男も母になれる――取り替え可能な役割論

 ところで、私もすこし違った角度から、大島作品における、やまだ氏のいう「役割」の重要性に思いいたったことがあるので、最後にその考えを記しておきます。 

 小学館文庫で大島作品を読みはじめたころ、『キララ星人応答せよ』という作品集にぶつかりました。ここに収録されている表題作「キララ星人応答せよ」と「F[フロイト]式蘭丸」という短編を読んだとき、この2作の物語がまったく同一であることに気づきました。

 主人公は思春期の子供で、いちばん頼りにしている家族の一員に結婚話がもちあがります。子供は断念と自立のあいだでひき裂かれて心身のバランスを失い、一度は自殺を企てるほどの危機を迎えます。しかし、そこに突然、子供を無条件で助ける存在が登場し、子供を危機から救出します。ラストは、子供を大事に育てた家族の一員が無事結婚式を迎え、それを周囲の人々が温かく見守るというハッピィエンドです。

 じつは、いま「子供」と書いた主人公は、「キララ星人応答せよ」では少年、「F式蘭丸」では少女です。つまり、ここでは少年と少女というジェンダーが交換可能なものになっています。そして、実際、大島弓子の多くの作品でジェンダーは交換可能なものとして描かれています。

 それは、大島作品が女装男性を印象的に登場させたり(「花!花!ピーピー草…花!」「リベルテ♥144時間」)、男から女に変わった性転換者を主人公にしたりする「ジョカフェ…」という事実にだけ表れているわけではありません。もともと、大島弓子の登場人物たちは、性を自分の本性としてではなく、自分がひき受けるべき「役割」としてしか演じておらず、その役割と戯れているように見えるのです(このことは、大島弓子のマンガが橋本治のいうように本質的にハッピィエンドの世界であることと無関係ではないと思います)。

 先ほど「母」という観念を大島弓子の世界の根源に見る藤本由香里の考えを紹介しましたが、大島作品では、この世界の中核をなす「母」の役割さえ、男が担いうるものとして描かれるのです(「ヨハネが好き」「七月七日に」)。男も母になれる!……。これはもはや「トランスジェンダー(ジェンダー転換)」などというものではなく、むしろ「ア=ジェンダー(ジェンダー無化)」とでもいうべき事態です。私が大島弓子論を書くとしたら、そのタイトルは「失われた性を超えて」となるかもしれません。

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