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2003.10.01

ギタリストを探して

上原 隆

ギタリストを探して

 新幹線で京都に向かっている。
 ギタリスト小柴康夫(53歳)について知りたいと思ったからだ。
『40's「普通」が見えてくる日記マガジン』(四谷ラウンド刊)という雑誌に小柴の日記がのっていた。それを読み、自分のことのような気持ちになり、小柴に会いたくなったのだ。雑誌の編集者に小柴の住所をたずねたところ、京都にいると思うが、行方がわからないのだという。そのかわりに、以前彼が勤めていた警備会社の寮で同室だった人なら紹介できるという。紹介してもらった。その寮は、京都の山科にある。
 小柴の日記を簡単に紹介しておく。


2002年3月1日(金)
 警備会社をクビになり、「アルバイトニュース」の中で見つけ、やっとの思いでありついた仕事は瓦屋のセールス。

3月2日(土)
 9時頃出発。インターフォンのボタンを押すのがこわい。「あとはどうなる?」の思いでボタンを押す。何の返答もなし。内心ホッとする。
 セールスの中でも一番きついとされている訪問販売。1ヵ月は保証給与があれども、2ヵ月目からは完全歩合制になっており、売り上げがなければ、給料はなし。つらい、何日もつのか。
 昔、クラシックギター教師のころの自分をただただ懐かしむ。

3月3日(日)
 営業を経験していない小生に、まずは軒並み戸を叩けとの言葉。これは社訓の中にもある。返答は相変わらずことわりばかり。

3月4日(月)
 連休初日。目が覚めたのは午前12時46分。腹へってコンビニであんパンと缶コーヒーを買ってきて、部屋で食べる。

3月5日(火)
 連休2日目。何するでもなく、ほとんど寝っぱなし、インスタントラーメン生活もイヤになってくる。

3月6日(水)
 今日も契約に結びつかない。班の連中と軽自動車で一緒になるのが、とてもつらく、何も喋らない時間が1日の中でほとんどだったような気がする。
 その時、班長が何気なく車のラジオのスイッチを入れた。するとFMラジオから流れてきたのは、バッハのリュート曲であった。演奏者名は分からなかったが、ただただやり切れなく、苦しい心持ちに何かポッと熱い何かを感じさせてくれた。

3月7日(木)
 あと残すところ何日だろう。そろそろ店長から「君はこの仕事に向かないんじゃないか」の話が出始めるころだ。
 ギターを36年弾いてきたが、今は屋根瓦売りのセールスマン、何のために生きてきたのか……。


 日記は3月7日で終わっている。
 小柴は53歳。私と同じ歳だ。
 あの頃(1960年代)の少年たちはギターを手にしていた(私も持っていた)。少しうまくなり、ギターにのめり込み、ロックやフォークソングにものたりなくなると、ブルースギターを弾いたり、クラシックギターを勉強したりして、将来はギタリストになることを夢見た。しかし途中で、少年たちは自分に才能がないことに気づき、夢をあきらめ、ギターを放り出した。なかには、あきらめずに、ずっとギターを握りしめていた者たちもいた。小柴もそのひとりに違いない。私だって少し自信があれば、小柴と同じような道を歩んでいたかもしれない。

 山科駅に迎えに来てくれた小柴の知り合いは25歳の青年で、高杉洋平という。体が細く背が高くて、あごにヒゲをはやしている。彼も音楽をやっているのだという。高杉は大学を中退して警備の仕事についた。最底辺の仕事だから気に入ったのだという。
 寮には他に5人の警備員がいて、高杉以外は全員50代後半だ。社会に対して不適応な人が多く、どこかから流れてきて1、2年働いて、どこかへ去っていく。小柴もそんな人たちのひとりだったが、ひとつだけ違っているところがあった。
 それは本を読むことだ。
「ガードマンで本読む人なんてめずらしいんですよ」と高杉はいう。

 彼が案内してくれた警備会社の寮は木造2階建てで、玄関にはぬぎすてられた靴が散らばっている。私は学生時代のアパートを思い出した。玄関の横に小さな応接室があり、そこで話をする。

 小柴は秋田の出身で、両親はすでに亡くなっており、妹がひとりいるが音信不通らしい。恋人がいると本人はいったが、どうやら片思いだったに違いないと高杉はいう。
また、小柴はアルコール中毒の気があり、長時間、警備に立っていると、ぼけてきて、危険なことを何度も起こした。それで会社は彼を使わなくなったのだという。

 おそらく、40代になって、ギター教室の生徒が少なくなり、ギター以外のことで生活費を稼がなければならないと気づいた時、すでに彼を雇ってくれるような会社はなかったのだろう。それで酒を飲むようになったのかもしれない。

 警備会社に来る前は二条駅前のイタリア料理店の店長宅に居候していたのだという。店長は小柴がかわいそうになり、ほんの2、3日のつもりで泊めたのが、居ついてしまい、一日中ギターを弾く以外は何もしない。そんな小柴に苛立って、店長は彼を追い出した。

「体が大きく、俳優でいうと藤岡弘に似てます」高杉には小柴の姿がハッキリと浮かんでいるらしい。「顔は老けてるんですが、目だけは純真な目をしてるんです。あの目が回りの人にかわいそうだなって気にさせるんですね。すごく平和的なんですよ。人にめちゃくちゃいわれても黙っていて、腹立つとかそういうことがない。あと、しゃべり好きですね。秋田の方言がものすごく強いんで、ほとんどの人が、何いってるかわからないんです。それでも、ひとりごとのように、車の中とかでブツブツブツブツいってます」
 青森出身の高杉には小柴の秋田弁が少しわかるのだという。
 どんなことをしゃべっていたのだろう。
「どこそこのヨッちゃんがこの前オレに……とか、天下のミヤナガが……とか、そのヨッちゃんとかミヤナガとかを知らなければなんのことかわからないような話をバーッとするんです」

「天下のミヤナガ」が小柴のギターの先生らしい。
 小柴のギター演奏は上手なのだろうか。
「部屋の中で練習してました。まあ、クラシックギターをちゃんと教師から学んだということはわかりました。だけど、心に響くという感じじゃなかった。ところどころ、音を押さえきれてなくてプツッ、プツッっていう音がする時もあったし、プロとか、そういうレベルには達していないような感じがしました」
「ある時、ボクが寝てるのに、あの人酔っぱらって帰ってきて、ボクを起こして、先輩からの教訓と思ってきいてくれって、『音楽家として有名になることが重要じゃないんだ。自分にとって音楽がなければ生きていけないことが重要なんだ』って、夢破れた人なら誰でもいいそうなことでしょう。フフフ」高杉が思い出して淋しげに笑う。
高杉は小柴からもらったという太宰府天満宮のお守りを見せてくれた。
「どうしょうもない人だけど、ボクは好きでした」

 訪問販売の会社は七条大宮にある瓦屋だと思うと高杉がいうので、私は京都駅から歩いて七条大宮までいった。交差点に立っている女性にたずねると、N瓦店だろう、大宮通を北に上がるのだという。

 N瓦店は間口の狭い平屋で、横にワンボックスカーが3台並んでいる。
 店に入る。入口の横のソファーに職人風の若者が座っていて、するどい目つきで私をみる。
「こちらで営業の仕事をしていた小柴康夫という人を探してるんですが」私がきく。
「社長は奥だよ」若者がいう。
 奥に畳の部屋があり、そこに机を置いて30代くらいの男が帳簿をつけている。
 私が事情を説明する。
「それは、うちら瓦業者と違うな。うちは営業なんかおらへんもん。小柴さんいうたらノーベル賞の人しか知らんな」社長は大きな声で話す。
「どこか心あたりないですか?」私は土間に立っている。
「そりゃ、T研や」入口の若者がいう。
「詐欺まがいの訪問販売やろ」社長がいう。「うちら瓦業者にしたら迷惑な話なんよ、あんたの探してるのは瓦屋ちゃうで、訪問販売や」

 T研は、八条大宮にあるという。私は八条まで歩く。
 T研はビルの3階にあった。エレベータに乗り3階で降りると、すぐ目の前が大会議室のようなフロアーになっていて、20くらいのテーブルが並んでいる。テーブルの上には何ものってないし、人は誰もいない。壁に「○○○○20件達成!!」と書かれた紙が貼ってある。昼間なので全員営業に出ているのだろうか。
 よく見ると、部屋の奥に男がひとりだけいて、パソコンの前に座っている。

 私が近づいて挨拶をすると、男はしわだらけの笑顔をつくって立ち上がる。
 私が事情を説明すると、男の顔から笑顔がスッと消えた。
「もう、一年も前のことなんてわかりませんよ。新入社員だけでも、こんなにいるんだから」男はパソコンの横に置いてあるファイルを示す。ファイルにはさまれたA4の紙は厚さ15センチメートルくらいある。紙の表には印刷された質問項目に対して手書きで住所や生年月日が記されている。紙の裏には本人の写真が貼ってある。ポラロイドの写真があれば、旅の記念写真もあり、履歴所用の小さな写真もある。
「契約がとれなくてやめていく人が多いんですか」私がきく。
「そうね」男は書類を繰りながらパソコンのキーボードを打ちこんでいく。
「去年のデータはないですかね」
「ないね」
「寮の電話番号を教えてくれませんか?」
 男は目を上げると、キッとにらむ。
「なんで、あんたに教えなきゃならんの?」
「寮にふるい人がいて、小柴さんのこと知っていたら、話をきかせてもらいたいと思いまして」
「去年の人なんてひとりもいないよ」
「正式に文書とかで申し込んだらいいですかね。店長さんはどちらにおられるんですか?」
「オレが店長だよ」男はドスのきいた声を出す。「だいたいここに来るヤツなんて、掃いて捨てるほどいるんだ、誰も覚えてなんかいないよ」

 おそらく、小柴は一件も契約をとれずにT研をクビになったのに違いない。その後の彼の足どりは消えたままだ。
 スッキリしない気持ちのまま私は京都駅で新幹線に乗った。
 暮れていく車窓の風景を見ながら、こう思った。
〈才能がないかもしれない時、夢をあきらめずに生きていくのは、つらいことかもしれない〉

 1ヵ月後、高杉から電話があった。
 寮の人が四条河原町で浮浪者のようになっている小柴を見かけた。声をかけたところ、3日間何も食べてないという。寮につれてきて食事を与えた。その日、高杉は夜勤で寮にいなかった。戻った時には、すでに小柴はいなかった。翌日、四条河原町あたりを探したが見つからなかったという。

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