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2003.01.15

星もない暗闇

上原 隆

星もない暗闇

 「昼に手形を持ってここに来ますから」頭のハゲた男がいう。年の頃なら60代、いまは亡き殿山泰司を少し太らせたような顔をしている。牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、左手に折りたたみ式の携帯電話を持っている。
「ここで昼まで待ってろっていうのか」50代くらいの山崎努のような大きな顔をした男が答える。体の横にビニールの東急ハンズの袋を置いている。
 ここは東京駅南口改札口のわきにある小さな喫茶店。午前9時30分。店内には、2人の他に、モーニングサービスを食べているサラリーマン。コーヒーを前に新聞を読んでいる女性。大きな旅行鞄を横に置き列車待ちをしている中年の女性2人。そして私。先ほどから元ちとせの歌声がくり返しスピーカーから流れてきている。

星もない暗闇で
さまよう2人がうたう歌

「あなたは仕事をしてください。昼にここに来てくれれば渡します」殿山がボソボソという。
「俺がいまから宇都宮まで取りに行ってやるからさ。ホテル代と交通費ちょうだいよ」山崎の声は大きい。
「いくらですか?」
「5千円でも6千円でもいいよ」
 殿山が上着のポケットから大きな黒い札入れを出して開いてみせる。千円札が一枚しか入ってない。
「千円じゃ、ここも払えないじゃない」
「払えますよ。ここはモーニング500円です。何か食べてください」殿山の前にはモーニングサービスのホットドッグと野菜サラダとコーヒーがあり、山崎の前には水の入ったコップがあるだけだ。
「そんなんじゃ、あんたにだしてもらうわけにいかないよ。結局、今日もダメだってわけだな」
「だから昼には」
「もう、きき飽きたよ」山崎はジッと殿山をにらんでいる。
 殿山は携帯電話を開くと画面をみる。彼はフラノ地のズボンにツイードのジャケットをはおっている。昔はお洒落だったのだろう。今はズボンのひざが出ているし、ジャケットはうっすらと汚れている。
「あんたのためにスポーツ新聞買ってきてやった」そういうと山崎は東急ハンズの袋から新聞を取り出して、ひろげる。
「ほら、ここでも、ここでも金貸してくれるから、今からいっしょに行こう」山崎は殿山の顔の前に新聞を開き、紙面の後ろからトントンとたたいている。
「やめてください。こんなところで借りたらどうなるかぐらいわかってるんだから」殿山は立ちあがり、
「電話してきます」というと携帯電話を持って、店の外に出る。

波よ、もし、きこえるなら
少し、今声をひそめて

「このじいさん、よくここに来るの?」山崎が前の席を指さして、ウェイトレスにきく。
「ええ、だいたい毎日」ウェイトレスが答える。
 店の奥から少し年上のウェイトレスが出てきて、山崎の横に立つ。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
「いらない、だってこのじいさん千円しか持ってないんだもん」
「この店はひとり1オーダーになってるんです」
「いいよ、食べたくないんだよ。じいさんが戻ってきたらすぐに出るから」
「困るんです。何か注文してください」
「注文しないと、罰金でもとるのか」山崎が急に大きな声を出す。
 年上のウェイトレスはパッときびすを返すと店の奥に戻る。奥からガーンとお盆を叩きつけたような音が響く。
 旅行鞄を持った2人の中年女性が店を出ていく。
 山崎は所在なげに貧乏ゆすりをしている。
 若い男女が店に入ってくる。ウェイトレスが水を運び、注文をきく。

ここにいるよ、あなたが迷わぬように
ここにいるよ、あなたが探さぬよう

(「ワダツミの木」 作詞 上田現)

 殿山が店に戻ってくる。
「どうだった?」山崎がきく。
「やはり、昼まで待ってください」
「だめだ。俺に電話させろよ」山崎がテーブルの上の殿山の携帯電話をつかもうとする。スッと殿山の左手が伸びて携帯電話をとる。山崎が立ちあがり、殿山の左腕をつかむ。
「やめなさい」殿山がそれまでにない太い声を出す。
 山崎がビクッとして直立する。
 店に制服を着た男が入ってくる。年上のウェイトレスが山崎を指さしている。
「お客さん、ちょっといいですか」制服が山崎にいう。
「なんだよ」
「ちょっと、こちらへお願いします」制服が店の奥をさす。
「いいよ。もう出るんだ」そういうと山崎は東急ハンズの袋からバーバリー柄のマフラーを取りだし、ゆっくりと首に巻き、さらに黒のキャップを取りだしてかぶる。
「あんた、今日中に連絡しろよ」と殿山にいい、制服に向かって、
「いくらだ。ここに座っただけで、千円かぁ」と大きな声でいう。
「いえ、けっこうですが」
「じゃ、いいんだな」そういい残して、店を出ていく。
 制服は店の奥に入る。
 殿山は左手で携帯電話のふたを開け、右手にホットドッグを持って食べはじめる。ホットドッグを食べ終わるとコーヒーに砂糖とミルクを入れて、スプーンでかき回し、一口飲む。目は携帯電話の画面をジッと見ている。
 私は席を立ち、殿山の後ろを通り、携帯電話の画面をのぞき込んだ。そこには何も写っていなかった。 

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