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2003.06.01

テレビドキュメンタリーのその後

上原 隆

テレビドキュメンタリーのその後

 数年前に見たテレビのドキュメンタリー番組が印象に残っている。経営者が投げ出した会社を、従業員が自分たちで管理するという内容だった。
 その後、あの人たちはうまくやっているのだろうか?いまも会社は存続しているのだろうか?
 私は訪ねてみることにした。
 その前に番組の内容を簡単に紹介しておく。

 会社の名前は「カメラのニシダ」という。従業員31人のカメラ店としては比較的大きな店だ。さいたま市にあった。
 ある朝出社すると、店のシャッターが閉まっていて、「倒産のやむなきに至りました」という紙が貼られていた。従業員たちは、未払いの賃金だけでも確保するために、店を占拠し、経営者の代理と交渉した。結局、破産した者からは何もとることができず、店を自分たちで管理することにした。給料は一律25万円と決めた。自主管理に参加したのは15人だった。リーダーは川野辺勇次、51歳。
 番組の中で、映像として覚えているのは、なぜか寝泊まりしている店の一室で川野辺がワイシャツを着替える場面だ。
 その後、ビルの所有者が変わり、店を別の場所に移さなければならなくなった。川野辺たちは立ち退きの保証金をもらい、赤羽駅前に店を開く。メンバーは15人から7人になった。
 ドキュメンタリー番組はこのあたりで終わっていた。この頃から、日本じゅうが不景気になり、倒産も解雇もめずらしいものではなくなったからだろう、マスコミは「カメラのニシダ」を取りあげなくなった。

 倒産から6年後の今年、私は赤羽駅前の店を訪ねた。
 シャッターが閉まっていた。その上に紙が貼られていて、閉店の知らせと連絡先が書いてあった。
〈自主管理は難しかったのか〉と思った。
 借金をかかえて、債権者からの電話におびえているのではないかと思ったが、ともかく連絡先に電話をしてみた。
「川野辺です」という声がきこえてきた。

 埼玉県大宮駅西口、そごうデパートの裏通りに「カメラのニシダ」は移転していた。こぢんまりした写真店になっている。現像受付のカウンターの横から店の奥に入ると、川野辺がひとりで、ネガから一枚一枚プリントを焼いている。
「少し待ってくださいね」写真から目を離さずに彼がいう。白のボタンダウンのシャツにレジメンタルタイを結び、その上から紺のジャンパーをはおっている。日に焼けた精悍な顔つき、少し長めの髪、もみあげと眉毛に白いものが混ざっている。57歳よりは若く見える。
 赤羽店は家賃が高く、あのままだと借金をかかえることになると考えて、ここに移転してきたのだという。
 働いている人は彼のほかにパートの女性がひとり。
 倒産し、31人の従業員が15人になり、赤羽に移って7人になり、さらにいまは、2人になっている。
「それぞれ都合があってやめていったんだから、仕方がない」川野辺は片手で髪をかき上げる。「大宮の時は、未払いの賃金だけを取ってやめた人もいるし、赤羽の時は、ひとりは実家が写真屋だからと帰った人もいる。定年になった人もいるし、収入が少ないからといってやめた人もいる」
 コンクリートの床の上に現像機と焼きつけ機が置いてある。その横に立って私は川野辺から話をきいている。 従業員として働いていた時、川野辺の給料は48万円、自主管理になって一律25万円と半分になった。彼には3人の子どもがいる。当時それぞれ、24歳、21歳、12歳だったはずだから、ちょうど教育費のかかる頃だっただろう。彼の妻は収入が減ることについて、文句をいわなかったのだろうか?
「うちの女房はお金と結婚したわけじゃなくて、僕と結婚したんだから、僕の生き方に共感を持ってもらわないと困っちゃうからね」と川野辺は少し照れて笑う。田中麗奈とガクトの大きなポスターが私たちを見下ろしている。
 経営者に雇われて働いていた時と自主管理では何が変わったのだろう。
「サラリーマンしてる時には、けっこう流されていたんだよね。極端なこというと、『お早うございます』っていえば、給料もらえてたからね。もちろん、それなりに仕事はしてたけど、そういう感じからは脱皮したよね。だから、自分の置かれている立場というか、足元がよく見えるようになった」
 現在、川野辺は朝8時に店を開け、夜の10時まで働いている。14時間労働だ。仕事はつらくないのだろうか。
「こんな楽しいことはないね。2人だけでしょう。だから、自分の思ったことが現実にできる。こういうポップを作りたいとか、こういう店づくりをしたいとか、現実にできるわけですよ。まあ、24時間のうち10時間以上仕事をしてるからね。ある程度楽しくやらないとね」
 川野辺は過去よりも現在の話しをする方が生き生きとしている。毎朝、店の前の飾りを終えた後、通りの向こうに立って店をながめるのだという。
「僕としては明るくてニギニギシイ感じの店にしたいんだよね」と彼はいう。そういえば、店頭には色とりどりのフィルムやポケットカメラがぎっしりと飾られているし、黄色の日よけに大きく「カメラのニシダ」と書いてある。
 彼が工夫しているのは店の飾りつけだけではない。現像焼きつけの宅配サービスも始めたのだという。店の周辺の事業所に出かけてビラを配り、電話をくれればフィルム1本でも写真1枚でも取りにうかがうといっている。さらに、1本のフィルムの現像焼きつけの中で、1枚だけを選んで大きなサイズのプリントにするサービスをしている。
「自分の経験からすると、思い出に残る写真って、比較的お母さんといっしょに撮ったものが多い。だから、僕は意識的にお父さんと子どもがいっしょのものを大きく焼いてプレゼントするだよね」川野辺はうれしそうに話す。大きくする写真は客が指定するのではなく、川野辺が選ぶ。もらった客は驚くし、次に現像に出した時にはどの写真を大きくしてくれるんだろうって楽しみにしてくれると思うという。
「自分の経験とか感じたものとかがそこに生きるわけよね」川野辺の声が大きくなる。

 人生上の苦難は人を鍛えるという。突然の倒産と自主管理の経験は彼をどんなふうに鍛えたのだろう。
「倒産してから学んだことは、そうね……」川野辺は少しの間沈黙した。この6年間を思い出しているのだろう。「あまりふてないっていうことかな。つまり、これじゃダメだ、ダメだ、ダメだっていってると、本当にダメになっちゃう。だから、すぐに次のことを考えるっていう姿勢が身についたね」彼は手を振って話す。
 今年、近くにビックカメラという大量販売店が開店するという。競争相手というには大きすぎる相手ではないだろうか。
「ビックカメラが出てきて、もうダメだと思ったらダメだよね。自分がダメだと思ったら本当にダメだよ。むしろ、あそこは電気屋さんみたくなちゃったから、DPEっていうのをどこらへんにもってくるのかなっていう興味があるよね、それに対してこまわりをきかして対抗していかなきゃいけないなって考えてるんだ」
 ビックカメラとの競争だけではない。世間ではフィルムカメラからデジタルカメラに替わりつつある。川野辺の前にはいくつもの困難が待っているような気がする。競争社会の中で生きるのがつらいとは感じないのだろうか。
「みんな大変だと思う。楽な人はいないと思うよ。それを克服するっていうプロセスが楽しいんじゃない」彼は〈ねっ〉という顔をして私を見る。そして大きな声で笑う。川野辺には人を包みこむようなところがある。3秒ほどの沈黙があってから、さらにこうつけ加えた。
「たえず前向きっていうか、夢っていうか、希望をもってやっていくよりほかないんだよね」

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