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2014.07.15

どこまでも堕ちていく、地獄行きの片道切符

杉江 松恋

どこまでも堕ちていく、地獄行きの片道切符

『ドミソラ』うかみ綾乃
小社刊/1600円(税別)

 一筋縄ではいかない小説、と言えばいいのだろうか。

 うかみ綾乃『ドミソラ』の特徴について説明しようとして、一瞬言葉に窮してしまった。プリズムを思い浮かべていただきたい。それがあることによって光は分散、あるいは屈折する。それが三つあるイメージだ。三つのプリズムの作用によって物語は進路をねじ曲げられ、あるいは本来の形を失って変貌してしまう。中には頑なにすべてをはじき返すプリズムもある。読者はその複雑極まりない光の動きを呆然と眺めているしかないのである。どこに行こうとしているのか。否、どこに堕ちようとしているのか。小説の中途で物語の帰趨を正確に言い当てられる読者はいないはずだ。なんと不穏な読書体験であろう。

 香村由羽という作家がいる。彼女のデビュー作『BOW―火の宴』という小説が映画化されることになり、主演の俳優陣とともに製作会見に臨むという場面で物語は幕を開ける。それは、十六歳の少女が集団レイプされるという残酷な事件を描いた作品だった。その内容は由羽自身の体験を元にしているのではないか、でなければ現実のレイプ被害者に対して何を言うことができるか、という記者の意地悪な質問に対して、由羽は毅然とした態度で答える。想像も間違いなく体験のひとつであり、自分の書いたものはすべて自身の体を通したものであると。

『BOW―火の宴』は世間を騒がせる話題作となったが、本を見て愕然とした人物がいた。加村織江という女性だ。彼女は十六歳のときに受けた性的暴行のためにすべてを破壊され、抜け殻のような生活を送っていた。その彼女にも唯一、曙光が見えかけた時期があった。自身の負の感情を昇華するために体験を文章にまとめ、小説『?』として上梓しようとしたのである。しかし結果は無惨なものだった。彼女の思いは悪質な自費出版業者によって食い物にされ、『焔』はまったく日の目を見ることなく消えてしまったのだ。『BOW―火の宴』は、織江の小説の完全な剽窃だった。彼女は、香村由羽の正体が、高校時代に自分につきまとい、その一挙一動を模倣していた気味の悪い同級生に違いないと悟る。

 光輝を放つ存在の美少女と、その劣化コピー。第一部で読者に印象付けられるのは二人の主人公のそうした側面だ。この関係が、第二部以降も引き継がれると思うでしょう。違うのである。第一部を因縁編とすれば第二部は復讐編だ。由羽のしでかしたことに気づいた織江はある行動に出るが、そこから事態は大きく動き始める。二人の女性にもう一人、尾崎という名の男性編集者を加えた三角形が小説の中心にあるとわかるのがこのパートである。尾崎は冒頭で由羽に皮肉な質問をぶつけた男であり、かつて織江に小説を書かせ、結果的には彼女を裏切ってしまった人物である。その彼が二人の女性の運命を左右する立場になるのだ。凡百の書き手ならここまで書ければ満足だろう、という形で第二部は決着を迎える。

 この着地点だけでも十分に奇抜なものなのだが、作者はそれだけでは満足をしなかったのだ。さらに第三部が書かれる。ああ、もう、この第三部の奇妙な感じを何に喩えればいいのだろうか。連想したのは海底だ。水に落ちたものがそれ以上どこに行くこともできなくなり、流れのために寄り集まって奇妙なモニュメントを形作っている。終末を迎えたがゆえの安寧がここにある。そうか、これが作者の書きたかった最果てなのか。一人合点して読み進めるとさらに驚きが待っている。第四部がその先にあるからだ。底だと思っていた場所はまだ底ではなかった。おお、どこまで堕ちていく。どこまでも、どこまでも堕ちていく。

『ドミソラ』という不思議な題名の意味が判明するのは、小説が本当の顔をむき出しにする第三部である。そこまで読み進めてきた人は、思わず膝を打つに違いない。この安定から程遠い物語の性格を、題名は一言で表現していたのである。織江が体験したレイプが事細かに描かれるなど、凄惨な場面が処々にある小説でもある。読んでいて辛くなることもあるが、しかし目を逸らすことはできない。そうした過激な描写は、ただ読者を刺激するために書かれているわけではなく、刹那に喚起される感情を小説の部品として回収し、それによって不可避の結末を招聘するために置かれた、必然の場面だからである。作者は登場人物との間にあえて距離を置いているが、そうしなければ自分自身も物語の中に引きずりこまれると察知したからだろう。読者こそ災難である。どこか知らない地点に連れて行かれると知りながら、激流のような速さで動いていく物語を、ただ見つめているしかない。精神年齢が成年に達していない人はお断り。地獄行きの片道切符は納得ずくで買ってもらわないと困る。

 

『ポンツーン』2014年7月号より

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