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2003.09.01

お金

上原 隆

お金

 「社長は、驚くべきことに一円も稼ぐ気がない人なんですよ」浅利ゆう子がいう。25歳の浅利は四谷ラウンドという出版社の中で一番若い社員だ。彼女は社長の田中清行(46歳)を尊敬している。「私もお金は重要じゃないと思っていたので『生活がギリギリできるくらいのお金があればいいですよね』って社長にいったことがあるんです。そしたら、『それぐらいのお金も必要かなー』って、この人ホントにホントお金がいらないと思ってるんだと思いました」浅利は目を丸くして話す。
 後で田中にこのことを確認すると、「それはふざけて答えたんだと思いますね」といったが、本気でか、ふざけてかはともかく、若い社員にとって、田中は金儲けを無視して、仕事だけを考えている人に見えていたのだ。
 ちなみに、四谷ラウンドの出版物は、『政治家の通信簿』、『中学生の教科書』シリーズ(「国語」を島田雅彦「理科」を養老孟司などが書いている)、雑学出版賞を受賞した『下町酒場巡礼』などがある。
 2002年11月、四谷ラウンドは倒産した。負債総額は1億6千万円だった。

 社員は3人いたが、倒産して社長の田中をうらむ者はひとりもいなかった。フリーランスの編集者は会社をつぶさないために使ってほしいと現金をさしだした。田中は受けとらなかった。
 倒産後、田中は73人の出資者をたずねて、あやまった。
「よくここまでがんばった」
「出資金は最初から君にやったつもりだから気にするな」
「本は売れないらしいから、仕方がないだろう」
 ほとんどの人が田中に好意的だった。
 事務所の家賃を滞納していたので、同じビルに住んでいる大家にもあやまりに行った。大家はこういった。
「毎日夜中まで働いていた田中さんを見てるからね、あれだけ働いて、倒産じゃ仕方がないね」
 次に、借金を踏み倒すことになるいくつかの印刷屋にもあやまりに行った。何度会いに行っても一度も会ってくれない社長がいた。怒っているのだ。1千万円近くがただ働きになるのだから、怒るのも当然だ。3度目に訪ねた時に専務が出てきて「社長には伝えておくから、もう来なくていい」といった。
 一番長いつき合いの印刷屋の女性社長にもあやまった。その人には印刷費だけでなく個人的に借金もしていた。社長は田中にひとことこういった。
「死んじゃダメよ」

 社員も出資者も大家も、そして一部の印刷屋さえも田中に好意的だ。
 それは、たぶん浅利が田中を尊敬していたのと同じ理由による。金儲けを無視して仕事に賭ける姿に、人は自分にないものを見たのかもしれない。
 私は田中がお金についてどう考えているのかをきいてみたいと思った。

 倒産してから半年後に、私は田中と会った。 喫茶店に現れた彼はチノパンツの上に白のポロシャツを着て、日に焼けた顔はスッキリとしていた。
「お金をいっぱい稼ぐのがエライとか全然思わないですね」と彼はいう。「いろいろ小細工しないと金って儲からないものだと思うんですよ。それは一流企業でもそうで、たとえばソニーでも三菱商事でも何でもいいんだけど、イカサマすれすれみたいなことをいっぱいやってるんだろうと思う。そう考えると、金を儲けるっていうのはカッコいいことじゃないぞっていうのがあるんですよね」
 出版社を経営して、お金を儲けようとは思わなかったのだろうか。
「本を売ったお金で本の製作費を払うというようにはなっていなかったですね。本を売ったお金って、たまに入る時もありますけど、少ない時は10万とかです。印刷屋さんに支払う金っていうのは百万とか2百万とかで、基本的には別のところから用立ててきて、支払ったりとか、支払わない月もあったりとかで、商売としては成り立っていなかったですね」
 では、なぜ8年間も続けてきたのだろう。
「私の中に、ある盲信のようなものがあったんです」田中は少し照れる。「これだけ命をけずるようにしてやってるんだから、いつか評価されて、そのおまけとして、いくらかお金も入ってくるだろうって」

〈本当にお金は必要なのか?〉
 この種の根源的な問いに、人は誰でもギクッとする。
 お金を無視する態度に若い人は心惹かれるかもしれない。しかし、現実はお金を無視しては生きられない。どんなに崇高な宗教者でも足下のどこかにお金の問題はある。お金の問題を避けて通ると足下をすくわれることになる。

 四谷ラウンドは倒産し、田中は自己破産した。
 肩にのしかかる1億6千万円もの借金が消えて、ホッとしたのではないだろうか。
「そうですね、いくらか安眠できるようになりました」田中は思い出すのがつらいのか、アイスティーのストローをやたらにかき回す。「夜、深夜2時とか3時に寝ても、5時くらいに目が覚めて、お金のことをずっと思ってました」
「最後の一年間くらいは、365日ほとんど目先の資金繰りをどうするかばかりを考えていましたね」
 田中は両親にお金を借り、妻の両親にもお金を借り、友人という友人にもお金を借りていた。
「最後は150万の不渡りを出したんです。友人や知人に声をかけて50万を3本でも集めようと思ったんです。5、6人に声をかけて50万だけしか集まらなくて、それでもやればやれたと思うんですよ。あと百万ぐらいね。だけど、この百万を乗り越えたからといっても、また次ぎがありますからね」田中は遠くの方を見るような目をして、こういった。
「金に仕返しされたのかもしれません」

 不渡りを決済できず、倒産が決まった日のことを浅利ゆう子はこんなふうに覚えていた。
「社長から説明があって、みんなわかってたし、とうとうかって感じで、なんとなく談笑モードでした。それから、みんな帰って、私はやることがあったから残ってたんです。私がパソコンを打ってると、社長席はちょっと遠いんですけど、鼻をすする音がきこえてきて……、ショックでした。いつも人の気持ちを考えるようにしていたつもりだったんですけど、その時、私は自分のことを考えてて、社長の気持ちを忘れてたんです。アッと思ったの覚えています。やっぱり社長としては挫折だったんだなって」

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