毎日を1%ずつ新しく生きる! 刺激と感動のマガジン&ストア

★がついた記事は無料会員限定

2015.02.24

第6回

信号の人々

小嶋 陽太郎

信号の人々

 先日東京に用事があったので特急あずさで行ってそれをすませ、一泊してまたあずさで帰ってきた。
 松本の街に降り立った僕は、駅前の交差点の信号が青になるのを待っていた。
 時刻は夜の六時くらいだった。高校生や会社帰りの人や、けっこうたくさんの人が待っていた。僕は交差点の横にある駐輪場の入り口に積もった固い雪を足でがりがりと蹴りくずしたりしながら待っていた。信号がなかなか青にならないのだ。
 電車の中って、暖房きいてますかねえ。
 ふいに声がした。
 振り返ると、青いじいさんがいた。青いウインドブレーカーと、青いビニール製のズボンをはいている。
「電車の中って、暖房きいてますかねえ」
 もう一度じいさんは言った。
 僕が先ほど乗っていたあずさはけっこう暖かかったので、「ええ、まあ」と答えた。
「あっ、そうですか」とじいさんは言った。
 僕はまた前を向いて信号を待った。するとじいさんはまた声をかけてきた。どうやらさきほどので会話が終わったと思っていたのは僕だけだったらしい。
「暖房って、何を使ってます?」
「え?」
「暖房って、何を使ってます? 家で」
「……まあ、エアコンとかですかね」
 するとじいさんはすごく納得したような顔をした。まあそうですよね、みたいなことを言った。それからまた彼は言った。
「どういうときに暖房って使います?」
 暖房を使うのはまず間違いなく寒いときだから、僕は「……寒いなあって思ったときに使いますね」と答えた。
「ああそうですか。そういうもんですよね」
「……ええ」
 やがて信号が変わり、人々が歩き出したのに合わせて僕は歩き出した。青いじいさんは少しの間、僕のあとについてくる気配があったが、しばらくして「まあどうも今回はありがとうございました」とかなんとか言って去っていった。
 この話にオチというものはないのだが、強いてポイントをあげるとすれば、それは信号である。信号というのは鬼門で、僕は中学生のときにも信号待ちで知らん人に話しかけられた。
 僕は、そのときは友達と二人でいた。国道の長い信号を待っていた。国道というのは国道と名がついているだけあって、それを横断しようとする者にかなり長い忍耐を強いるのだ。そして僕たちはまさに長い忍耐を強いられていた。夏の暑い日だったから余計に長く感じた気がする。「あつい、死ぬ」「信号待ち死する」とか言い合いながら待っていた。するとそこに外国人が二人現れた。二人ともマウンテンバイクに乗ってヘルメットをかぶっていた。外国人特有のクールなチャリンコスタイルである。二人は清潔そうな白い半そでのシャツを着て、黒いズボンをはいていた。外国人のことだからわからないけど、見たところ二十代だろうなという感じがした。
「コンニチハ」
 金髪の白人男性が話しかけてきた。彼はピンとつま先立ちをしていた。閉じたコンパスみたいな。外国人がチャリンコのサドルをかなり高めに設定するのは本当なのだと感心しながら、僕は「こんにちは」と返した。
 彼は片言の日本語で、「ワタシタチコウイウモノデス」と言って、自分の胸のあたりを指した。よく見ると、シャツにネームプレートのようなものがついている。僕はそこに書かれた文字を見た。
『ケリー長老』
 ……はいはい、ケリー長老ね。とは当然ならなかった。僕には彼が何の長老なのかわからなかった。どこをどう見ても、ケリー長老には圧倒的に長老成分が不足しているのだ。僕は彼の顔を見た。一見柔和だが、同時に自信とエネルギーを目の奥に漲らせてもいる。たぶん彼は、自身がケリー長老であるということに関して揺るがぬ自信を持っているのだろう。そういう顔を彼はしていた。彼がケリー長老であることに一切の疑いの余地はないのだ。彼がケリー長老か否か……そういうことは、いま考えるべきことではないのだ。
 つまりツッコむのがめんどくさかったので、僕はケリー長老がケリー長老であるということを無条件に事実として受け止めることにして、彼の話を聞くことにしたのだった。
 ケリー長老は、人間の幸福がどうとか不幸がどうとか、要領を得ないことを話した。が、片言だったので、まじで要領を得なかった。僕は「はい」「はあ」「へえ」「そうですか」の四語を的確に使い分けて彼の話を聞いているふりをしつつ、信号が青になってまた赤に戻っていくのを絶望的な気持ちで見ていた。日陰のない場所で、降り注ぐ日差しが強烈だった。あと三回信号を逃したらおれたちは干物になってしまうぜケリーと思った。
 しかし中学生時代の僕は真面目だったから、ケリー長老が一生懸命人間の幸福と不幸について要領を得ない話をしてくれているのに「すみません、急いでいるので」と言って信号を渡って逃げてしまうということができなかった。そして、たとえ逃げたとしても彼らはコンパスのような足を猛烈に回転させて簡単に追いついてきただろう。
 やがてケリー長老は背負っていたリュックから広辞苑みたいな分厚い書物を引っ張り出した。そして「コノショモツヲ……」みたいなことを言い出した。話を聞いてみると、それは「モルモン書」という書物らしかった。
 もしかして僕はいま、この分厚いショモツを謎の金髪外国人、ケリー長老にプレゼントされようとしているのだろうか……。
 冷静に考えて意味のわからない状況だった。
 けれどもそれは杞憂だったようで、彼はひととおりショモツを紹介し終えると、またそれをリュックの中にしまった。
 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、ケリー長老はいよいよ勝手に仕上げ段階に入ろうとしていた。彼は言った。「コノアトイチジカラソコデシュウカイヲ」
 邦訳すると、「このあと一時からそこで集会を」。
 さすがにそこまでは付き合えないぜ、ケリー。
「あ、すみません、ちょっとこのあと用事あるので、また今度行きます」
「ソレハザンネンデス。デハコンドキテクダサイネ」
 僕たちは信号が何度目かに青になるのを待って、干物になる寸前に国道を渡った。
 信号には青いじいさんとかケリー長老とか、いろんな人が集う。

★がついた記事は無料会員限定

記事へのコメント コメントする

コメントを書く

コメントの書き込みは、会員登録とログインをされてからご利用ください

おすすめの商品
  • ピクシブ文芸、はじまりました!
  • 文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞作!
  • 無理しないけど、諦めない、自分の磨き方
  • 時短、シンプル、ナチュラルでハッピーになれる!
  • ビジネスパーソンのためのマーケティング・バイブル。
  • 有名料理ブロガー4名が同じテーマでお弁当を競作!
  • ドラマこそ、今を映すジャーナリズム!
  • 砂の塔 ~知りすぎた隣人[上]
  • 小林賢太郎作品一挙電子化!
  • あなたがたった一人のヒーローになるためには?
朝礼ざんまい詳細・購入ページへ(Amazon)
文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞作!
ピクシブ文芸、はじまりました!
エキサイトeブックス
今だけ!プレゼント情報
かけこみ人生相談 お悩み募集中!