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2008.07.01

第十二回

文化系のブックスタート

堀越 英美

文化系のブックスタート

 松谷みよ子がねたましい。

 赤ちゃん向けロングセラー絵本『いないいないばあ』(文・松谷みよ子/絵・瀬川康男)の話なのだった。

「え、赤ちゃんが絵本を読むの?」と驚く人もいるかもしれない。最近は0歳児健診などで赤ちゃんに絵本を手渡す「ブックスタート」運動を行う自治体も多いので、本好きでなくても0歳児に絵本を読み聞かせる母親は珍しくない。ただし赤ちゃんが反応する絵本はそう多くないので、自然と選択肢も限られる。『いないいないばあ』は、数少ない“赤ちゃんが喜ぶ”絵本の定番中の定番なのだ。左ページに動物たちが「いないいない」をしている姿が、ページをめくると右ページに「ばあ」をしている姿が描かれているだけの単純な構造の絵本なのだが、これが世の赤ちゃん族にはたまらないらしい。

『月刊MOE』5月号の特集「本当に売れている絵本」ランキングでも、『いないいないばあ』は405万部で堂々第1位。この出版不況の折、たいへんうらやましいことだ。しかもケータイ小説と違って赤ちゃんの嗜好は時代で移り変わったりしないので、一度「赤ちゃんが大喜び」という評価を獲得した絵本は、今後も売れ続けることになる。「今どきいないいないばあて(笑)赤子もずいぶんなめられたもんでちゅね」「人間が描けてないでちゅ」「こんな古くさい絵じゃ萌えないでちゅ。みさくらなんこつ絵にリニューアルしろでちゅ」。そんな批評家気取りの赤子はいない。優良顧客にもほどがある。

 ねたましく思う気持ち、おわかりいただけるだろうか。「いないいないばあ」と書いただけで400万部……私なんて何百キロバイトも原稿書いてるのに……そりゃ本の価値はファイル容量じゃないけど……ああ、私の中に鬼が棲んでいる……嫉妬という名の鬼が……。

 赤ちゃんが喜ぶ絵本を買ってあげたい、だけどベストセラーに身銭をきるのは癪。引き裂かれる母の思いとはこのことか。図書館で借りて家のスキャナーでスキャンしてカラープリンターで出力して製本して絵本に仕立ててみるのはどうだろう。その手間をかけるくらいなら買ったほうが早くないか。というか、そこまでして印税を払いたくないという己の異常な嫉妬心に胸焼けして作業の途中で断念してしまいそうだ。

 自分でいないいないばあの絵本を作ってみるのはどうか。ためしにボール紙に「いないいないばあ」らしき動物のイラストを描いてみた。赤子、読まずに食べた。終了。

 だいたいいくらベストセラー作家にお金を落としたくないとダダをこねたところで、子供が喜ぶとされる名作絵本はどれもこれもミリオンセラーばかりなのである。前述の『月刊MOE』のデータによれば、『ぐりとぐら』396万部、『はらぺこあおむし』290万部、『しろいうさぎとくろいうさぎ』232万部、『はじめてのおつかい』185万部、『100万回生きたねこ』160万部……。きりがないのでもう挙げるのはよそう。どうせ私が一生拝むことのできない数字なのだし。

 悩んだ末、買った絵本は『おばけがぞろぞろ』(佐々木マキ)。作者は『月刊ガロ』出身のマンガ家・イラストレーターで、最近は絵本作家として活躍している。著作『佐々木マキのナンセンサス世界』は私も大学時代から愛読しているので、お金を落とすことになんのためらいもなかった。

 赤子は『おばけがぞろぞろ』を早速気に入ったらしく、繰り返し読んでくれとせがむようになった(まだ話せないが、読み終えるともう一度頭から読み始めるまで全身をつっぱってウーッとうなり続けるのである)。今ではぐずっているときにタイトルを口にするだけで、泣きやんでニパッと笑うほど。放っておくと勝手に取り出してきてペラペラめくっている。そんな姿は「よっ! この生まれながらのガロっ娘!」と声をかけたい愛らしさだ。ああ、いい買い物をした。

 しかし乞われるままに『おばけがぞろぞろ』ばかりを読み聞かせていると、ある不安が芽生えてくる。「おばけ」というだけあって、後頭部がぱっくり割れていたり三つ目だったり、この世のものではないファンキーな造形の生き物しか登場しない。リアル動物もろくに知らないのに化け物の姿ばかりを教え込むのはいかがなものだろうか。それにベタな笑いを知らないうちからナンセンスの笑いに慣れてしまったら、この先学校生活で苦労しやしないか。先生のぬるいダジャレに腹を立てて一人ムスっとしていたばかりに要注意児童としてマークされてしまった自身の苦い思い出がよみがえる……。

 そんな折、編集のHさんから絵本『うしろにいるのだあれ』シリーズをいただいた。見開きいっぱいに動物が一匹ずつ描かれていて、文字数も少ない。赤子の教育にこのうえなくよさそう。帯には「愛子様お気に入りのベストセラーシリーズ」とある。愛子様といえば5歳にして力士の名前を暗記し、テレビで相撲観戦しながら七五調の歌を詠んだ伝説を持つ生粋の相撲マニア。我が子が愛子様のごとく渋いマニア幼児に育ってくれれば望外の喜びである。

 絵本のヘビーローテーションを『うしろにいるのだあれ』シリーズに差し替えてからしばらく経ったある日、帰宅した夫に「絵本読んでやってよ」と頼んだ。夫は何冊か読んだあとで「これ、ずるくね?」と怒り出した。

「なにが?」
「だってみんな『うしろにいるのだあれ』って同じパターンばっかりじゃん」
「そりゃ、そういうシリーズだもん」
「絵を描く人はえらいけどさあ、文を担当している人が手抜きだよ」
「赤ちゃんは繰り返しが好きらしいよ。でも気持ちはわかるよ」
「絵本はいいよなあ。ちょっとしか書いてないのにいっぱい売れるんだから。どうせ芸能人が書いた適当な絵本がバカ売れしたりしてるんでしょ。渡辺●●●とか」
「知らないよ」
「いや俺も知らないけどさあ……」

 私とねたむポイントがまったく一緒。いやな以心伝心だ。夫婦そろって小さいね、私たち……。

 そして私たちの小さな心をしっかり受け継いだ我が子は、その後知人から松谷みよ子の赤ちゃん絵本シリーズのお古をいただいたものの、これっぽっちも興味を示さないのだった。わあ、人生のスタートラインに立ったばかりなのにすでにはぐれ気味。素直にド真ん中の娯楽に興じておきなさい、我が子よ。私が言っても説得力まるでないけど。 

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