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2008.02.15

第三回

「赤ちゃんは本当にかわいいのか問題」の巻

堀越 英美

「赤ちゃんは本当にかわいいのか問題」の巻

 我が子が生まれたとき、テレビで何度となく小島よしおの「そんなの関係ねぇ!」を見る機会があった。

「この子が『そんなの関係ねぇ!』を真似したらどんなにかわいいだろう」

 想像したらたまらない。テレビの芸人の真似をするようになるのは何歳からだろう。3歳? それまで小島よしおは「そんなの関係ねぇ!」をやり続けてくれるだろうか。ないだろうなあ。すると「そんなの関係ねぇ!」をやる我が子は一生見られないのだろうか。そうだ、今のうちに録画しておいて3年後にあたかも流行っているがごとくに日々再生し続けたら、勘違いして真似てくれるかもしれない。そして保育園で披露して「え、それ何?」と皆に白々とした視線で見られる我が子。そんな「世間と趣味が食い違う疎外感を早々と味わう3歳児」を想像したらまたも萌えてきた……。

 このように赤ちゃんをかわいいかわいいと(若干入り組んだ形で)愛でている私ではあるが、妊娠したときは不安でならなかった。「赤ちゃんをかわいいと思えなかったらどうしよう」というありがちな悩みだ。皆「我が子はかわいい」と口をそろえて言うが、それでも子供を虐待する親は後を絶たないわけだから、必ず我が子をかわいいと思える保証はない。しかし生まれてきてみてかわいいと思えなかったら、その後の育児はさぞつらかろう。かわいくなかったからといって『古事記』のように「いっけね! 川に流しちゃえ!」というわけにはいかないのだから。かわいきゃ天国、かわいくなきゃ地獄。今後数十年の苦楽を決める分岐点で面舵をとるのは自分の意思ではなくて、どう考えても足りてないおのが母性本能。なんて心細いんだ。

 そもそもかわいいも何も、赤ちゃんを注視したことがない。それぐらい無関心だった物体を、いきなりかわいいと思えるものだろうか。本当は、赤ちゃんなんてかわいくないんじゃないか。みんな、お世辞か自己暗示でかわいいって言ってるだけなんじゃないか。だいたい、犬猫の写真集は山のように出ているのに、赤ちゃんの写真集なんてめったに見かけないじゃないか。赤ちゃんのファンシーキャラだってキューピーくらいしか思いつかない。「うちのタマ知りませんか」は猫だからかわいいので、あれが赤ちゃんだったらちょっとイヤだ。

 ああ、人間の赤ちゃんの造形がペンギンほどにもかわいければ、こんなに悩まないのに。

 心細い気持ちを抱えつつ、ついに出産の日を迎え、我が子に対面するときがやってきた。今母性本能を出力せずしていつ出すんだという瞬間。しかし口から出た言葉は、

「毛深い……」

 背中にびっしり生えた毛にびっくりしてこのていたらく。世の中には「生まれてきてくれてありがとう」なんて気の利いたことを出産直後に言える人もいるらしいが、そんな文節の多い言葉を発する気力もなかった。かわいい……かなあ。そんな難しいこと、今考えられないや……おなかすいた……。

 退院の日、義父母が赤ちゃんを見に来てくれた。「もう! すみません! 娘の悪いところばかり似ちゃって」とDNAに責任を感じたのか義父母に平謝りする我が母。おいおいそこまでブサイクなのかい我が子は。
「そーんなに言うほどブサイク? 普通だと思うけど」
「そりゃ、我が子は一番かわいく思えるものよ」
「一番かわいいとまでは思わないけど……」

 正直、新生児時代の我が子を特別かわいいとは思わなかった。だからといってかわいくないというわけでもなく。よくわからない。意思の通じづらい生命体をおっかなびっくり世話することに手一杯で、あんまり考える暇がなかったというのが正確なところ。

 それから1ヶ月半ほど経ったある日。出産後は仕事はセーブしていたが、どうしても締め切りが重なって夜遅くなってしまう日もある。抱いていないと泣いてしまう我が子をベビーキャリーで前だっこしながらパソコンに向かいつつ、そろそろ寝たかなあと顔を覗き込むと、「まだ寝ないの? もう眠いよー」とばかりに薄目でチラチラこちらを見ながらふわわと大きなあくび。

 かわいい……!

 この日から、赤ちゃんがかわいく思えて仕方なくなった。もしかしたら「かわいい」と「かわいそう」のスイッチは隣接しているのかもしれない。オカンのせいで夜遅くまで寝られない赤ちゃんかわいそう~萌え~、みたいな。こう書いてみると幼児虐待につながりかねない危険思想のように思えてきたが、通報するのはちょっと待ってほしい。

 思ったのは、赤ちゃんのかわいさというのは、造形それのみに由来するものではないということだ。中には生まれながらにしてアイドル並みのルックスを持つセレブ赤ちゃんもいるだろうが、だいたいの赤ちゃんはガッツ石松、いいとこ岡本太郎である。泣いた姿は青空球児に似ていさえする。加えて新生児はリアクションが薄い。目もあまり見えない、音にも反応しない、笑いもしない、手足すら自分の意思で動かせないのだから当然だ。せめてものかわいさポイントは「小ささ」ぐらいのもの。だから生まれたての赤ちゃんを見せられてリアクションに困った人は、決まって「指の小ささ」に感激してみせるのだ。

 そんな無力にもほどがある生命体がこちらの笑いにあわせて笑い、音楽に喜び、おもちゃをつかむようになり、絵本にはしゃぐようになる。「ああ、無力な我が子がガッツを出してこんなにも困難な事業を成し遂げた」と母親としてはいちいちうれしく、ついmixiでこの感激を報告したくなるが、「いやいや他人にとってはどうでもいいよな」と思い直す。これが世に言う親バカか。生きるためによりにもよって私に頼らざるをえない我が子がかわいそうでかわいくて。

 激安ベビー服を着ている我が子もまたかわいい。激安ベビー服というのは、「kuma kuma pyo~n」だの「kuma kuma everyday」だの「minna nakayosi」だの「since 1985」だの「ZOO ZOO SEA」だのなぞのアルファベットが刻印されていたり、ゆがんだ顔の動物キャラが乱雑に縫い付けられていたり、80年代からセンスが止まりっぱなしのファンシーなイラストがデカデカとプリントされていたりと、デザイン面で大変なことになっているものが多い。そんなダサいベビー服を何もわからずに着て無邪気にはしゃぐ我が子を見ていると、胸の奥で何かが発火するのがわかる。切なくて、可愛くて、いとしい。いずれ君は、このダサさを理解して、オカンが買ってきた服を着てくれなくなってしまうのだろうね。だけど今は、アホの子の今は、「kuma kuma pyo~n」を着てにっこり笑っている。ああ、かわいい……。

 いい加減うんざりしてきた人もいるだろうからこの辺にしておくが、赤ちゃんのかわいさというのはなるほど、産んでみなければ、というより育ててみなければわからない、というのは本当のことのようだ。赤ちゃんを連れて外に出ると、「かわいい」と近寄ってくるのは子育てを終えてしばらく経ったであろうおばちゃんばかり。若い女の人は、かつて私がそうであったように無関心だ。

 そしておばちゃんたちが決まって言う一言。「今が一番いいときね」。

 彼女たちの胸のうちを想像せざるをえない。「ジャスコでミチコロンドンのトレーナーを買ってきてあげたのにバカにして着てくれない我が子も、こんなふうに何もわからなかった頃はかわいかったわ」。そうだねえ、このかわいさは今だけなんだろうねえ。やっぱり不安は終わらない。 

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