9月下旬に発売された平井正修さんの『花のように、生きる。』が、じわりじわりと全国に広がっています。誰もが抱える「どう生きるか?」という悩みに対して、「花のように」という涼やかな指針を与えてくれた本書。では、花なような生き方とはどのようなものなのでしょう? 本書から一部抜粋してお届けします。

 

 人はけっこう無理なことを考えがちなのかもしれません。坐禅会に参加している人の話を聞いていて、「おいおい、それって無理じゃないの!?」と感じることがあります。
 たとえば、経営者の坐禅会で、こんな話が出ます。
「住職、今度はうちの従業員にも坐禅をさせようか、と思っているんです。坐禅で少しでも心の持ち方が変われば、仕事にもいい影響が……」
 一方、一般のビジネスパーソンを対象にした坐禅会では、
「うちのトップ連中に坐禅でもしてもらったら、もっと社内の風通しもよくなる、と思うんだけどな」
 という声があがったりする。この二者の言い分に共通していることは何でしょうか。
 経営者の弁も、従業員の思いも、「相手を変えること」に向けられているのです。しかし、どう考えたって、相手を変えるのはむずかしい。もっとも親しい関係にある、たとえば、配偶者や恋人でも、自分が思うような人に変えられるものではないでしょう。できないことは、誰でも体験的にわかっているはずです。
人間関係を好転させよう、仕事の在り様を改善しよう、といったときは、自分が変わることです。もちろん、相手に合わせるということではありません。変わるというよりは、本来の自分に戻るということでしょうか。
 前に鏡の話をしましたが、そのままを映し出す鏡も、ゆがみが生じたり、傷がついたりすれば、当然、映る像もゆがんだり、かたちが変わったりしますね。
 そうした自分のなかのゆがみや傷が、多くの場合、人間関係のギクシャクや仕事のモヤモヤの原因になっているのです。相手に非があるのではなく、自分の心にゆがみや傷があることが問題なのです。それを正していく、調えていくのは、相手を変えるよりはるかにやさしいのではないですか。
 誰かに坐禅をさせるのはたいへんですが、自分が坐禅をするのは、気持ちさえあればいつでもできるのと同じです。
 無理なことを期待してイライラを募らせるより、自分にできることを確実に実践していく。それも、禅的なふるまい、生き方です。

<読者からの感想>
「先の見える年齢になっても、まだ自信がなく、歩いてきた道を後悔ばかりしていたので、自分の道しるべとなってくれる本を探していました。この本に出会えて本当に良かったです。ぼんやりとですが、歩いていく道が見えてきたように思えます」

「夫に先立たれ、生きる目標を失っていましたが、この本を読んで、心が洗われたように思います」

「まだまだ修行の足りない私です。梅の花のようになりたいです」

 

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