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文化系ママさんダイアリー

2008.05.01 公開 ツイート

第八回

オカンアートへの目覚め 堀越英美

 女たちの長蛇の列、飛び交う店員の怒号、子供らの泣き声、刃物きらりとひらめくここは仁義なき焼け跡闇市……じゃなくて、池袋の某大型手芸店。

 入園時期を間近に控えた手芸店のフロアには、幼稚園&保育園グッズの材料を買うために子供連れのお母さんたちが大勢詰め掛けていた。私もその一人。無事保育園が決まり、仕事に専念できるかと思いきや、そうは問屋がおろさなかった。保育園にもよるのだろうが、たいていの保育園では母親の手作り品を求められる。我が子は0歳児なのでさほど多くはなかったが、それでもシーツ、掛け布団カバー、パジャマ入れは必須。なぜか保育園にある布団は市販のベビー布団とサイズが異なるため、手作りは回避できないらしい。幼稚園ともなると通園バッグ、上履き入れ、お弁当袋、ざぶとんカバー、ランチョンマットまで手作りが要求されるとか。そういえばドラマ「アットホーム・ダッド」で、阿部寛演じる専業主夫が通園バッグを作らされててんやわんや、という回があった。1時間ドラマになるくらいの面倒くささなのだ、入園準備というのは。

 手芸店は予想以上の大混雑で、店員に布地を切ってもらうだけで数十分待ち。列は全員女性。次第にイライラが募ってくる。ああ、なんという女性労働力の無駄遣い。このためにミシンを購入する家庭も多かろう。買えば数千円で済むものを、わざわざ列をなして布を買って手作りする意味がどこにあるのか。私が政治家になったら、まずこの無駄を訴えたいね。シーツ作り反対! 通園バッグ粉砕! 体制による裁縫の義務化を断固阻止せよ! 造反有理!

 ……入園早々モンスターペアレント扱いされたくはないので、従順にシーツ作りにいそしむことにする。何もスーツ作れといわれているわけでなし、シーツくらいどうということはないはず。それに裁縫とガンプラ作りって似ているような気がするし。パーツを切り離してやすりがけして(端かがりして)、パーツを組み合わせて仮組みして(待ち針で止めて)、接着して(縫い合わせて)、合わせ目を消して(袋縫いして)、デカールを貼って(お名前を縫い付けて)完成。ほら、そっくり。それに手芸って古くからある女子オタク趣味の一ジャンルでもあるし、ガンプラ並みに楽しいんじゃないかな。きっと。みなぎれ、やる気。

 ガンダムを動員してやる気エナジーを補填したところで保育園から渡された入園準備品リストを見ると、シーツと布団カバーにはスナップを8個つけろとある。両サイドにつけると16個、シーツと布団カバー合わせると32個。シーツを縫い合わせる前に、32個の大きなスナップを手縫いで縫いとめなくてはいけない。ちくちくちくちくちくちく……昼からはじめた作業が夜になっても終わらない。なんて地味! ガンプラのカタルシスまるで無し!

 この間、赤子は夫に預けっぱなし(針仕事なので)。ごはん? どっかで買ってくるがいいさ。せっかくの休日だというのに、またもや殺伐とした気分がこみ上げてくる。子育てをほったらかして保育園の準備なんて、本末転倒もいいところではないか。仕事があるから子供を預けるというのに、何も作業をむやみに増やさなくてもいいだろう。だいたいなんでスナップなのか。ファスナーだったらミシンでズダーと縫えるから楽なのに。わかった、これは手縫いを余儀なくさせることで“母さんが夜なべイズム”を現代に復古させんとする保守派の陰謀なのだ。立ち上がれ、万国のママさんたちよ! 造反有理!

 いけない、せっかく狭き門をくぐりぬけて保育園に受かったのに、造反を試みて入園する前から退園させられてはかなわない。この単調さを写経的な修行と心得て粛々と作業を進めよう。いったい何の修行……。そうだ、年をとって本が読めなくなったときに裁縫を趣味とするための修行だと思えばいい。80歳を過ぎた我が祖母は目も腰も悪くし、台所にも立てなくなってしまったが、裁縫スキルだけは現役で、今でもちょっとしたカバーならすぐに縫えてしまう。裁縫力は女スキルのうちで一番長持ちするのではないか。老人になったときに何も役に立たない厄介者扱いされるのは恐ろしい。今から裁縫を身につけておけば、将来愛され老婆になれるかも……。

 ミシンの取り扱い説明書と裁縫の入門書を片手に、すべての作業を終えたのは数日後。作る前はせっかく手作りなのだから自分の趣味に合わせてかわいく仕上げたいと刺繍道具やアップリケ用の布を用意していたのだが、そんな気力、まるで無し。ガンプラで言えば素組み状態で提出することにした。そんなことじゃ愛され老婆になれないぞ☆(けっこうです)。準備に手こずりすぎて、入園を祝うことすら忘れる始末。

 そして入園から1ヵ月、すっかり裁縫には懲りたはずなのに、テーブルの上にはまたミシンが載っている。シーツの余り布と着なくなったタンクトップを組み合わせて乳児用スモックなどを作ってしまった。それも2着。ついでにおもちゃも。仕事の締め切りが1日後に控えているというのに……。動機? むしゃくしゃしてやった。今は反省している。

 いやしかし、裁縫は行き詰まったのときには最高の逃げ場になると思う。集中するから直近でやらなければいけないことや失敗を忘れられる。手軽に達成感が得られるという点では料理にも似たところがあるが、こちらは形に残る。子供をほったらかして熱中したとて、その熱中のほこ先が仕事ではなく裁縫であれば、世間も後ろ指を差すまい。むしろ「すてきな奥さん」として胸も張れようというもの。着古した服を子供服にリメイクしたならお得感満点、「すてきな奥さん」度はさらにアップ。裁縫に費やした時間を時給換算すれば、ちっともお得ではないのだけれども。何か裁縫には、そうした理性的判断を遮断する魔力があるようだ。

 なるほど、だから世の母親というのはキューピーに毛糸の服を着せたり、包装紙でかごを編んだり、古いハガキで鍋敷きを作ったり、石鹸をリボンで飾ってスワンを作ったり、軍手でピエロを作ったりするのだな、と納得。貧乏くささを増幅する以外何の役にも立っていなさそうなあれらオカンアートの類も、母親たちの行き詰まりと逃避の果てに生まれた意義深い品々なのかもしれない。我が家のドアノブに花柄のカバーが付けられる日もそう遠くはないのだろうか。 

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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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