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2014.07.19

第3回

『神聖喜劇 第三巻』解題 無料試し読み
青山真治(映画監督・小説家)著 血なまぐさい月は、まっぴらだ。

『神聖喜劇 第三巻』解題 無料試し読み<br />青山真治(映画監督・小説家)著 血なまぐさい月は、まっぴらだ。

“プレミア本”電子化プロジェクト第3回は、『神聖喜劇』の第三巻。巻末に収録されている映画監督・小説家の青山真治さんの解題を公開します。

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血なまぐさい月は、まっぴらだ。   青山真治(映画監督・小説家)

 正確であること。

『神聖喜劇』という小説の凄さ、そして面白さは、私にとってなによりまずそこにある。それは「正確であること」を問いつめていく、一種の推理劇として読むこと(作者の中心的作業に思いを至らせるなら、言わずもがなの話だが)も可能だろうと考えている。名高い≪「知りません」禁止「忘れました」強制≫をはじめとして、帝国の秩序を維持する曖昧さを追いつめる主人公=探偵としての東堂太郎の、超人的な記憶力と正義感はときに……失礼に当たるかもしれないが……ユーモアさえ感じるほど、ほとんど常軌を逸している。そしてこの言葉の「正確」な使用は、小説『神聖喜劇』を書く作者・大西巨人の文章にも当然ながら、徹底して反映されてある。たとえば、短編集『五里霧』の一篇≪縹富士≫において、中学生が「文化祭のアンケート」として送って寄越した手紙の誤記を徹底的に追いつめていくエピソードに、その正当性には首肯しつつもつい笑ってしまったことがあった。なにも中学生相手にそこまで、と。ともあれ、その非妥協な「正確」さの追及に大西作品の魅力の一側面を見ることは間違いのないところである。

 ところで「正確であること」とはどういうことだろうか。私のような若輩の門外漢が口を挟む余地のないことは承知で、自分なりに考えてみると、あえて言わずにおくこと、本意を隠すこと、いわゆる「脱説法」を自らに禁じること、だろうか。たとえば、現在の天皇制を支える「象徴」という「脱説法」こそが、小説『神聖喜劇』が真に追いつめようとする真犯人であるにちがいないとすれば、小説『神聖喜劇』の膨大さは「象徴」ないしは「記号」という「脱説法」を徹底して拒絶することによる不可避な結果だったはずだ。そこにおいては、いわゆる読み易さは犠牲とならざるをえない。なにしろ読者(すくなくとも私)は、ほぼ省略なしに繰り出される「正確」さの巻き起こす渦に身を任せることなく、小説『神聖喜劇』を読むことは不可能なのだから。

 その小説『神聖喜劇』が漫画化されると聞いて即座に危惧を抱くのは、熱心な読者だというのもおこがましい私のような若輩者だけであるはずがない。なにより漫画の修辞とは、事前のお約束、つまり「脱説法」による省略を受け容れることによって成立している、といままで考えていたからである。私自身、子供の頃には慣れ親しんだ漫画を手に取ることがなくなって長い年月が経つから、小説『神聖喜劇』についてと同様、漫画の存在についてもとやかく言える資格も能力も有さない。ただ、小説や映画に耽溺しはじめた時期から漫画というメディアの持つ「お約束」的修辞を退屈としか感じられなくなった。本作内にもそうした描写があるが、たとえばそれは、左右を向いた同じ人物の顔を二つ並べてその中央の輪郭を曖昧に描き、そこに曲線を数本描けばそれはその人物がキョロキョロ辺りを見回していることになる、といったような「お約束」である。もちろんそうした修辞は漫画に限ったことではなく、多かれ少なかれあらゆる表現メディアにつきものではあるだろう。私がとりあえずの生業としている映画にも、イマジナリー・ラインという「お約束」的修辞があることは周知のことだ。もっとも、映画にはそれを逆手に取って驚きを生産することも可能だ。たとえば、しばしばその内容を保守(プチブル)的と批判されがちな小津安二郎が映画にとって革新的であったのは、向かい合った人物が画面のほぼ中央を見つめて切り返される、いわゆるキャメラ目線のカットバックによってイマジナリ―・ラインという修辞を破壊したことにあった。あるいは小津が好んで使用する、繰り返しの台詞「そうかい」「そうよ」「そうか」「そうそう」などは、これまたことによると「脱説法」的と受け取られがちだが、その音響そのものが形成するリズムによって意味から逸脱していくことで「脱説法」化を拒絶しもしそれらに気づいた者は驚きを与えられる。そうした修辞の目的を破壊する驚きを漫画によって与えられた経験は、先述のとおりさほど漫画に精通しているわけではないので「正確」さを欠いているが、赤塚不二夫などごく稀にしかなかった。なおかつそうした例外的な作品においても、漫画という絵は人物の「顔」の描写という「記号」化を不可避的に受け容れざるをえない。映画における顔は、良くも悪くもその存在の個別性から逃れることはできないから、多くの場合「記号」化を拒絶することになる。またもちろん小説の場合の顔は、ひたすら言葉の「正確」な描写によって読者の想像に委ねられるがゆえに「記号」となりようがない。ところが、漫画においては物語の要請(支配)によって「顔」は「記号」として同一性を義務付けられる。

 そうした漫画の修辞はなんの役に立つのだろうか。小説『神聖喜劇』があえて背をむけた読み易さ以外のなにかだろうか。ただし、この読み易さは括弧付きの「読み易さ」であるだろう。それらの修辞を「お約束」として知らない者を切り捨て、また「お約束」を予め受け容れている者だけを対象とする「読み易さ」である。そこでは、小説『神聖喜劇』のほとんど愚直なまでに「正確」な描写がなしえた説得の力が失われはしないか。この説得の力を抜きにして、物語および≪思想その他≫のみを抽出し、漫画に移植することを『神聖喜劇』は受け容れるだろうか。漫画『神聖喜劇』は大西巨人の作物を原材料とする『神聖喜劇』として十全たりえるのだろうか。

 こうした「誤差が太い」危惧を乗り越えて、漫画『神聖喜劇』が発表されることの目的が『神聖喜劇』という一個の思考をより多くの人口に膾炙させることにあるは言うまでもない。これ以前に発表された、脚本家・荒井晴彦による『シナリオ 神聖喜劇』(太田出版)が、映画化を通じてこの思考=思想を、愚にもつかぬ改憲論の悪しき波が押し寄せるこのご時世にあらためて世に問おうとすることと同様である。世界のどこより漫画が一般化した戦後日本にあって、漫画という手段をあえて退けることがこの思想の流布にとって得策でないことも、また明らかだろう。だからこれは微妙な問題なのだ。いまこのとき必要とされる『神聖喜劇』の思想を、完璧な姿としての小説から乖離させる危険に目を瞑ってでも一般に広めることを選ぶべきか、それとも断固として「記号」化を経た「読み易さ」に背を向けて完璧な姿としての『神聖喜劇』を守るべきか。この選択を前にして、おおいなる躊躇を科しつつも前者を選ばざるをえない状況にこの国が陥っていることを、実感しない者はいないだろう。苦渋の選択とはいえ、その程度は妥協ではなく保留にすぎない、と思えばいい。すくなくともこれは「忘れました」を強制することとはちがうことだ。ごく一部のインテリによって『神聖喜劇』を飼い殺してはならない。季刊『at』一号の劈頭で、大西自身が引用したフォークナー『征服されざる人々』中の断章にあるとおり「血なまぐさい月は、まっぴら」なのだ。≪縹富士≫で「尾藤」に批判を受けた中学生(すでに選挙権を持った社会人となっていることだろう)にも、この反戦思想のなんたるかを知ってもらいたいと願うことに、漫画も小説も変わりはない、とこの際言ってしまおう。

 漫画『神聖喜劇』を一読すれば、東堂太郎の超人的「正確」さがいわゆる「キャラ立ち」した形で十全に描かれていることはすぐにわかる。冬木と大前田それぞれの悲哀も決して損なわれてはいない。であれば、この「保留」を受け容れることもやぶさかではない。

 なんにしろ『神聖喜劇』がひとりでも多くの読者を獲得することはこの国にとって、いや世界にとってよいことだ。いかなる手段を用いてもこの思想が世間の隅々にまで行き渡ることはよいことだ。すくなくともいまは、そう単純に考えることができる。

 加えて願わくば先の『シナリオ 神聖喜劇』もまた映画となって多数の観客に鑑賞される日の近からんことを。北九州門司に生まれた一映画監督、護憲思想の一保有者として、私もまた『神聖喜劇』という一個の思想が未来に向ってさらに多様な、「誤差の太い」根茎を這わせ続けることを断固、支持する。

 

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