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文化系ママさんダイアリー

2008.09.15 公開 ツイート

第十六回

「母親教」は究極のカルト集合体 堀越英美

 会社員時代に同僚から借りたDVD「セックス・アンド・ザ・シティ」に、こんなエピソードがあった(「SEASON1-10 母親は究極のカルト:The Baby Shower」)。

 ヤリマンでならした女友達レイニーの出産前祝いパーティーに招かれた30代独身女性4人組。閑静な住宅街の大邸宅、緑あふれる庭、かわいい犬。自分の赤ちゃんを神様呼ばわりするようなママ友たちに囲まれて、レイニーはベビー服の包みを喜々としてはがしている。かつてロックスターのパンツを脱がしたのと同様の情熱で。常に本音トークの独身女たちに比べ、ママ友たちは上っ面のきれい事ばかり。完全に浮き上がる独身4人組。女弁護士のミランダはまるでカルト教団だと毒づく。一方で、ひょっとして近い将来自分もああなるのか? とおびえるコラムニストのキャリー。生理が1週間遅れているのだ。

 当時独身だった私にとって、実に身につまされるくだりだったので今でもよく覚えている。会社の近くのファミレスでときどき子連れの集団を見かけたが、話すトーンがまるで違うのだ。地声で矢継ぎ早にしゃべる独身の同僚たちに比べて、明らかに声が高く間延びしている。こりん星から一個分隊が来襲してきたかのよう。声色のせいか、身にまとっている空気すら違うように感じられる。オーラの色が見えるとしたらきっとパステルカラー。「母親教」に入信して育児修行を積んだ結果、ママさんチャクラが全開してあのようなオーラが放出されるのだろうか。見た目は同年代らしいのに、自分や友達とは別世界の住人に思えた。私も出産したらチャクラが開いちゃってあっち側の住人に……?

 実際に子育てをしてみれば、母親声の謎はすぐに解ける。声のトーンを高くし、大げさに抑揚をつけ、ゆっくりとしたテンポで話しかけないと、赤子が反応してくれないからだ。こうした話し方は「Infant-Directed Speech(育児語)」と呼ばれ、万国共通に見られる特徴らしい。試しに我が子にできるかぎりの低い声で話しかけてみたが、「ふ、ふえええ」とMAJIで泣きそう5秒前。そんなに怖いですかお母さんの地声。

 そして母親教はあるのかないのか。他人に布教せずにはいられないほどの信念を宗教と呼ぶならば、それは確かにある。しかし一つの大宗教が君臨しているというよりは、小さなカルトが乱立して収拾がつかない感じ。たとえばこのような。

■母乳カルト
 ミルクより母乳のほうが消化が良く、免疫力を高める効果があり、アレルギーを起こしにくいというのは科学的に説明のつく事実。しかしそこに「母乳育児こそは母子の最良のスキンシップ」という過剰な意味を乗っけてくるのが母乳カルト。最初からピューピュー母乳がでる母親はめったにいない。母乳育児は乳首が切れたり母乳マッサージで青あざを作ったりして、悪戦苦闘の果てに1ヶ月くらいしてようやく軌道に乗るもの。そこまでしても母乳の出が悪く、ミルク育児に切り替えざるを得ない人もいる。そんなママさんを、母乳カルトは「吸わせれば出るのにミルクを足すのは親の怠慢」「ほ乳瓶の乳首だと子どもの性格が歪む」「スキンシップができなくて赤ちゃんがかわいそう」と追い詰める。赤子のドリンク選び一つでえらい騒ぎだが、母乳を与える母の姿に過大なドリームを抱く人は男女問わず多いらしい。
 母乳カルトは授乳中の母親がテレビを見ることにも批判的。授乳中は赤子の目をしっかり見て話しかけろと説くのだが、目を閉じておっぱい吸いに全力投球している赤子に、いったい何を話すことがあるのか。うちの子など、授乳中に私がじっと見つめると「見てんじゃねーよ」と言わんばかりに手で顔を押しのけてくる。赤子だって食事中に凝視されるのはいやなんじゃないか。というか、新生児期は1日の4分の1が授乳時間なので、ずっと赤子の顔を見続けていたらお互いノイローゼになるんじゃないかと思うのだけれども。

対処法:よく知らない人相手なら、「実は抗がん剤を飲んでいて……」と悲しそうな顔をしてみる。二度と母乳の話はされないはず。

■ミルクカルト
「粉ミルクで育てると欧米人のように体格がよくなる」と信じられていた時代の名残で、年配の世代では未だに根強い。母乳育児を軌道に乗せるためには1ヶ月間は母乳の出が悪くても吸わせ続ける必要があるのだが、「ガリガリでかわいそう。ミルク足したら?」「夜泣きするのはおっぱいが足りてないから。ミルクならよく眠るはず」「そんなに母乳にこだわらなくても」と横やりを入れられることも。単なる育児常識の食い違いなので母乳カルトよりは穏当だが、親族からこの手の言葉を投げかけられて悩むママさんも多い。

対処法:同居の親族の場合、産科医に連れて行って直接母乳育児についてレクチャーを受ければ素直に受け容れてもらえる可能性が高い。

■三歳児カルト
 三歳までは母親が育児に専念しないと将来子どもに悪影響が出るという信仰で、俗に言う「三歳児神話」。しかし専業主婦として育児に専念する母親が登場したのは近代に入ってからであり、農家や商家では子どもを持ちながら働くのは当然のことだったわけで、三歳児神話が本当なら昔の田舎の子どもたちはみな問題児ということになる。と、理屈では否定できても、保育園に我が子を預けて働く母親がこのカルトから逃れるのは至難の業。

対処法:実の母に「仕事は辞められないの?」「そんなにお金が必要なのか。四畳半一間でも子どもは育てられる」「孫がかわいそう」とさんざん責められた私の場合。「えーと、今はほら、学級崩壊じゃん? とにかく昔と違うのよ。うっかり荒れた公立なんか行った日にはモンスターペアレントとかモンスター教師とかモンスターチルドレンとかとにかくモンスターまみれで命が危ないらしいよ? そんなときのために私立に行くお金は用意しておきたい、子どもを思う親の気持ちですよこれも」と適当に言い逃れたが、納得はしていない模様(そりゃそうか)。うかつなことを言うと専業主婦たる母の生き様を否定しかねないので、難しいところだ。しかし我々の母親世代の場合、娘相手の気安さから思いつきで言っているだけだったりするので、あまり深刻に受け止めないのが一番の対処法なのかも。

■自然分娩カルト
「自然分娩=不必要な医療行為をなるべく退けて、母親の産む力に任せた分娩行為」と定義すれば特に問題はないし、こうした分娩法が主流の先進国も少なくないが、自然が好きすぎるあまりすべての医療行為を否定するとなるとやっぱりカルト認定したくなる。また、アメリカやフランスで主流となっている無痛分娩が日本に浸透しないのは、「痛い思いを乗り越えてこそ母として一人前」という日本独特の信仰のせいだという説も。帝王切開した嫁に、「この子は楽して生まれてきたから我慢がきかない」とイビるお姑さんもいるらしい。早期教育で知られる故・井深大氏に至っては「無痛分娩は子どもとの絆を壊す」「帝王切開で生まれた子どもは不良になる」とまで断言しちゃっているのだが、妊婦とても好きで腹を切っているわけじゃないので、そんな責められ方をしても困るのである。

対処法:分娩方法は意外な地雷原なので、なるべく内緒にしておくに限る。特に無痛分娩に対して否定的な人は多い。

■反自然分娩カルト
「マスコミよりもネットに真実がある」と信じる若者に多いカルト。出産・育児に縁遠い生活を送っているせいか、ネットの情報のみから「自然分娩=すべての医療行為を否定する反文明的な分娩方法」と思い込んでいる様子。自然分娩を選ぶ母親は赤子の安全よりも自分の趣味を優先するワガママ女であるとして、攻撃の手をゆるめない。

対処法:自然分娩にリスクがあるように、帝王切開にも陣痛促進剤にも無痛分娩にもそれ相応のリスクがあり、どの分娩方法が最善かは妊婦の状況と彼女がアクセスできる医療のレベルによる。そしてどの分娩方法を選んでもだいたいは健康体で生まれてくるのであり、妊婦自身の健康管理と医療者のスキルによってリスクは増減し、両者が最善を尽くしたところで逃れようのない事故は一定の割合で発生する。と、こう説いたところで、このカルトに染まっている人々は、「母親が分娩方法を自分で選ぶなんて許せない」と“母親が自我を持つこと”自体に対する憎悪にかき立てられている場合が多々あり、説得は難しいかもしれない。根っこにあるのは「僕のママは僕に自己犠牲的に尽くしてくれたのに!母親のくせに僕のママみたいじゃないなんて!」という母性ドリームだったりするからだ。

 このほかにも「布おむつカルト」「早期教育カルト」「自然育児カルト」「胎教カルト」など枚挙にいとまがない。信念を持つのは結構なことだが、他人の育児法にまで口を出さずにはいられないのがカルトのカルトたるゆえんだ。かつて母親だった人が自らと異なる違う育児法を見て自分の生き方が否定されたように感じ、口出ししたくなるということもあるだろう。出産は誰にとっても命がけ、育児も女の人生資源の多くを投入する一大事業だけに、何らかの信仰がなくてはやっていけないというのも理解はできる。育児経験がなくても、ほとんどの人が幼少期を母親の多大な影響のもとに過ごしていることを思えば、母親像に対して特別な幻想があるのは当然のことかもしれない。もしかしたらすべての人は多かれ少なかれ「母親教」の教徒なのかもしれず。人の数だけ宗派がある、「母親教」はなんてやっかいなんだろう。

 冒頭に挙げたエピソードはこう続く。レイニーは母親の世界に染まる恐怖から、身重の体でストリップを始めようとする。キャリーは思う。子どものことで頭がいっぱいのように見える母親たちは、母の顔の下にどんな顔を隠しているのだろうかと。

 独身時代に見た、あのこりん星からやってきたようなママさん集団はどうだったのだろう。少しでも母親らしからぬ行動をすればやり玉に挙げられるとあれば、いきおい保守的な母親像を演じざるを得ない。母親教に入信したからではなく、むしろその被害者だからあのように振る舞っていたのだろうか。母親教の信者たちから身を守るためにパステルカラーのオーラを身にまとって、母親の仮面の下に自分の顔を隠して。 

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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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