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2004.05.01

セックスレス

上原 隆

セックスレス

 拙著『上野千鶴子なんかこわくない』を読んだという人からメールが届いた。この本は私が夫婦生活の悩みを正直に書いたものだ。メールを送ってきたのは31歳の女性で、夫との関係で悩んでいた。
 私はその女性と喫茶店で会った。

 女性の名前は樋口則子。ベージュのセーターの上に同色のカーディガンをはおり、肩までの髪にウェーブがかかっている。仕事は団体職員。33歳の夫はフランス文学の学者をめざして大学院に籍を置きながら、予備校の講師をしている。結婚5年目。結婚して半年目ぐらいからセックスの回数が減ってきた。2ヶ月に1回が3ヶ月に1回になり、やがて4ヶ月、5ヶ月となっていった。

 則子の声は音程が高く、明るい調子なので、音だけだと、OLが旅行の計画について話しているような感じにきこえる。
「結婚して半年もたたない頃に、洗濯物をたたんで、衣装ボックスの奥の方に入れようとしたら、アダルトビデオが出てきたんです」彼女は右手にビデオを持っている格好をする。
 私はよくある話のように思ったが、彼女によると、そういうことが頻繁にあるのだという。
 妻は、ビデオを見つけたことを夫にいったのだろうか。
「最初、しらをきるんですよ。『何みてたの?』」則子は夫や自分のセリフをいう時に声色を変える。「『う? 何も何も』『何もじゃないでしょう』で、ビデオを見せて、『ほら』って、『ごめんなさい』って」
 夫はなんて説明したのだろう。
「忙しいから短時間で処理できるほうがいいんだって。昼は大学で勉強してるし、夜は予備校で働いてるから。サッサッと処理できちゃったほうが勉強にいいっていうんです」
 コーヒーが運ばれてきた。ウェイトレスが去るとすぐに、彼女は話しを続ける。
「『見てもいいけど隠せ』っていいましたね。それでも隠すのが下手で、ボロボロ見つかるんですよね」
 夫は彼女とセックスするよりも、ビデオをみてするマスタベーションのほうが気持ちいいと感じているのかもしれない。
「セックスとそれは別なんだっていってますけどね。でも、安い、早い、うまい、みたいなので較べると私とするよりそっちのほうが勝ってるんでしょうね」
 夫は妻に悪いとは思わないのだろうか。
「彼の中では、線引きができているらしいんです。生身じゃない、バーチャルの世界なんだって」
 生身の他人とセックスしているのでなければ、妻は傷つかないと考えているのだろうか。
「たぶん、でも、なんどもなんどもビデオを見つけたりすると、なんか、つまんなくなってくるんですよ。自分が」則子はコーヒーカップを手にとって、少し考えこむ。

 夫はなぜ、妻とセックスをしようとしないのだろう。
「彼は朝ボーッとしてる時にしたいっていうようなことをいってましたね。でも、私は朝はあんまりしたくないんですよ。早く起きて洗濯とかやんなきゃって思っちゃうので」
 お互いのしたい時がスレ違っているらしい。
「でも、朝『しよう』っていわれたことはないんですよ」
 夫には妻以外に好きな人がいるのではないだろうか。
「いてくれれば、わかりやすくていいなって思うんですけど」則子は声を出して笑う。「喧嘩するといつも『浮気してるわけじゃないんだから』っていわれて。一度、私がすごく切れて『浮気でも借金でもしてきてよぉ』っていったら『そんなひどいこといわないで』って」彼女の演じる夫は胸の前で両手を握っている。
 彼は同性愛者ではないのだろうか。
「違います。ビデオ見ればわかりますよ」

 私はコーヒーを飲みながら、次の疑問を口に出してもいいものだろうかと考えている。顔をあげると、彼女の大きな目がこちらを見ている。
 夫は妻が嫌いになったのではないかだろうか。
「それはないみたいです。私という気の合うパートナーがいてくれることが安心なんだっていつもいってますから」
 妻は夫のどこが好きなのだろう。
「ソフトなところです。やさしい」

 妻は夫から誘われるまで待っているのだろうか。
「私のほうからいったことがあります。『しよう』って、『疲れてるからー』って、何回か断られると、だんだんいいにくくなってきて、したいっていうと彼に圧力をかけることになるかもしれないと思ったりして、いえなくなって、ギリギリまでグググと我慢してるんです」則子は両手で首を絞められる仕種をする。
 実力で抱きつくことはしないのだろうか。
「しますよ。ガバッ」抱きついて体をゆする真似をする。「『そろそろかんべんしてー』とかいわれて」
 その時、夫は勃起していたのだろうか。勃起不全になっていたのではないか。
「うーん(思い出している)、してましたね。そうそう『ほっとけば元に戻るから今日はもう寝ようよ』って」彼女は蒲団を頭までかぶる仕種をする。

「この前、すごいイビキがうるさかったんです。フフフ」彼女は思い出して笑う。「それに体がピクッ、ピクッっていうのが頻繁にあるので、私、最近少し眠れないんですよ。で、彼の腕のところ押さえてたんです。そしたら彼が『なにー?』って、私は『ビクン、ビクンしないで』っていったんです。彼はぷいって背中を向けて『気をつけているのに、気をつけているのに』って、その時、急にいっしょに寝てるのに、もう、疲れちゃって、蒲団出して床に寝たんですよ。そしたら、彼は目を覚まして、『そっちで寝る。いっしょに寝る』っていって、蒲団に入ってきたんです。3日間ぐらいそうしていたんですけど、窮屈なだけで、『ほんとにベッドで寝てください。私はひとりで寝たいだけだから』っていったんです」
「仕事に出てたらメールが入ったんですよ。『寝るところが違っちゃったら、もう終わりじゃないかなって前から思ってました』って、〈前からかい!〉みたいな、ハハハ」則子は自分で話し自分でつっこみを入れる。
「『だからとなりで寝る寝るといってゴメンナサイ、今夜はゆっくり外で考えるので帰りません』って。なんか返事しなきゃと思って、仕事終わって、家に帰ったら彼のパソコンがついてたんですよ。見たらアダルトサイトが出てて、もろ有料で、会員らしくて、ログインした状態の画面で、個人情報が見られるんです。〈あらあら、定期的にご利用ね〉って感じで。一気に返事する意欲も失せて、家でダランとしてたら、彼から電話で『帰ってもいい?』っていうから、『どうぞ、帰ってきたら』って。帰ってきたら落ち込んでいた。いままでメールもらって返事しなかったことがないからだと思うけど、私はいったの『ついてたよ、アダルトサイト』」

 則子はセックスの技術については自信がないという。彼女がはじめてセックスをしたのが夫だからで、その夫とのセックスの回数が少ないのだから、技術を磨きようがない。
 セックスをした時、オーガズムはあるのだろうか。
「うん、まあまあ。頻度とかはわからないですけどありますね」彼女の表情からすると自信なげだ。「他の女性はどうだか知らないんですけど、私はしてる時にリラックスするっていうか、頭の他の部分が解放されるんです。たとえば、毎日仕事がイヤだなと思っていても、仕事に行くでしょう。毎日のことなんで、自分ではあまり言語化していない。それがセックスしている時に思い出されて、ドッと涙が出てくるんです。彼としてはそれはイヤなことかもしれないんですけど、私にとってはそれがガス抜きというか、それで解放されるんです」則子はセックスを思い出したのか、目が輝いている。

 セックスを拒否する夫は、妻が他の男とセックスしても仕方がないと考えているのだろうか。
「それがそうじゃないんですよ。一回セックスを拒否された時に、『じゃあ、私、他に好きな人つくってもいい?』ってきいたら、『それはダメ』っていってスーッと寝ちゃいました。アハハ」則子は力無く笑う。
 それでは、彼は自分と同じようにマスタベーションをすればいいと思っているのだろうか。
「ねえ、どう思ってるんでしょうね」彼女は首を傾げる。
 私は水を飲む。もう少しつっこんだ質問をしたい気持ちになっている。妻はマスタベーションをしているのだろうか。
「男性が考えているのとはちょっと違います。エロっぽい気持ちになれる本というのがあるんです。それを読んでフムフムって自分でイメージするだけなんです。それで少しは慰められますけど、たぶん、これは固定観念以外の何ものでもないとは思うんですけど、私にとっては、夫がしてくれることが大事なんです」
 則子の求めているセックスは単に肉体的に気持ちいいというものだけではないらしい。
「安心って感じ。2人でやっていこうと思ってるんだねっていう、確認としてのセックス」

「私ずーっと仕事してて、あんまり女女してこなかった。彼との関係でも対等に、対等にってふるまってきたし、それがセックスに関してだけ女という型を捨てられない。男にリードしてほしいんです。それで相手が混乱したかもしれません」則子は夫との関係について考えてきたことを次々に話す。
「間遠ながらも、まあまあ、あった時に、私、時計を見たことがあるんですよ。ベッドに入って2人で楽しいことをして、で、時計を見たら15分。最初から最後までで15分ですよ。長いような短いような、これくらいの時間なんだなって思ったんです。別の日に、ベッドに入った時に、私が渾身の勇気を出して、『今日はどうなの』っていったら、『疲れてるから』といわれたんです。でも15分だよって思っちゃうんですよ。『15分でもダメですかー』」則子は訴えるようにいう。語尾が少し震えている。「『毎週日曜日の朝にテレビでアニメ見てるじゃん、あれ30分だよ。いっしょに映画見に行くけど、だいたい2時間でしょう、年間で私たちがベッドでしてる時間より1本の映画の方が長いよ』アハ」

 セックスをしたいという妻の気持ちに夫が応えないから、我慢しきれなくなって、妻がケンカをふっかける。
「きっかけっていつもこまかいことなんですよ。たとえば、頼んでいた家賃の振り込みを彼が忘れたとか、毎日かなりの家事を私がやってるのに、ほんのちょっと頼んだことさえしてくれなかったのねーっていう感じで」彼女は笑いながら、夫の胸をつかんで揺すっている仕種をする。「結局そうやってケンカすると、私がセックスレスのことを持ちだしちゃうんです。ずーっと我慢してるから、出ちゃうんです。この前、彼が『いっつもそのことを持ちだしてくる』っていったんですよ。その時、私はすっごい……」突然に彼女の目が涙でいっぱいになる。「私はいったんです『私はほんとにつらいからいってるんだ』って」

 一年前に、則子は自分のほうから、もうセックスはしない、と宣言した。それはセックスをするしないで一喜一憂するのに疲れたからだ。たまたま何ヶ月かに一回のセックスをしている時に、彼女の頭の中では、次は何ヶ月先だろうと考えていて、淋しくなったことがあったし、セックスがないことでケンカにもなるし、「もう、私たちはセックスのない夫婦だとお互いに認めましょう」といった。夫はそれが離婚に結びつくのではないかと怯えた。しかし、そういってから一年間、夫からの行動は何もなかった。
 夫が論文を出し、博士になり、大学への就職活動をはじめたのを機に、2人の生活をどうするのかを話し合った。夫は自分から別居を提案した。ひとりで暮らして家事のできる人間になりたいというのがその理由だ。「なぜ、セックスを拒否しつづけるのか」と妻はきいた。「どうしてそんなに追いつめるの」というのが夫の答えだ。結局、答えのないのが答えだと妻は理解した。

 妻のセックスをしたいという気持ちはどうなっていくのだろう。
「なんかカサカサになっちゃって、あんまりそういう気になれないんですよ」則子は乾いた声を出して笑う。「小説が好きなんです。小説ってラブストーリーが多いでしょう。そういうの読んでてセックスシーンとかになると、世界の車窓からって感じで、よその民族の風習を眺めてるみたいで、なんか、あっちの国の人たちは楽しそうだなって思うんですよ。なんか、うらやましいなって」

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