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2008.05.15

第九回

ママとお母さんと、時々、オカン

堀越 英美

ママとお母さんと、時々、オカン

 神は実在するのか、男女間に友情は成立するのか、上野動物園にパンダは必要なのか、たこ焼きはご飯のおかずになるのか。世に争いの種はつきないが、ママ界でも静かな派閥争いが続いている。「子供にママと呼ばせる派」vs.「子供にお母さんと呼ばせる派」の二大派閥の攻防だ。

「いい年して親のことをママ呼ばわりしている人はひく」「おばさんが自分のことをママって言ってるのは変」「年いった人がママと呼ばれているのを見ると夜の世界の人かと思う」「友達親子みたいで気色悪い」「外国語を使う人は非国民」と、お母さん派の言い分は手厳しい。一方ママ派は「お母さんって柄でもないし」「お母さんって呼ばれると一気に老け込んだ気分」とノンポリ気味だが、実際はこちらのほうが最大派閥。育児雑誌の影響なのか、「ひなのちゃんママ」「ひろとくんママ」などと「子供の名前+ママ」で呼び合う人も多い。そういえばこの連載のタイトルも「文化系ママさんダイアリー」だった。

 ママ vs. お母さん論争の歴史は意外に古く、大正時代にさかのぼる。2006年2月4日付けの朝日新聞掲載記事「サザエさんをさがして」によれば、明治後半に洋行帰りの華族の家庭で使われるようになった「パパ」「ママ」に「吹けば飛ぶよう」と反対論を唱えたのが歌人の高浜虚子。これに与謝野晶子が「日本は文字も法律も外国から移植した。ことさら忌む理由なし」と反論して論争になったとか。さらに昭和9年には当時の文部大臣が「近頃、パパだの、ママだのがはやっているがもってのほか。日本語でお父さん、お母さんと呼ばないから日本古来の孝道がすたれるのだ。直ちに駆逐せよ」と説教したりして、理由はさまざまなれど、生理的に「ママ」が受け付けない人は昔から多かったようだ。

 さらに時代は下って昭和38年、「こんにちわ 赤ちゃん」のヒットで団塊世代の庶民にもニューファミリーらしさを感じさせる「パパ、ママ」が浸透し、今の「ママ」隆盛にいたるということらしい。まさに団塊ジュニアたる私も、木造平屋トタン張り育ちのばりばりの庶民ながら、「パパ、ママ」と呼ぶように躾けられた記憶がある。

「ママさんバレー」「ママさんコーラス」というまぬけな語感に代表される既婚女性文化のぼんやり加減を愛する当連載ではあるが、自分は「お母さん」と呼ばせる気満々だった。特にポリシーがあるわけでなく、西原理恵子の育児マンガで、幼い娘が「おかしゃん」と呼んでいるのがかわいかったから、というただそれだけなんですけれども。したがって自称はつねに「お母さん」。

 ところが8ヶ月過ぎから赤子が言うのです。「ママー」と。フレディ・マーキュリーの生まれ変わりかジョー山中の再来か。いやいや明らかに私に向かって言っている。ママと名乗った覚えもないのに、いつの間に習得したの。あわてて育児書を開くと、M音は赤ちゃんが最初に覚える子音とある。唇をいったん閉じて空気を吐き出す発声法が、おっぱいを吸うときの口の動きに近いというのがその理由だそうだ。

 単に言いやすい子音+母音の組み合わせが「ママー」だったというだけか。育児用語でいうところの「喃語」で、特に意味はないらしい。さすがに自分の子が生後8ヶ月で話し始めるほど早熟なわけもないが、ちょっとがっかりだ。

 しかし、「ママー」もしくは「マンマー」と発声するときのタイミングには、明らかに傾向があるように見える。「おなかすいたからメシもしくはパイをちょうだい」「なんだかおぼろげに不安になってきたからわたしを抱いて安心させてよ」「もう一人になりたくないよ。もうほかの誰かじゃいやだよ」「24時間好きって言ってて!」と、「東京ラブストーリー」の赤名リカよろしくなんらかの不安や欲求が高まったときに「ママー」と叫ぶみたいだ。欲望がとりあえず満たされてごきげんになると、「マンマンマン」「バッバッ」「バブバブ」とまったく違う喃語になる。

 そうかー、言語って、モノを指し示すために生まれたんじゃないんだな。欲求とか希望とか不安とか、充足条件を持つ志向的な感情がまずあって、その感情を充足させるためにヒトは言葉を発するのだ。モノの名前などはその後に生まれたオプションに過ぎないわけですよ。おお、言語の発生の瞬間に立ち会った気分。もっともらしく言ってますが適当です。

 そんな欲望まみれの「ママー」を聞いた母親が、「私を……呼んだ?」と積極的に勘違いしたいばかりに、各地で「ママ」が母親を指し示す言葉になったのかもしれない。どの言語でも「母親」をさす言葉はたいていm音がつくらしいし。mother(英語)、mere(フランス語)、madre(スペイン語)、мать(ロシア語)、mama(スワヒリ語)、媽媽(中国語)、imeh(ヘブライ語)、me(ベトナム語)。こうしてみると、「ママ」より「お母さん」のほうが例外的な呼び方であるようだ。昔の日本のお母さんたちは「ママー」を即物的にご飯のことだと解釈して、「ご飯」を意味する幼児語「マンマ」が生まれたのだろう。

 ならばこのまま「ママ」と呼ばせようか。「ママー」という喃語に「はいはいママよ~」と名乗りをあげてみると、あたかも会話が成立しているみたいでちょっといい気分。「ママ」が「お母さん」を駆逐する勢いで幼児を抱えるママさんたちに浸透していった理由がよくわかる。

 問題は、いい年してママと呼ばせていると母子ともにバカにされやすいということ。「ママ」派でも「○歳になったら言い直させる」「娘はいくつになってもママって呼んでいいけど、息子はマザコンっぽいから呼ばせない」という人は多い。なんと呼ばせようが好きにさせて、と言いたいところだが、おっぱいを吸う口の動きから生まれた言葉だもんなあ。人前で「ママ」と呼ぶのは「おっぱい吸わせて」と言ってるようなもので、みっともないを通り越していっそ淫靡かもしらん。「ママ」嫌いが多い理由の一端はこれか。

 私も「パパ、ママ」を「お父さん、お母さん」に言い換えるタイミングを逃してしまった口なので、この恥ずかしさを娘に味わわせたくないという気持ちもある。対面で呼ぶのも恥ずかしいのに、まして他人に自分の父母のことをどういえば呼べばのか。フォーマルな場なら「父、母」でいいのだが、友達同士で「うちのお母さん」というような場面でけっこう困った記憶がある。「母」は平気でも、なぜか「お母さん」は言いづらい。自分の母親じゃなくてバファリンのCMに出ているような上品な山の手ママを指している気がしてしまうのだ。そんな、半分は優しさでできているようなほんわか母さんじゃないですから、と言い訳したくなって困る(じゃあなぜ我が子に「お母さんよ~」などと自称できるのだ、と突っ込まれそうだが、自分の母業はいまだにコスプレ感覚なので別にいいのです)。

 しかし最近はさほど不自由がなくなってきた。リリー・フランキーの小説『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』がベストセラーになったおかげで、関東人にも「オカン」が浸透しつつあるから。「うちのオカンがさー」。ああ、この庶民くささ、乾いた語感、なんて言いやすい。ぜひこのまま関東圏に定着してほしい言葉だ。

 でも娘に「オカン」と呼ばれるのは、まだ早い気がするな。オカンパーマをかけて、リアルな虎のプリント付きトレーナーと花柄のスパッツを着こなせるようになって、スーパーで見知らぬ人にタメ語で話しかけられるようになって、不用品をことごとくオカンアートによみがえらせる魔法の手を持ってから呼ばれたい。そこまで自意識を捨てられたら、どんな呼ばれ方でも一切頓着しなくなる気もするが。 

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