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2003.03.01

森の奥へ

上原 隆

森の奥へ

 コンピュータに向かって、「つ・ら・さ」と文字を打つ。次に「検索」のボタンをクリックする。2秒後にパッと本の題名があらわれる。全部で19冊。
『近世社会史』(原田伴彦著)『おんなの曲線』(松田道雄著)『柳田國男全集25』……、
 9冊目に『森へ行く日、船越桂作品集』という本が出ている。船越桂という彫刻家の作品集だ。
「つらさ」というキーワードで検索して、なぜ画集が出てくるのだろう?
 船越桂の彫刻と「つらさ」。
 気になる。ここは東京都立中央図書館、土曜日の午前11時。私は文章を書くためにきて、なかなか書く気分にならず、ちょっとした準備体操のようなつもりで所蔵図書検索用コンピュータの前にすわってみたのだ。

 『森へ行く日』は本棚に並んでいた。冒頭に小説家大岡玲の「船越桂の木彫、あるいは生命のこだま」という短い文章があり、彫刻の写真が87ページ続き、終わりの方に美術評論家酒井忠康の「遠くの人をみるために、船越桂」という長い文章がある。どの文章の中にも「つらさ」という言葉は見あたらない。表紙から奥付まで「つらさ」という文字を探したが見つからない。
 検索して出てきた他の本は、題名や目次の中に「つらさ」という文字がある。たとえば、『近世社会史』の目次には「武士のつらさ」という章があるし、『おんなの曲線』には「生きものであることのつらさ」という一文がある。
 なぜ、「つらさ」というキーワードで船越桂の彫刻が出てきたのだろう?

 1985年頃、私は銀座の西村画廊で偶然、船越の作品と出会い、一瞬にして心惹かれたことを覚えている。彼の作品は木でできた半身や全身の人物像だ。どの人物もいい顔をし、いい感じの服を着て、ひとりでスッと立っている。その感じが、他人とは少し距離を置く生き方を表していて、現代を表現するとはこういうことなのかもしれないなと思った。たとえば、「冬の本」と題された女性の半身像がある。短い髪、小さな顔、少し垂れ気味な目、細くて長い首、白いブラウスの上から着た白のクルーネックのセーター。全体に白っぽいところがいかにも清潔な感じだし、去っていく恋人の後ろ姿を見送っているような表情には、追いすがる気持ちよりもあきらめの方が強く出ていてシンとした淋しさがある。
「つらさ」
 そういえば、船越の作品はどれも、ジッと「つらさ」に耐えているようにも見える。表面的にはひとりで潔く立っているが、その表情の奥には、その人固有のつらい体験がひそんでいるようだ。
 こう考えられないだろうか。
 図書館司書の誰かが船越の作品集を見て「つらさ」というキーワードをつけた。
 私は「思想の科学」という雑誌の総索引をつくるという仕事に参加したことがある。50年間にわたって刊行された雑誌を分担して読み、ひとつひとつの文章に3つ以上のキーワードをつけていった。その時私は〈いいな〉と思った文章には4つも5つもキーワードをつけたし、本文にはないが内容を表すと思うキーワードを考えだしたりもした。
 図書館の本も司書の人がキーワードをつけているのに違いない。

 午後2時。私は頬杖をついてボーッとしている。
 コンピュータによる検索という機械的な作業の中に、ある顔をもった個人の美意識や感情が介在していることが面白い。
 いったい、どんな人が船越の作品を見て「つらさ」というキーワードを思い浮かべたのだろう。きっと、繊細な感性のもちぬしに違いない。美術の好きな人なんだろうなー……。
 私はその人に会ってみたいと思った。
 でも、そんなことを図書館の人にきくなんて、それこそ私が淋しくて、つらさのかたまりのような人間だと思われてしまいそうだ。

 午後4時。あと1時間で閉館だ。文章は1行も書けていない。
 「つらさ」というキーワードを選んだ人のことが気になって仕方がないのだ。
 私は19冊の本のリストをプリントアウトし、『森へ行く日』を手に持って、一階にある相談カウンターに行った。そこには黒縁のめがねをかけ、白いシャツにグリーンのカーディガンをはおった、船越の作品に出てきそうな30代くらいの女性の司書がいた。
「あのー、ちょっとおききしたいことがあるんですが」私がきく。
「はい、なんでしょう」女性はハキハキとした声で答える。
 私は考えてきたことを順序立てて説明する。特に図書館のキーワードのつけ方を非難しているかのような誤解を与えないように注意する。最後に画集を開き、「この彫刻に『つらさ』というキーワードをつけた人が図書館にいると思うと、なんだかいいなと思ったんです」と結んだ。
「『つらさ』ですね」そういうと女性はカウンターに置いてあるパソコンに入力した。パソコンの画面は相談者と司書の両方から見えるように置いてある。画面には19冊の本のリストが出る。
「この『森へ行く日』ですね」といいながら、女性はキーボードを操作する。すると、題名がカタカナになった。
「モリヘイクヒ、フナコシカツラサクヒンシュウ」
 彼女は船越の名前のところにカーソルを持っていくと、こういった。
「この真ん中のツラサを拾っちゃったみたいですね」
 私は急に現実に引き戻された。
 さっきまで目の前の女性に説明していた自分の考えが、あまりにも妄想じみていたことに気づく。恥ずかしい。顔から耳までがカーッと熱くなる。森のずっと奥の方に行きたくなった。

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