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特集

2014.08.05 公開 ツイート

香山リカ×湯浅誠対談 国論が二分される時代をどう生きるか

最終回
「問題の立て方」を変えてみよう 香山リカ/湯浅誠


「負けたけどいい戦いだった」をいつまで続けるのか


香山 それと同時に、私は、たとえば朝日新聞を読んでいた人たちが、「朝日を読んでいたのは間違いだった。いままでの自分は何だったんだろう」と失望しないようにすることも必要だと思うんですよね。

湯浅 それはもちろん。今の自分とかつての自分を対立させちゃいけない。

香山 私、「戦争をさせない1000人委員会」という団体の呼びかけ人になっていて、集会などにも行ったりするんですね。でもそこで気勢を上げたところで、関心のない外部の人たちに届くとは、はっきり言って思ってない。だから、内輪で「やったるで」と言い合っていればうまくいくと思っている、自己満足的なありようには腹が立つ。
 だけど、そこに来ているような人たちは、実はもう今の世の中ではほとんどマイノリティなんですよね。そういう人たちが、心ならずも行き場を失って、「もうやめた」とか「俺たち間違ってたね」と、ガッカリして挫けてしまうのは、すごく残念なんです。だから、意見を同じくする人が集まって、ときには対立陣営を非難しながら、傷をなめ合う場も必要というか。

湯浅 わかります。私はそれをまったく否定しません。そういう場も必要だし、そうじゃない場も必要です。

香山 そんなことを言いながらも、私は、その場に行くといつもイライラして、「ただ傷をなめ合ってるだけじゃないか」とか、逆に失礼なことを言ってしまうんだけど。

湯浅 香山さんは、ずっと難しいポジションを取ってきたと思うんですよね。そういう場所に行けば「これでいいのか、傷をなめ合っていていいのか」と言う。そうじゃないところに行けば、「あなたたちは戦争が起きてもいいと思っているのか」と言うでしょ? どこに行っても問題喚起的な考え方を促す役割をしているから、損と言えば損ですね。でも、それは大事な役割だったと思うし。

香山 過去形にしないで(笑)。

湯浅 役割だと思うし(笑)。私は何年か前に香山さんと、「九条の会」か何かの集まりに出たことがあって、そのとき香山さんが、さきほどの江原さんの話じゃないけど、「終末待望論」のようなことを言ったんですよ。当時の私は、どうして香山さんがそんなことを言うのか、よくわからなかった。でも今は、そういう役回りの人が大事だということは、よくわかります。なかなか周囲には理解されないかもしれないけど。

香山 都知事選とか国政選挙とかで、友人や支援している人が立候補して、開票状況をみんなで見ながら結果の発表を待つ会みたいなのをすると、たいていテレビの特番が始まったとたんに、当確が出るじゃないですか。

湯浅 8時1分にね。

香山 そう。それで応援していた人が落選したとわかると、必ず「いやあ、残念だったね」「でも、言ってることは私たちのほうが正しかったのよね」「残念だったけど、いい戦いだった」なんて、傷のなめ合いみたいになる。負け惜しみはしょうがないけど、そういう場ではいつも、「もうこんな思いをするのは嫌だ」と思う。
 最近の選挙で、私の票が生きるという数少ない経験をして(笑)、とても嬉しかったんです。そういう喜びをずっと味わえないまま、「試合には負けたけど勝負には勝った」みたいなことを言い続けてきたら、それは気持ちもくさるよね。

湯浅 でも、そこから転換しないことで、気持ちを維持しているという面もあるわけですよね。

香山 そうか。

湯浅 永遠の戦いだから。

香山 偉いよね。

湯浅 戦いをやめないかぎり、絶対の負けはないから。負け続けることによって勝ちを引き寄せる、ということになる。

香山 名前は挙げないけど(笑)

湯浅 運動には常に2パターンあるんですよ。「多少妥協してもいいから、状況を動かさないといけない」というのと、「いや、安易に妥協して動かしても意味がない。本当の変革を訴え続ければ、いつかは支持を広げて果たされるんだ」というのと。
 考え方の違う2派が一緒にならなくていいと思うんですよね。ただそれぞれのやり方があるということを、お互いに意識しあうことは必要。でもそれができなくて、殲滅戦になっちゃう。特に選挙は1人1票しかないため、その奪い合いが起こるから、しょうがないんだけど。そういう意味では、選挙というのは、活動としては不自由なものですよね。
 でも、選挙のときは一方を選ばなくちゃいけないけど、選挙以外のときは両方を認めたっていいはずですよね。選挙じゃないときは「両方あり」と言ったって何も問題ないのに、それが言えない。

香山 自分もそうなんですが、1から10まで足並みが揃ってないと認めあえない感じがあるんじゃないですか。さっきも言ったように、リベラルだと「死刑は反対、憲法改正反対、TPPも反対」というように。いいことはいい、悪いことは悪いと言う是々非々ができにくい。
 舛添要一都知事なんて、自民党に後ろ足で砂をかけて出ていったのに、選挙のときはお互いニコニコして握手して、自民党議員が応援演説をしていた。勝つためには何でもするという臆面のなさ、あの図太さを、リベラルの人たちは不純に感じてしまって許せない。何でリベラルって、純粋じゃなきゃいけないと考えるんでしょうね。

湯浅 マックス・ウェーバーに心情倫理と責任倫理という言葉がありましたけど、これは心情倫理ですよね。少なくとも責任倫理ではない。だから妥協的なことを嫌う。立場の違う人との話し合いに応じたとなれば、仲間から「あいつ、日和りやがったな」と言われる。
 ファシリテーションをやってる人から聞いたことがあります。話し合うこと自体を受け入れないのは、実は自称リベラルの人たちのほうだって。各政党が集まって市民と話す場をつくろうというような話に乗ってこないのは、いわゆるリベラルな団体の人だそうです。

香山 保守の人たちは、話に乗るというか、乗ってくる振りをするんですか。

湯浅 主張の上で妥協するかどうかは別として、話し合いの場に来ること自体は厭わない。ある種のリベラルな人たちは、「そこに行ったら、あいつらの宣伝に使われるんじゃないか」という考え方をするわけです。まず同質の仲間たちの結束を固めて、それをジワジワ広げていくことでいつの日か多数派になるんだという、このモデルをなかなか切り替えられないんですね。狭く閉じてしまう。
 しかしそんな調子で、もし本当に多数派になったら、そのときの少数派をどう扱うんでしょうね(笑)。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

湯浅誠

1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。2008年末の年越し派遣村村長を経て、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。2014年4月法政大学教授に就任。NHK「ハートネットTV」レギュラーコメンテーター、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」レギュラーコメンテーター、朝日新聞紙面審議委員、日本弁護士連合会市民会議委員なども務める。著書に、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞した『反貧困』(岩波新書)『岩盤を穿つ』(文藝春秋)、『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎と共著、NHK出版)など多数。

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