡れた枕に顔を埋めたまま、考えた。ダメ。化粧崩れした顔で彼に会うなんて、イヤ。そうだ、メイクを直そう。でも、まだ早い。0時ピッタリに、彼の隣で、完璧な私でいたい。そうだ。今夜のために買ったランジェリーを着てみよう。でも、ダメだ。心が悲しすぎて、体がここから動けない。

 どうして、こんなに空しい気持ちになるのだろう。

 不倫なんて、趣味じゃなかったのに。

 彼の台詞が、脳裏で響く。

『もし、シオリが誰かに出会ったら、ちゃんと言って欲しい。シオリには、結婚や出産を、俺のためにあきらめたりして欲しくないんだ。幸せに、なって欲しいと思ってる。俺に、それを奪う権利はないから』

 彼と会えなかった休日の後の、平日の夜。寂しさと不安でいっぱいになった心から、静かに涙を流す私を見て、彼は言った。一度じゃない。この3年で、何度か言われた。それを言われるたびに、私は孤独の果てへと突き落とされる。私が望むようには愛されていないという実感に、そして、これからもそのようには愛するつもりはない、という彼の宣言に、打ちのめされる。

 だから私は、もう何も言えなくなってしまった。彼と付き合っていく中で、少しずつ絡み合い、もう元には戻らないかもしれないところまでぐちゃぐちゃに壊れ始めた私のこの感情に、彼が少しでも気付けば、彼は私のもとを去ってゆく。そのことを、私は誰よりもよく知っていて、そのことに、何よりも怯えている。

 私のかつての親友、ナツキは、そんな彼を「卑怯だ」と罵った。何故私がそんな男を何年も追いかけ続けては同じことで悩み続けるのか、「理解できない」と怒り混じりのため息をついた。私は次第に、彼との関係よりも、「シオリが不倫なんて、らしくない。どうしちゃったのよ」と彼女に説教され続けることの方が面倒臭くなっていった。

 突然、2年前に縁を切ったままだったナツキが部屋に入ってきた。そして、勢いよくベッドの端に腰かけると、驚きすぎて何もいえずに寝そべっている私を上から睨みつけ、「だから言ったじゃない」と意地悪く微笑んだ。

「そのままじゃ最悪の30代を迎えることになるわよって、私、あんたに言ったじゃない。ほらみろって感じ。なに、彼の海外出張にハワイまでついてきて、ひとりで泣いてんのよ。それも、わざわざ仕事まで休んで、しかも、自腹で!」

 そこまで言うと、ナツキは大声で笑い出した。

「だって、フツウさぁ、不倫って、男の方が年上で、金持ちで、って感じなんじゃないの? 自分の海外出張に愛人連れてくる時はさ、当然、男が金出すんじゃないの? ねぇ、自分より金も稼いでない、年下の既婚者と付き合うメリットって、何?」

 凄い剣幕でまくし立てるナツキに、私は何も答えなかった。それにひるむことなく、「ねぇ、教えてよ!」とナツキは私を責めたてる。でも、その答えを、口に出して言うなんて、私には恥ずかしくってできなかった。追い詰められた私は、遂に、ナツキの前で声をあげて泣き出してしまった。子供みたいに、大声で。

 自分の泣き声に、ハッとして目が覚めた。私は思わず、ナツキがどこかに隠れているんじゃないか、と部屋の中を見回してしまった。それほどに、リアルな夢だった。顔を埋めていた枕が、涙で落ちたマスカラとアイライナーとで、黒く汚れている。その近くで、赤く点滅している光が目に入った。ホテルに備え付けになっている電話だ。フロントからかな。何だろう。光っている伝言メッセージのボタンを押しながらその隣に置かれたデジタル時計を見て、もう23時を過ぎていたことに気づき、私は焦り始めた。

 早く、メイクを直さなきゃ。こんなパンダ目のまま彼が部屋に来ちゃったらせっかくの夜が台無しだし、0時ピッタリに間に合わない。バスルームに行こうと私が慌ててベッドから起き上がると、私の背中の向こうで彼の声がした。

「あ、俺。今、仕事仲間との食事が終わったんだけど、疲れたので今日は自分のホテルでもう寝ます。シオリ、ごめんね。日本で会おう!」

つづく

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