小説を書くときは登った山をなめるように思い出す

「山」と「本」の話題でたっぷり盛り上がった

神谷 『山女日記』に戻りますが、それにしても一緒に行った山の体験が小説になる感覚というのは、虚構と現実が入り交じった不思議な浮遊感があって、実際に起こったことなのか空想のことなのか、どれが現実なのかわからなくなる、おもしろい経験をさせてもらいました。こんなことは今までにありませんでした。一緒に山に行って紀行文として書いてもらうのは何回かありましたが、起こっていないことが起こったかのように書かれる、その場に実際に自分がいたような気がするのが不思議でした。

 感想を聞くのはドキドキします。一緒に行った方に紀行文をお渡しするのは一緒に見たものを共有するかたちなんですけど、小説を読んでいただくというのはちょっと違いますね。

神谷 利尻山は姉妹が登る話ですが、自分もあの二人と登ったのかな? と錯覚するような感じを覚えました。トンガリロは若い頃の恋愛の話と現在の話になっていましたね。湊さんもトンガリロは2回目だったそうですが、小説でも主人公がトンガリロに2回行っていたことになっていて、他の話ともいろいろつながって最後にまとまって、さすがだと思いました。

 ありがとうございます。

神谷 次の山ですけど、湊さんには北アルプスの涸沢カールに行ってもらいたいです。紅葉の涸沢をぜひ見て欲しいですね。

 紅葉はぜひ見たいんです。年に1度くらいの登山だとだいたい初夏に行くので、なかなか紅葉に出会えないんです。高い山で地上はまだ青いけど上がっていくにつれて紅葉のグラデーションになっているというのが見たくて。10月の妙高山にすごく期待して行ったら、まさかの初冠雪で、「緑!」「白!」みたいに急に雪になっていて、紅葉を雪が覆っていたんです。いいシーズンだったのに。

神谷 北アルプスの紅葉はこの世のものとは思えぬくらいなので、ぜひ。

 他にも登りたい山はいっぱいありますね。神谷さんが人生の最後に行きたい山はどこですか?

神谷 そうですね、北海道の大雪山でしょうか。すぐにでも行きたいんですけど、とっておきたい山です。写真で見る限り景色がすごそうなので。

 私はヒマラヤのベースキャンプに行ってみたいです。いろんな国から集まった頂上を目指す人がいるわけじゃないですか。これから頂上に挑む人たちを見たい。

神谷 エベレストのベースキャンプには行きました。『神々の山嶺』に影響されて行って、時期的に挑む人たちはいなかったんですけど、名もなき6千、7千メートル級の山ばかりが周囲にあって、誰も登ったことのない未踏峰がいっぱいあるということが感動的でした。エベレストに登りたいわけじゃないんですけど、その連なりがあたり一帯に見えているのはすごい世界です。

 見てみたいです。私は登ったら登りっぱなしでメモも写真も撮らないし、記録もつけないから、頭に残っている分しか思い出が残っていないんです。でも、今回、小説を書くにあたって登った山をもう一度なめるように思い出すって楽しい作業だなあと思いました。もう一度行った気分になれて愛着がわきます。今回、山のことを伝えることを意識しながら登ったのは今までにない体験でした。小説の中でいろんな人になって書いていたら、それなりに答えや明るい道筋が見えてきました。登場人物の誰かに重なる人がいて、私も登ってみようかな、と思ってくれる人がいたらいいなあ。
(おわり)

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

関連書籍

湊かなえ『山女日記』(Amazon)

●あらすじ
こんなはずでなかった結婚。突然見失った目標。……真面目に一生懸命生きてきた。なのに、どうして? 誰にも言えない苦い思いを抱え、女たちは一歩一歩、頂きを目指す。そして、山頂からの景色が、小さな答えをくれる。心温まる連作長篇。


『山と溪谷』8月号にて
湊かなえさんのインタビューを掲載しています。